慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第90回──三田評論 2014年5月号    
 

平和来──卒業二十五年塾員招待事始

 
 
 
     
  山内慶太(慶應義塾横浜初等部長・大学看護医療学部教授)  
     
 

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卒業二十五年の塾員招待

 今日では、卒業二十五年と五十年の塾員招待は義塾の恒例となったが、それは、昭和二十八年三月の卒業式まで遡ることができる。
 その経緯を当時の『三田評論』が次のように説明している。



 「卒業年度を二十五年と五十年とに決めたのは別に深い理由はない。ただ銀婚式や金婚式の場合と同様、世間の普通の考え方に従ったまでである。卒業後満二十五年といえば、働きざかりの年代であり、また五十年は卒業以来半世紀を経て年齢は古希を越え、ますます祝福さるべき年代である。(中略)招待の日を卒業式に選んだのは、塾員諸氏に嘗ての若き日の卒業式を追想し、かつ新しく門出に立つ若き卒業生を激励して頂きたい趣旨からである。」


 その一回目の招待では、住所が判明している者、卒業二十五年(昭和三年卒業)七八四名、五十年以上三○五名に招待状が送られ、それぞれ九十八名、十二名が出席した。



 当時は、三田の大講堂は焼け落ち、日吉の記念館も未だ無かったので、卒業式は三田山上の野外の広場で行われた。招待塾員はこれに列席後、学生ホール(山食)での午餐会に招かれ、往時を偲んだのであった。
 昭和三年卒業の塾員は、一回目の招待に当たったことに感激し、招待への返礼も兼ね、時期を改めて同年十一月に、全学部連合の三田会を十一月に三田山上と綱町の三井倶楽部で開催した。しかも、それを次の年に引き継ごうという意図もあったのである。



 即ち、その際の三田会から会員への案内状には、「各部夫々の懐しい先生方にも御同席願い……全学部昭和参年三田会を山上に開催いたし更に之を明年の廿五年目に当る昭和四年度卒業生に引き継ぐ事といたします」とあるのである。



 因みに、昭和七年卒業の塾員達の三田会は、謝恩会として「平和来」の除幕式に引き続いて白金台の八芳園で開かれた。塾長、常任理事、各学部長等の来賓、そして、恩師の教授諸氏が招かれていた。



 今日でも、卒業二十五年の塾員は、卒業式に列席後、引き続き、学生食堂での立食の「塾員招待会」にも招かれる。そしてその前後の大同窓会も恒例となり、規模も大きくなった。招待に際して、その返礼として募金活動も行い、近年では家計急変・経済困窮塾生への奨学金として義塾に寄付されている。招待された塾員の塾生を思う気持ちは今も昔も変わらない。「平和来」はその原点でもある。



もう一つの記念碑

 三田山上には、もう一つ、戦歿者を追悼する記念碑がある。「平和来」と向き合うようにある「還らざる学友の碑」である。碑文は、当時の鳥居塾長によるもので、平成十年十一月に慶應義塾として建立したものである。



 その後、建築のはじまった東館も平成十二年四月には竣工し、それに伴って、出陣学徒が三田山上から見送られた東門の情景は失われることになった。その情景そのものが戦歿塾生塾員の気持ちを偲ぶ空間でもあったことを考えると、「還らざる学友の碑」は、時代の節目を感じさせるものでもあった。



 現在、福澤研究センターによって、「慶應義塾と戦争」アーカイブ・プロジェクトが進められているが、戦歿塾生の遺品に触れる度に、これらの記念碑の重みを改めて思うのである。

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