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訳者あとがき



果たしてハイブラウとロウブラウの差は何か。ハイ・カルチャーとロウ・カルチャーの序列はいつ、誰が、いかにして決めたのか。人気(ポピュラリティ)は文化価値の尺度となり得るか。ジャズはハイブラウか。ならばチャップリンは? 歌舞伎は? 宮崎アニメは? ――このような問いかけに対して、ローレンス・W・レヴィーンは本書『ハイブラウ/ロウブラウ』(原題 Highbrow / Lowbrow: The Emergence of Cultural Hierarchy in America. Harvard University Press, 1988) において、答えへと導く一本の道筋を明示する。
もとより、「文化」ほど解釈が分かれる複雑な概念はないだろう。文学や演劇、音楽、絵画、映画といった芸術形態からある集団の社会構造や生活様式まで、用法は非常に多岐にわたる。ゆえに、その定義に関しては人文科学系・社会科学系双方の領域において、イギリス人マルクス主義文学者レイモンド・ウィリアムズの『文化と社会』(1958)など、様々な意見が出され議論が展開されてきた。アメリカでは、1950年代後半から60年代にかけてマイノリティ(少数派)による人種、性差、セクシュアリティ等をめぐる社会運動が活発化し、多文化主義の時代を迎える。マイノリティが独自の文化を創出し主張するようになると同時に、従来の基準では高く評価されなかった作品が掘り起こされ、それまでの歴史は新しい視点から書き換えられた。ほどなくして、文化そのものの意味とヒエラルキーを問い直す姿勢が生じたのも不思議はない。「ハイ・カルチャー」「ロウ・カルチャー」「ポピュラー・カルチャー」「マス・カルチャー」「カウンター・カルチャー」「サブ・カルチャー」等々のカテゴリーを再定義したり序列を並べ替えたり、それぞれにはどの文化形態が含まれるのかを規定しようと試みる研究がますます盛んになっている。
 こうした中で、レヴィーンはそもそも文化区分自体が無効であると訴える。その主張は本書のタイトル『ハイブラウ/ロウブラウ』に明白だ。第3章で興味深い図版を用いて解説されているように、高尚文化と低俗文化を表すこの二つの単語は白人優越主義にのっとって19世紀末に創り出された。「ハイブラウ」「ロウブラウ」の区分は、歴史上のある特定の時期に、ある特定の社会集団がその集団の利益のために創ったのであり、その境界線のand でもorでもない曖昧さは、タイトルにおいて二つの単語を仕切る「/(斜線)」に表わされている。
こんにち、レヴィーンの主張はもはや新しいものではない。多くの研究者が文化を序列化することは無意味であると唱え、区分け作業為の背後に潜む政治性を暴いている。さらに日常レベルでも、冷戦終結後に世界規模で起きた多民族・多文化状態を経験し、ましてやインターネットによってデジタル情報が時空間を越えて飛び交う社会に生きる私達は、「区分」や「ヒエラルキー」といったものの無力を日々感じている。だが、レヴィーンはそのような感覚に頼った捉え方を諫め、D・マクドナルドを初めとする研究者の多くは文化を主観的に論じていると指摘する。そして、シェイクスピア劇やオペラ、交響曲、美術館といった、現在ではハイ・カルチャーと規定されている芸術形態のアメリカ史を、19世紀初頭から20世紀初頭まで百余年にわたって丁寧に紐解くことによって、それらがかつてはポピュラー・カルチャーであったこと、さらに19世紀後半にハイ・カルチャーへと祭り上げられたことを論証していくのである(レヴィーンはシェイクスピア劇がハイ・カルチャー化された際の政治的意図を強調していないが、スティーヴ・J・ブラウンらの論考ではその点も既に明らかにされている)。本書の白眉は歴史家レヴィーンのこの実証的な手法にある。何よりも読者は巻末に付された引用文献・資料の膨大な量に圧倒されるだろう。舞台評や新聞・雑誌記事、文学作品や批評書、同時代人の自伝、伝記、日記、書簡、旅行記などから数百にも上る細かい証言を集め積み重ねていく内に、19世紀アメリカ文化の様相が鮮やかに浮かび上がってくるさまは圧巻である。これら個々の事例からはその時代の日常と様々な立場の人びとの息吹さえ感じられ、本書は文化研究の学術書としてのみならず一つの読み物としても十分堪能できるだろう。

