慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第89回──三田評論 2014年4月号    
 

望郷詩人──南紀の佐藤春夫

 
 
 
     
  加藤三明(慶應義塾幼稚舎教諭)  
     
 

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 佐藤春夫は、明治二十五年四月九日、和歌山県東牟婁郡新宮町船町(現新宮市船町三丁目)に生まれ、新宮第一尋常小学校、新宮中学(現新宮高校)を卒業後、明治四十三年、終生の友人となる堀口大學と共に永井荷風に教えを受けんと慶應義塾大学文学部予科に入学する。しかし、「三年がほどはかよひしも 酒、歌、煙草、また女 外に学びしこともなし」と詠んだように、大正二年に大学を中退する。以後、文筆活動に専念し、詩、短歌、小説、戯曲、随筆、文芸評論と多くの著作を残した。

 

懸泉堂

 春夫の父豊太郎は、新宮から紀勢本線で約三十五分、距離にして二十キロ程南下した下里で生まれた。



 佐藤家は、代々医家を営み、春夫の曽祖父椿山は「懸泉堂」という家塾も開いていた。下里駅から国道四二号線に出て南へ、下里大橋を渡り八尺鏡野の交差点を左折し、線路を越えた右側に春夫の実家「懸泉堂」の建物が現存している。裏山に滝があったので「懸泉堂」と名付けられたという。瓦に刻まれた文字から文化十三(一八一六)年に建てられたものと推測でき、大正十三年豊太郎が新宮からここに戻った時に建てた赤く塗られた洋館が増築されている。昭和五年八月、春夫は谷崎潤一郎夫人千代と結婚し、細君譲渡事件として世を沸かせたが、心労のため健康を損ね、同年十二月から翌年三月まで、温暖なこの実家で療養していたこともある。現在「懸泉堂」は無住で、春夫の姪の娘が所有しているというが、建物の傷みが激しく保存の声も上がっている。



誕生地と生育地

 父豊太郎は、和歌山医学校を卒業後、明治十八年帰郷するが、結婚について養父母との意見が合わず、翌年、下里を離れて新宮で開業する。明治二十四年十一月新宮町船町において佐藤医院を開業して、ここで春夫は生まれる。



 春夫は昭和三十二年に朝日新聞に連載され、翌年単行本として刊行された『わんぱく時代』というものを執筆している。少年時代を描いた自叙伝的小説で、春夫は「あとがき」で「自叙伝的内容を持った虚構談」と述べているが、新宮の描写は事実としてよいだろう。




 『わんぱく時代』に生家に関する次の記述がある。「生まれた家は本町通りの北隣に本町と並行して熊野川の川原のすぐ上にある材木問屋の多い船町通りの東部分、下船町が魚屋ばかりの雑賀町に曲がろうとする角から二軒目か三軒目で、北向の間口三間ばかりのささやかな二階建の借家であった」




新宮市街 佐藤春夫史跡関係地図


 

 現在、この場所には昭和四十七年に建てられた「佐藤春夫誕生の地」の碑がある。右側面には、春夫誕生の際、父豊太郎が詠んだ「よく笑へどちらを向いても春の山」という句が、春夫の筆で刻まれている。



 しかし、この生家は明治二十九年十二月二日の大火で焼失、登坂の地に移転し、熊野病院として開業した。春夫が上京するまで、育ったのがこの地である。



 「僕の家は丹鶴城のお城山の西南のふもとにあって、北はその山を負い、南には城のお堀の池に臨み、町の大通り、本町の東の部分下本町の東の端に位して、門は遠く上本町の西の詰にある速玉神社の鳥居と相対している」と『わんぱく時代』にある。



 大正十年前後、熊野病院は人手に渡り、戦後は近畿大学短期大学部新宮分校になっていたが、昭和五十九年に取り壊され、平成十一年には道路拡張で跡形もなくなった。誕生地の碑から本町通りに出て、東に歩くと左手に丹鶴城址への登り口の石段があり、その白壁に「佐藤春夫生育の家」の説明板があるが、熊野病院の正面の石段はその右手の道路になっている所にあった。白壁の後ろに、石灯籠と井戸跡があり、庭の名残だけを見ることができる。

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