慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第80回──三田評論 2013年6月号    
 

紀州和歌山と義塾の洋学

 
 
 
     
  山内慶太(慶應義塾横浜初等部長・大学看護医療学部教授)  
     
 

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 南海電車和歌山市駅から徒歩五分、紀ノ川を裏手にして和歌山市立博物館がある。和歌山の歴史を伝える常設展示には、「近代和歌山の出発」と題するコーナーがあり、「藩政改革の際、学習館知事の濱口梧陵は、福澤諭吉の援助で共立学舎をたて、洋学の導入を推し進めた。廃藩後も、慶應流の英学教育は徳義学校等へと受け継がれる」と説明している。そして、同館所蔵の『共立学舎新議』と『慶應義塾読本ピネヲ氏原板英文典』が展示され、それらの説明には、松山棟庵、小泉信吉、鎌田栄吉と、福澤先生の門下生の名前を見出すことができる。

 

 

 紀州和歌山は、草創期の慶應義塾にとって忘れてはならない藩である。慶應義塾への入門者では、いわば地元の武蔵国に次ぐ多さで、中津、長岡と共に義塾の「三藩」と言われていた。中津藩の屋敷の中に塾舎があった鉄砲洲時代に、紀州藩がその費用を負担して、紀州藩出身者の寄宿のための「紀州塾」が置かれたほどである。

 

 

 また、その出身者には、慶應義塾医学所の校長を務めた松山棟庵、初代幼稚舎長の和田義郎、大学部開設に尽力した塾長・小泉信吉、福澤先生没後の義塾の発展に貢献した塾長・鎌田栄吉をはじめとして、義塾の歴史において重要な役割を果たした人が多い。
今日、和歌山に、これらの人達に関する史跡はあまり多くは無いが、当時の紀州とのつながりの痕跡を辿ってみたい。

 

 

小泉家の墓碑

 

 入社帳を見ると、慶應二年十一月二十八日に、小泉信吉、和田義郎、草郷清四郎、小川駒橘、小杉恒太郎ら紀州から九人が、福澤先生の英学塾に入門していることがわかる。和歌山藩には、他藩の出身ではあるが適塾出身者の山口良蔵と池田良輔が雇われ、洋学の教育や藩の対外的な仕事をしていた。更に、同藩出身で適塾に学んだ塩路嘉一郎も藩政改革の中心にいた。紀州からの大量の入門者があった背景には、これらの適塾同窓のつながりもあったに違いない。

 

 

 八人のうち、小泉信吉は、塾で学んだ後、英国に留学し、帰国後は、大蔵省に出仕し、さらに横浜正金銀行の設立に貢献した。また、明治二十年から二十三年にかけて塾長を務めた。また、後の塾長小泉信三の父親でもある。

 

 

 小泉家の墓は、多磨霊園にある。元々、「小泉信吉之墓」として上大崎常光寺にあったものを、改装した際に、「小泉家之墓」と彫り直して移されたものである。しかし、和歌山市の善稱寺(同市本町五丁目)にも小泉家の墓が残っている。信吉の父、文庫が亡くなった時に信吉が建てたもので、オベリスク型の墓石の側面には、「明治十六年五月二十九日 嗣子小泉信吉建之」と刻まれている。小泉家では、常光寺から多磨霊園に改装する際に、信吉の妻千賀の実家の林家の墓も引き取った。しかし、この善稱寺の墓は、寺の当時の住職が、そのままお墓を置かせて欲しいと願ったことから、そのまま残ることになったという。今日では、紀州出身者に関する、和歌山市内に残る唯一と言っても良い記念碑でもある。

 

 


善稱寺に残る小泉家の墓

 

 

 

和歌の浦

 

 

