慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第93回──三田評論 2014年8・9月合併号    
 

関東大震災とキャンパス──三田・四谷の被害と復興

 
 
 
     
  大澤輝嘉(慶應義塾中等部教諭)  
     
 

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 大正十二(一九二三)年九月一日午前十一時五十八分三十二秒に起こった関東大震災では、三田山上や既に創立されていた四谷の医学部、病院などの義塾施設も被害を被った。しかしこのことで、いくつかの貴重な史跡や制度が現在まで受け継がれるきっかけが作られたのである。

三田山上の被災状況と被災者受け入れ

 東京市内の約六割が灰燼と化したにもかかわらず、義塾の各施設は火災を免れたため、その意味では幸いにも被害も軽かったが、三田山上の建物は諸方で損壊の憂き目を見た。

 まず、大講堂は前面の煉瓦に亀裂が生じ、内部にも多少の亀裂を生じた。これは、前面の煉瓦の積み直しで修復できると分かった。煉瓦造りの塾監局は、その建造年代も明治十九年と古く、そのため前面に大亀裂が生じ、屋根瓦も全て壊れ落ち、建て直しをする必要が生じた。


 義塾創立五〇周年を記念して建てられた図書館は、八角塔と本屋との間に亀裂が生じ、塔上半部を取り壊して積み直す必要があり、玄関突き当たり階段左側の壁面に大亀裂が生じた。また、書庫の棚にあった書籍はことごとく床に散乱し、八角塔楼上に安置してあった福澤先生還暦記念の灯台の置物(大熊氏広作製)が損壊した。



被災した塾監局(福澤研究センター蔵)

 加えて、震災の翌十三年一月十五日に余震とみられる強い地震があり、塾監局一階南廊下の天井が崩落し、図書館八角塔の亀裂も深まり、ステンドグラスも破損した。


 これらの被害を当時の金額で見積もると、図書館十二万円、大講堂六万円、塾監局七万七千円など総計三十二万円に上った。教職員の死者は一名もいなかったが、負傷、家屋の損壊、家族を失った者など、被災者は七〇余名に上った。学生では死者数名を含む二一七九名の罹災者を出した。


 火災を免れた三田山上には、罹災民が続々と集まったため、義塾では彼らを収容するために各木造校舎の一階を開放した。教務係室を以て避難者救済事務所とし、夜警係、受付係、食料その他世話係を定めて全職員を配置した。




図書館書庫(福澤研究センター蔵)

 また出動軍隊、文部省、時事新報社などにも施設を開放した。三田の義塾構内に収容された罹災者は八〇〇名近くに上った。



復興事業と塾債

 大震災により、教職員および学生にも多くの罹災者を出し、罹災者収容のため校舎を開放したことで、当分の間授業を行うことは不可能な状況にあった。従って義塾では当分休校とし、その旨を東京、大阪の各新聞に広告を出した。


 九月十三日付の『時事新報』には、「三田本塾は今回の震災に対し、幸に大破損なかりしも、当分の内授業を休止し一般秩序の恢復を俟ち、授業開始の日取りを定め、更に広告可致。四谷医学部は被害程度軽微に付、来る十七日より授業再開可致候」とある。一方市内の秩序も復し、塾内に臨時に設置されていた諸事務所や駐在部隊も引き上げていった。そして、九月十五日に各学部長、各部主任会議を開いて協議の結果、大学および専門部は十月八日から、普通部、幼稚舎、商工学校は十月一日から、それぞれ授業を再開することとした。それに合わせて九月三十日を以て避難者救護事務を結了した。


 授業は再開されたものの、特に地方出身の塾生は、下宿を得ることが困難であり、上京できない者も多く、また、教科書、辞書などを消失した者も相当数に達したので、大学学生有志は震災善後会を組織し、罹災者の調査、宿所の紹介斡旋、焼失教科書の融通、慰問金の贈呈などを行った。


 翌十三年から始まる復興事業についての資金調達として、十二年十一月に、一口五十円、一カ年間無利息で年五分利子付きの塾債を発行した。七年間据え置きで、十年で返済と設定された、義塾が出した債券の最初であった。目標額を三十万円として広く塾員の間にこれを発表したところ、応募は八五一六口、振込金額は四十一万六千二百七十五円に達した。償還を求めずそのまま寄付する応募者もいたが、一方で、利息の支払いと返済には予期せぬ齟齬もあったらしい。
 

 その後、戦災復興と新学制実施に伴う施設整備のために、昭和二十四年には六千円の二度目の塾債が発行され、同二十六年にも日吉校舎の設備復興や女子校、普通部校舎の新築費などを賄うため四千円の塾債が追加発行された。
更に、学費改訂を巡る大学紛争が勃発した昭和四十年からは、在学中の生徒、学生の保護者から一口十万円で無利息の塾債が募集されはじめ、卒業時に償還される仕組みになっている。当初は応募を入学の条件とする案であったが、学生の反対を受けて応募は任意とすることになった。こうして、義塾の危機を救ってきた塾債の金融運用収益が、現在も義塾の経営の一部を支えているという訳である。

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これまでの史跡めぐり
本連載は終了しました。
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2015年8・9月合併号掲載

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第100回
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2015年6月号掲載

第99回
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第98回
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2015年3月号掲載

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2015年2月号掲載

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第93回
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──三田・四谷の被害と復興


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