慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第81回──三田評論 2013年7月号    
 

みちのくの史跡を訪ねて──能代・弘前・木造

 
 
 
     
  加藤三明(慶應義塾幼稚舎長)  
     
 

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木造 幼稚舎疎開学園の碑

 

 弘前から五能線で一時間弱、岩木山を望む木造駅に到着するが、駅から徒歩十分の銀杏が丘公園に「慶應義塾幼稚舎 疎開学園の碑」がある。


 太平洋戦争の形勢の悪化により、幼稚舎では昭和十九年八月、三年生以上の希望者三四〇名が伊豆修善寺にて集団疎開を始めたが、米軍の伊豆半島上陸の危険性から再疎開の命令が出され、昭和二十年七月二日から十月十七日まで一四〇名の幼稚舎生が、青森県西津軽郡木造町(現つがる市木造)で生活した。

 

 木造では慶應寺、西教寺、旧制木造中学寄宿舎の三カ所に分宿した。三年慶組と一、二年生の宿舎となった慶應寺は、つがる警察署裏に位置し、本堂は既に建て替えられているが、規模、形状に大差はなく、龍が彫られた欄間は当時のものである。経蔵は移動したものの、経蔵と鐘楼は当時のままである。お寺の名前が慶應というのもこれまた不思議な縁である。

 

 

 慶應寺の隣にある西教寺は、四年生と三年應組が宿舎としていた。西教寺の本堂は、幼稚舎生が寝泊りしていた当時のままである。五、六年生が利用し、本部となっていたのは旧制木造中学寄宿舎である。旧制木造中学の地は、現在、銀杏が丘公園として市民の憩いの場となっており、講堂だけが、木造中央公民館講堂として現存し、レトロな雰囲気を漂わせている。敷地の北隅、今は更地になっている所が、寄宿舎があった場所である。なお、木造という地名は、新田開発を行う際に、ぬかるんで物資の運搬がままならなく、材木を敷いて道路を作ったことによるが、この公園はかつて津軽藩の木作御仮屋代官所が置かれていた場所で、四代藩主・津軽信政が貞享元(一六八四)年に手植えをした幹周り七メートル・樹高二十メートルの大銀杏が今も葉をたわわに茂らせている。

 

 

 公園の西隅に、平成二十一年十月十七日に除幕式が行われた「慶應義塾幼稚舎 疎開学園の碑」がある。この碑は、疎開学園参加者を中心とする幼稚舎卒業生の浄財によって完成したもので、デザインは横河設計工房の横河健氏、石の手配は鎌倉霊園の木倉浩智氏と、両卒業生が手がけ、揮毫は元幼稚舎習字科教員の書家竹中誠子氏が行い、まさに舎中の協力によって生まれた碑である。

 

 

 横河氏は、「明るいライトグレーの直方体の大島石をほんの少し傾けて上目遣いに寝かせてみた……ちょうど幼稚舎生が日向で頬杖をつきながら寝転んでいるように……そんな平和のまどろみが続けば良い、こん な思いでデザインさせて頂いた」と語っているように、シンプルではあるが、あまり目にしたことがない上品な碑である。そして「(略)食糧、物資不足の中、地元の方々の御厚意によって全員無事に、同年十月二十日帰京した。木造町への感謝と、戦争のない平和な社会を祈念して疎開参加者ならびに卒業生の寄付によりここに碑を建立する。」と記されている。弘前三田会の方々が、年一回清掃活動をして下さっている。

 

 


慶應義塾幼稚舎 疎開学園の碑

 

 

 

 ちなみに幼稚舎生が帰属し、午後に勉強に通った向陽小学校(当時は国民学校)は、銀杏が丘公園から約一キロのつがる市木造千年二六− 七の地(現在は誘致企業の敷地)にあったが、昭和四十六年に銀杏が丘公園の東側(木造日向六十二の一)に移転した。向陽小学校の創立は明治六年で、幼稚舎より一年前に設立された歴史ある小学校である。

 

 

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