こころとからだを科学する
教育と医学
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編集後記
▼ここ四年、毎年、インドの障害児に対する動作法の適用に関する臨床的研究のためにデリーの学校に出かけています。その学校に通学している児童生徒は、日本の養護学校に通う子どもたちより障害の程度が軽い子どもが多く、いわゆる寝たきりで座位の姿勢がとれない子どもは見られません。その学校に「ニューデリー・マザーテレサ・ホーム」の子どもが通学しており、そこの二名の子どもも動作法の対象として訓練をしています。その関係からマザーテレサ・ホームに訪問して訓練をしています。
▼このホームの子どもたちは八十人で、シスターが六人、障害児に対応する一名のPT(理学療法士)、ホームで成人になったアシスタントやボランティアによってケアがなされています。子どもたちはすべて放棄された子どもで、出生の時期や状態が分かりません。そのため、例えばシスターに年齢を尋ねると、「四歳プラスアルファ」と答えが返ります。四年前にホームに来たとき赤ちゃんだったので、四歳プラスアルファとなる、ということです。
▼ここの子どもたちに訓練をすると、訓練を嫌がる子どもはほとんどいません。はじめからニコニコと積極的に応じてくれたり、少し緊張した面持ちながらも私たちの働きかけに応じてきてくれます。あまり見たこともない顔立ちの大人が身体に触れてくるのに抵抗を示さないのです。このような子どもの反応は日本での経験と異なったので、不思議な印象を持ちました。学絞で行われた六日間の集中的な訓練に参加したホームの二名の女児は、はじめ緊張していましたが、最後には訓練中にも笑顔を多く見せるようになり、私たちがホームを訪問するときには案内役のように振る舞うようになりました。シスターにそのことを伝えると、「子どもたちは関係を持ってくれる人を求めています」と言われました。ここでは訓練と言われるような働きかけをする人が、関係を持ってくれる人≠ニいうように受けとめられると考えると、子どもたちの反応がよく理解できます。
▼学校では見られなかった重度の寝たきりの子どももホームでは見られます。この子どもたちは学校へは行っていませんでしたが、一部の子どもはPTによる訓練を受けていました。最重度といえる状態の子どもには教育や訓練のやり方が分からないので、生活上のケアだけになっているということでした。その何人かは、ホームの門前に放棄された子どもであり、シスターは「私たちは神から授けられた子どもを見守り、育てていくことが務めだ」と言われ、「しかしどのように育てればいいのか分からない子どももいる」と言われます。子どもをケアすることにおいては愛に満ちているであろうシスターでさえ責務と愛だけでは難しいこともある、という表現と思われました。
▼障害児の教育は、普通教育と同じだと思える部分や、普通教育と同じであるべきだ、という側面もありますが、やはり特別に配慮をしなければならないことがあります。その配慮しなくてはならないこととは何か、その一端が本号で明らかになれば幸いです。
(針塚 進)
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