慶應義塾大学出版会版
「福澤諭吉著作集」第二巻 
世界国尽 窮理図解


中川眞弥(前慶應義塾幼稚舎長)

 慶應義塾大学出版会が「福澤諭吉著作集」(全十二巻)の第二巻『世界国尽・窮理図解』を刊行した。表紙の帯は「新しい時代の扉を開いたアイディア溢れる啓蒙書」として、『訓蒙窮理図解』、『世界国尽』、『童蒙教草』、『文字之教』の四書収録を記している。三田評論編集部から第二巻編者として「ケイオウ・レポート」に一文を寄せるようにとのことで、思いつくままに筆を取る次第である。
 さて第二巻収録の四つの書は、各書とも抄録であれば過去にいくつか刊行されている。そこで第二巻は四書の全てを収録する方向で検討したが、『童蒙教草』の二十九章百七箇条は優に一冊となる分量で四つの書の完全収録は諦めざるを得なかった。しかし、福澤先生の明治初年代の啓蒙書が多様なことを示すにはこの四書を一冊に収録することが最も当を得ていると考えられた。そこで『童蒙教草』は、章とその趣意の文章は全て収録し、箇条を略して六十四箇条の「抄」とした。この「福澤諭吉著作集」第二巻では、明治初年代に刊行されて学校の教科書ともなり広く普及した福澤先生の四つの書をまとめて読むことによって、当時の福澤先生の啓蒙活動の多様さを十分に感じることが出来る。更に第二巻の末尾には著作集各巻に共通な「事項、固有名詞索引」の他に、初めての試みとして「『童蒙教草』(抄)人名一覧」と「『世界国尽』地名一覧」が付してある。これらの一覧は、福澤先生が当時の世界の地理と歴史についていかに広く調べられていたかを窺い知ることが出来る。
 さて明治二年の松山棟庵宛福澤書簡(1)は、当時福澤先生が学校教育と学問についてどのように考えていたかを表しているものとしてよく引用されるが、この書簡で福澤先生は西洋の近代科学思潮の普及に努めたいとの考えを述べ、西洋の生活・政体・歴史等を紹介するだけではなく、西洋のmoral,philosophy,common,education に着目したいと記しておられる。
掲載の図版は明治十四年(一八八一)刊『時事小言』巻末の「福澤氏蔵版書目」
だが、幕末・明治初期に啓蒙家として世に立った福澤先生の多様な啓蒙出版活動の側面をよく示している。私はこの目録に並ぶ著訳書の順は、先に挙げた書簡の考えと実によく符合していると思う。従って、明治三年の「学校之説」の結語「……故に方今我邦にて人民教育の手引たる原書を翻訳するは洋学家の任なり。」はこの頃の福澤先生の使命感を何よりもよく示しているのではないかと考えている。
 明治元年(一八六八)版『慶應義塾之記』附録の日課表には当時の講義・会読・素読などに、ウエーランド経済書、クヮッケンボス窮理書、パーレー万国史、コルネル地理書、などを使用したことが記してある。『窮理図解』『世界国尽』は、こうした原書を福澤流に解読咀嚼して著訳述したものであった。また、『モラル・カラッスブック』( The Moral Class-book)も塾生の初学教材に使われ、その訳述が『童蒙教草』となった。いずれも福澤先生の筆力には原文の記述を上回る躍動感があり、新しい世の中の方向を示そうとする意欲に溢れている。
 ところで、この時期の福澤先生の著訳書には、慶應義塾の人々の手になる姉妹編とも言える書が多々ある。例えば『窮理図解』には小幡篤次郎(2)著訳『天変地異』、松山棟庵(3)・森下岩楠合(4)訳『初学人身窮理』。『世界国尽』には松山棟庵訳『地学事始』、中上川彦次郎(5)著『地理略』、阿部泰蔵(6)著『小学地理問答』。『童蒙教草』にはウエーランドの『モラルサイヤンス』
( The Elements of Moral Science) を抄訳した阿部泰蔵訳『修身論』(文部省刊)、松山棟庵訳『サルゼント氏第三リイドル』。『文字之教』には古川正雄(7)著『絵入智慧の環』、『ちえのいとぐち』などである。また習字手習い本の福澤諭吉編『啓蒙手習之文』には、内田晋斎(8)著『窮理捷径十二月帖』がある。
こうした慶應義塾社中の刊行物は福澤先生の慫慂によったものであり、先生は社中の人々の個性に応じて、各人の勉学努力の訳稿を出版することをしばしば勧められたと伝えられている。しかも、『窮理図解』には、「……天地窮理の大概を記したれども、地震、雷、虹、彗星等の説なし。こは我社中小幡氏が著述に天変地異という書ありて、之に委しければ態とこゝに略したるなり。」とあって、社中で内容の分担を計られたようすも窺われる。また、『世界国尽』と『地学事始』や『絵入智慧の環』などはコルネル地理書など同一資料によっているようすが読み取れる。明治初年代に福澤先生が書かれた啓蒙書と慶應義塾社中が執筆出版した著訳書は先生と社中との無二の協力作品であったと言える。今後はそうした関係も細かく調べたいものと考えている。

1『福澤諭吉書簡集』第一巻 書簡番号六〇
2 小幡篤次郎(1842‐1905)福澤門下高弟
3 松山棟庵(1839‐1919)福澤門下で医師
4 森下岩楠(1852‐1917)福澤門下の高弟
5 中上川彦次郎(1854‐1901)福澤甥、門下
6 阿部泰蔵(1849‐1924)福澤門下の高弟
7 古川正雄(1837‐1877)旧名岡本節蔵、福澤に緒方塾から同行した最初の門下生
8 内田晋斎(1848‐1899)書をよくし福澤の著訳書の版下を書いた。『窮理捷径十二月帖』に福澤が寄せた序文には『啓蒙手習之文』と併用すれば「童蒙の為めに一層の裨益を致し、世教の助ともならむ歟。」とある。(『福澤諭吉全集』第十九巻)
(三田評論 2002年5月号より転載)PDFでもご覧になれます。
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