慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第84回──三田評論 2013年11月号    
 

修善寺 ──幼稚舎疎開学園

 
 
 
     
  加藤三明(慶應義塾幼稚舎長)  
     
 

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 昭和十九年六月、太平洋戦争の戦局悪化により政府から「帝都学童集団疎開実施要領」が発表された。その内容は、三年生以上の生徒を対象に、まず学童の縁故疎開を奨励し、そうではない者は集団疎開に参加させるというものだった。幼稚舎でも政府の方針に従って、集団疎開が計画され、同年七月末、渋谷区より静岡県田方郡修善寺町(現伊豆市修善寺)を疎開地に指定してきた。

 

 

 幼稚舎では、早速、修善寺を訪れ、参加希望者の約三四〇名を一つの旅館で収容できるという理由で、菊屋を宿舎とすることで契約したが、学習院初等科が菊屋を希望し、幼稚舎は野田屋(四〜六年慶組)、仲田屋(三〜六年應組)、涵翆閣(あさば旅館)(六年美組、三年慶組)の三館に分宿することになった。

 

 

 疎開児童は、疎開先の国民学校に帰属することになっていたが、修善寺国民学校は、大森区、蒲田区の国民学校の児童が帰属していたため収容不可能になり、北方約二キロの下狩野国民学校に帰属した。私立小学校が冷遇されていた時代である。

 

 

 同年八月二十五日、幼稚舎で小泉信三塾長を迎えて出発式を行い、恵比寿駅から列車に乗り込み、正午過ぎに修善寺に到着、疎開学園が始まった。
 翌二十年四月には、一、二年生も 集団疎開に参加することとなり、縁故疎開者を除き、幼稚舎は全て修善寺に移ることになった。宿舎は野田屋(四〜六年應組、五年慶組)、涵翆 閣(一〜三年、四・六慶組)の二館となった。

 

 

 三島駅から伊豆箱根鉄道駿豆線で約三十五分、終点修善寺駅に着き、駅から四キロの地に修善寺の町がある。狩野川の支流、桂川の両岸に開けた修善寺は、大同二(八〇七)年 空海が開いたと伝えられる名刹修禅寺と弱アルカリ単純泉の良質な温泉が有名で、東京から交通至便なこともあり、今も多くの人が訪れている。
 幼稚舎の宿舎になっていた三つの旅館は、現在どのようになっているであろうか。

 

 

 まず第一学寮であった野田屋は、修禅寺から渡月橋で桂川を渡った左側、菊屋と離接する地にあった。経営者が代わり「渡月荘金龍」として疎開当時の建物で営業していたが、平成十五年火災で焼失し、現在「月の庭」という駐車場になっている。今回、修善寺のことについて御教授頂いた私と同期の野田和敬氏(BRB勤務)は、疎開当時の野田屋の主人野田靖さんのお孫さんに当たられる。

 

 

 第二学寮の仲田屋は、修禅寺前の独鈷の湯の桂川対岸にあり、経営者も代わり、「湯の宿 花小道」という旅館になっているが、建物は当時のままで、屋根瓦に「仲田屋」の「仲」の字を見ることができる。
 「湯の宿 花小道」の前の道を上っていくと左手に第三学寮の涵翆閣があり、「あさば」という名の高級旅館として、今も旅館を営んでいる。涵翆閣は、かつて修禅寺前にあった「あさば」という本館に対しての別館としての名であった。

 

 


あさば(涵翆閣)

 


湯の宿 花小道

 

 

 「あさば」は、延徳元(一四九八) 年創業で、現在の御主人は、疎開当時の主人八太夫のお孫さんに当たられる浅羽一秀氏で、中等部から慶應に学ばれている。

唐破風の屋根の玄関をくぐると、池に能舞台が浮かぶ庭が目の前に広がり、どの客室からもこの庭を眺めることができる。実に心落ち着く風景である。建物はリニューアルされて古さを感じさせないが、昭和六年建設のものである。疎開当時、池に面した所は大広間であったが、今は客室になっている。温泉は源泉かけ流しで、庭に面した露天風呂は、絶妙な湯加減と心安らぐ風景で、至福の一時を過ごせる。御膳も美味で、もてなしの心配りも素晴らしく、それなりの料金であるが一度は泊まりたい宿である。

 


修善寺関係地図

 

 

 

 

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