慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第97回──三田評論 2015年2月号    
 

日吉キャンパスの遺構と施設

 
 
 
     
  大澤輝嘉(慶應義塾中等部教諭)  
     
 

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日吉キャンパスの施設と言えば、高等学校のある第一校舎と、大学の自然科学分野の研究室や教室がある第二校舎や陸上競技場が思い浮かぶ。今回は、日吉の遺構や施設にかかわるエピソードを紹介しよう。


日吉台の遺構

 昭和五(一九三〇)年二月、義塾は日吉台に学校用地として約十二万坪を確保した。そのうち七万二千坪あまりが、東京横浜電鉄から寄付された土地であった。翌六年から開始されたキャンパス造営と並行して、文学部史学科による発掘が始まった。断続的に行われた調査で、それはキャンパス内に留まらず周辺にあった数個の古墳にも及び、後述するいくつかの遺構や出土品が発見された。


 日吉一帯は、多摩川台地の末端に位置し、「日吉台」と呼ばれる洪積台地を含んでおり、弥生式土器片の存在も認められていた。そこで校地入手直後の昭和五年六月から文学部教授橋本増吉らによって調査が行われた。結果、縄文から平安期にかけての古墳、竪穴住居跡などが多数発見され、出土品も数多く得られ、この地がかつて弥生文化人の大聚落であったことが確認された。


 第一期の住居発掘が行われた昭和七年は、あたかも義塾創立七十五年の祝祭と重なったので、その記念事業の一つとして三田史学会主催の「過去及び将来の日吉台」と称する展覧会が催され、出土品が塾監局二階の第二教員室で展示され広く一般に公開された。また、第二期発掘の行われた昭和十一年には、塾長小泉信三がハーバード大学創立三百年の式典に招かれて渡米したので、竪穴住居跡の石膏模型と日吉台出土の土器、石器の一部を持参し、同大学に寄贈した。


 昭和十一年から行われた三田史学会の調査により、一九四一年までに日吉キャンパス内で約六〇基の弥生式竪穴住居跡が確認された。そのうち、寄宿舎に向かう道沿いで高等学校グラウンド脇を通り過ぎた付近に位置する五基の住居址を固めて保存することとし、学界初の試みとしてこれをコンクリートで固め、上に塗料を入れたモルタルを塗り、保存、展示している。床上の穴は柱穴で、当時の住民はこの上に掘っ立て小屋を作り居住していた。住居跡からは、弥生式系統に属する壺、椀、台付き皿などの土器破片も多く発見された。


 昭和十一年から、キャンパス周辺における五個の古墳の発掘が開始された。私学として初めてとなるこの調査は、発掘前はさして大きな期待をかけられず、わずかに多摩川右岸の古代文化相を明らかにする点に主眼が置かれていたに過ぎなかったが、意外にも関東地方としては希に見る優秀な遺物が次々と出土した。
具体的には、矢上古墳から、大型の銅鏡二面、ヒスイの勾玉五個をはじめとして、鉄剣、竹櫛や、千七百を越えるガラスやコハク製の勾玉、丸玉が発見された。これらは、昭和十五年五月に一括して国宝に指定された。これが義塾の所蔵物が国宝に指定された最初のことであった。これらの国宝は、昭和二十五年五月公布された文化財保護法により重要文化財に再指定された。



日吉完成予想図



国宝「秋草文壺」

 義塾校地から南方約一キロメートルにある川崎市幸区南加瀬に加瀬山と呼ばれる独立の小丘陵にあった、長さ八十七メートルに及ぶ前方後円墳の白山古墳の後円部直下からは、昭和十七年四月に「秋草文壺」が、火葬骨を納めたままで発見された。粘土を敷いて川原石を積んだ遺構内から出土したこの壺は、高さ四十・五センチメートル、口径十七・六センチメートル、底径十四・二センチメートルの大型のもので、素地は灰白色の砂質の粘土で、これを紐巻き上げに成型してあり、ラッパ口で肩の張った堂々たる形をしている。肩の部分には厚くオリーブ色の自然釉がかかり、これが胴に五条流れ落ちている。


 この壺をさらに特徴づけているのは頚と胴とに刻まれている文様であって、ススキやウリ、柳などの植物と、トンボや規矩文もをへら描きによって、力強く流麗に描いてある。これが平安王朝貴族の美意識に通じるものがあり、この壺を秋草文の壺と呼ぶ由縁となっている。また文様とは別に、口辺部に「上」の文字が刻んであり、この壺が何か特別の目的で作られていることを示している。



国宝「秋草文壺」


 発見以来学者の注目の的となり研究が加えられたが、詳細は未だ不明で、平安時代末期の陶器史上空白に近い部分を埋めるものとして高く評価されている。昭和二十四年二月に国宝に指定され、その後、前述の昭和二十五年公布の文化財保護法により、同二十八年三月に陶磁器部門の新国宝指定の第一号となった。その産地についてはいくつかの説があり、瀬戸・常滑・信楽・丹波・越前・備前のいわゆる日本六古窯のうち、常滑焼に一番近似していると言われていたが、最近は渥美焼の代表作とする説もある。


 産地についての議論はともかくとして、この壺が日本陶磁史上極めて貴重な遺品であることには間違いなく、これがいち早く新国宝に指定された所以である。現在は東京国立博物館に寄託されている。


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