 小泉信吉は、横浜正金銀行副頭取、大蔵省の主税官等を経て、明治二十年、慶應義塾の総長(この時のみ、塾長とは呼ばずに総長と称した)に就任した。信吉は、資本金募集をはじめ、大学部開設に向けた準備を進めた。
 しかし、進級制度の整備に反対する学生の「同盟休校事件」への対応、大学部の主任教授を米国から招くための交渉等で福澤先生と信吉は意の合わない所が大きくなり、信吉は、明治二十二年の春、和歌山の和歌の浦に、病気を理由に引きこもってしまった。

 

 

 その時のことを小泉信三が「師弟」と題する随筆で記している。


「急に国へ帰るというので、母は福澤家に暇乞いに行った。後日の母の話によると、福澤先生は母に、おちかさん(母の名)、なぜ信さん(父の名)を止めてくれないのか、といったという。(中略)先生の言葉をきいて、夫の肩を持ち、「それもこれもみんな先生が悪いからじゃありませんか」といって、先生の前で泣いた(母の言葉通りでは、泣イチャッタ)という。」

「父は和歌山に帰って、和歌の浦の旅館に落ちついた。当時、和歌の浦は市から相当離れていた。その波の静かな岸に、その頃土地で有名だった「あしべや」という料理屋兼旅館があり、父と母と四歳の姉と私と女中とは、その家に永く滞在することになった。父は日々酒に不平をまぎらわせていたことであろう。」

 

 

 和歌の浦は、古くから風光明媚の景勝地として知られ、万葉の時代から多くの歌人によって歌われてきた地でもある。信吉一家が泊ったという旅館芦辺屋は、十七世紀半ばの慶安年間に造られた茶屋で、明治時代には料理旅館として多くの文人墨客が逗留した。例えば、明治三十四年には、ロンドンで知り合った孫文と南方熊楠がここで再会したという。


芦辺屋本館跡前から見た妹背山と旧芦辺屋別荘

 

 

 

 現在は、芦辺屋の本館は残っていないが、その跡には、「芦辺屋・朝日屋跡地」と題された説明板が立っている。また、脇には、天保四年に建てられた松尾芭蕉の句碑、背後には、鏡山と、塩竈神社、玉津島神社等がある。また、眼前には、石橋の三断橋を渡って、妹背山という本当に小さな島があり、そこには、多宝塔や観海閣等がある。このように、信吉が逗留した時の情景を偲ぶことができる。
なお、妹背山には、今日も、芦辺屋別荘の建物が保存されている。内海に浮かぶ小島ならではの風情があることから、皇族等が泊ることもあったと言う。明治二十年代の絵図にも描かれている建物なので、この地に来ると、小泉が滞在したのは本館か別荘かと想像したくなる。

 

 信吉の学問と人格を尊重していた福澤先生は、帰京を促す手紙を書いたが、それでは不十分と、当時、山陽鉄道社長として神戸にいた甥の中上川彦次郎が神戸から和歌山まで行き、説得に当たった。中上川と小泉は、ロンドンに同宿で留学した最も親しい関係にあった。

「師弟」の描写を読んでみたい。「母の昔語りによると、父は中上川を迎え、母と三人、漁師に船を出させて、人のいない海の上で話をした。父はこの親友に対して、憚りなく思うことをいったらしい。(中略)いずれにしても中上川は小泉の辞意の動かし難いことを復命した筈である。」

 

 

 芦辺屋からの海は、片男波の砂嘴に守られ、海面に殆ど波はない。その海に出て中上川と話した時の信吉の心境は如何であったろうか。信三は、続けて次のように記した。

「今の私は、塾長として塾務に対する干渉を憤る父よりも、無二の恩師がさしのべた手を握らなかった、そのあとの寂寥感になやむ父に同情したいと思う。」

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2015年8・9月合併号掲載

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2013年8・9月号掲載

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──能代・弘前・木造


2013年7月号掲載

第80回
紀州和歌山と義塾の洋学


2013年6月号掲載

第79回
福澤先生と演劇──三つの劇場と三人の歌舞伎役者


2013年5月号掲載

第78回
ヨネとイサム・ノグチ──二重国籍者の親子


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