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 著者ローレンス・W・レヴィーンは1933年、リトアニアとロシア移民の子としてニューヨーク市に生まれ、以来、プリンストン大学に教職を得る1961年までニューヨークを離れることはなかった。コロンビア大学において歴史学の修士号と、1962年に博士号を取得する。プリンストン大学を経て同年にカリフォルニア大学バークレー校に移り、1994年に退職するまでの32年間、その教壇に立ち続けた。この間、1983年にマッカーサー財団賞を受賞、1985年にはアメリカ芸術・科学アカデミー会員に推挙され、1992年にアメリカ史家学会(OAH)会長に就任、2000年にニューヨーク州立大学名誉博士号を授与されるなど、アメリカ文化史研究の第一人者として活躍している。1996年7月には立命館大学における第1回アメリカ研究夏期セミナーに講師として招聘され、来日した。現在は、ヴァージニア州にあるジョージ・メーソン大学で秋学期のみ教え、それ以外の時はバークレーの自宅で研究活動に従事する日々である。目下、1929年から1941年にかけての大恐慌下のアメリカ文化に関する研究書を執筆中だという。
 レヴィーンの単行書は次の通りである。今まで邦訳されたものはなく、本書が最初となる。

・The Shaping of Twentieth-Century America. Boston: Little, Brown, 1964. 共著
・Defender of the Faith: William Jennings Bryan: The Last Decade, 1915-1935. New York: Oxford University Press, 1965.
・The National Temper. New York: Harcourt, Brace, 1968. 共著
・Black Culture and Black Consciousness: Afro-American Folk Thought from Slavery to Freedom. New York: Oxford University Press, 1977. Chicago Folklore Prize受賞
・Documenting America, 1935-1943. Berkeley: University of California Press, 1992. 共著
・The Unpredictable Past: Explorations in American Cultural History. New York: Oxford University Press, 1993.
・The Opening of the American Mind: Canons, Culture, and History. Boston: Beacon Press, 1996. History of Education Society Outstanding Book Award受賞
・The People and the President: America’s Conversation with FDR. Boston: Beacon Press, 2002. 妻コーネリア・レヴィーンとの共著

レヴィーンを一躍有名にしたのは1977年のBlack Culture and Black Consciousnessであり、この本のためにアフリカ系アメリカ人文化について調べている最中に、後に本書『ハイブラウ/ロウブラウ』へと発展する研究主題のヒントを得ている。すなわち、19世紀の黒人のパロディや地口にシェイクスピアが頻出することに気づいて、劇聖シェイクスピアが占めた当時の地位に、ひいては文化区分そのものに対して疑問を抱くようになったというのだ。レヴィーンは長いキャリアを通じて、文化に付される「ハイ」や「ロー」といった形容詞の無効を謳い、文化史とそれを教える高等教育のあり方を問い直し、アメリカが直面する多文化的現状を擁護し続けている。こうした彼の主張は1996年に出版されたThe Opening of the American Mindに結実したと言えるだろう。この書名がずばり示すように、また本書の「おわりに」にもその先駆けが窺える通り、レヴィーンはアラン・ブルームのベストセラー『アメリカン・マインドの終焉』(1987)を激しく弾劾する。ブルームがアメリカ人を一つにまとめ上げてきたとされる、教養と高等教育に基づくアメリカ精神の「終焉closing」を嘆いたのだとすれば、レヴィーンはアメリカ人とアメリカ文化が有する相対主義的な要素を尊重し教育することによって、アメリカ精神は「解放opening」されるのだと論じたのである。

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 私が初めてレヴィーンを読んだのは1994年頃、初期アメリカ演劇について調べていた時だった。その際に本書第1章に大きな刺激を受け、その後19世紀アメリカ演劇文化におけるシェイクスピアの受容と変容を研究主題とするに至った。自らの研究の発端となった一冊を翻訳する機会に恵まれたことは大きな喜びである。
ローレンス・W・レヴィーン氏は本書の刊行にあたり、原書の出版以来こんにちまでの17年間におきた、アメリカ文化をめぐる状況変化を改めてリサーチして、「日本語版への序文」を書き下ろして下さった。深く感謝する。本書は、慶應義塾大学教養研究センターにおける、文部科学省学術フロンティア「超表象デジタル研究センター」プロジェクト「21世紀のアメリカをめぐる文化のダイナミズム」の一環として翻訳・刊行されるものである。共同研究のメンバーである慶應義塾大学経済学部教授・近藤光雄氏、同助教授・マイケル・エインジ氏、法学部教授・鈴木透氏、同助教授・奥田暁代氏には、2002年度より3年にわたってともに勉強させていただき大きな知的刺激を受けてきた。特にエインジ氏は訳出する際の不明点を幾度にもわたりご教示下さった。慶應義塾大学出版会の小磯勝人氏と上村和馬氏は本共同研究の成果を元にした「アメリカ研究ライブラリー」シリーズの創設にご尽力下さり、また翻訳に際して数々の貴重なご指摘を賜った。最後に心身ともに支えてくれる家族に感謝する。

2005年2月
    常山菜穂子


 
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