慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第87回──三田評論 2014年2月号    
 

予防医学校舎と食研──空襲の痕跡

 
 
 
     
  山内慶太(慶應義塾横浜初等部長・大学看護医療学部教授)  
     
 

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 信濃町キャンパスでは、医学部創立百年の二○一七年を目指して新病院等の建設準備を進めている。大きく様相が変わるであろうキャンパスに、戦前からの建物が残っている。


 最近までは、病院部分の裏手に、鉄筋コンクリート造りの戦前からの建物が、左手から別館(昭和七年竣工)、北里記念医学図書館(同九年竣工)、予防医学校舎(同四年竣工)と並んでいた。別館は二○○八年に閉じて跡地に予防医療センター等の入る三号館が建てられたので、二つだけになった。北里図書館は既に取り上げたので、今回は予防医学校舎を訪ねたいと思う。

 

予防医学の原点

 北里図書館の右側に、玄関車寄せの屋根に「慶應義塾大學豫防醫學ア室」と旧字体の文字が貼られた建物がある。今日、予防医学校舎と称されている地上四階地下一階からなる堅牢な建物は、信濃町キャンパスの鉄筋コンクリートの建物としては、後述の食養研究所に次ぐ二番目のものであった。設計は、三田の図書館旧館、第一校舎、日吉の第一校舎、第二校舎と同様に曽祢中条建築事務所である。



 総工費は付帯設備を含めて三十九万九千円であったが、その大部分はロックフェラー財団からの寄附十七万五千ドルによっている。ロックフェラー財団は、当時世界各国の公衆衛生の進歩の為に援助をしていたが、日本においては、国の研究教育機関への寄附に先立って、まず民間の教育機関にということになり、日本での最初の事業として義塾への寄附となったのである。



 なお、同財団の寄附は、建物に留まらず、当時欧米で成果を挙げて来ていた予防医学あるいは公衆衛生学の定着と発展の為に、米国から毎年一名の教授が義塾に派遣されて研究指導にあたると共に、義塾からも米国のジョンズ・ホプキンス大学の公衆衛生大学院に同財団フェローとして留学する等の支援も受けることになった。



 竣工に合わせて、塾長の林毅陸は、『三田評論』に「予防医学」と題する文章を寄せている。
当時の我が国は今日と異なり、出生率は高いものの、乳児死亡率は高く、平均寿命も短かった。この点を具体的に指摘した上で、「されば一般の保健衛生の施設を改善するの必要甚だ大なるは、言うまでなき事であるが、それは主として予防医学の進歩に俟たねばならぬ。総べて疾病に対しては、治療よりも予防を持って優れりとする」と語り、欧米各国では、「輓近競うて予防医学研究所又は公衆衛生学校を設立し、(略)多大の成果を挙げつつある」と指摘した。



 今日、この予防医学校舎には、衛生学公衆衛生学教室、感染症学教室があり、今春には医療政策・管理学教室も他の建物から移ってくる。



 林は、「予防医学又公衆衛生の研究範囲は、年を追うて益々拡大せらるべく、吾人は其の将来の発達に対し、多大の期待を属するものである」と締めくくっているが、その予想の通り、今日では社会的要請は益々大きく益々多岐に亘っている。



予防医学校舎

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