慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第78回──三田評論 2013年4月号    
 

ヨネとイサム・ノグチ──二重国籍者の親子

 
 
 
     
  加藤三明(慶應義塾幼稚舎長)  
     
 

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萬來舍とノグチ・ルーム

 

 萬來舍は、明治九年福澤先生が、教員と学生が自由に出入りできる団欒の場として「千客万来」を望んで建てられたもので、二代目の建物が戦災で焼失していた。イサムは、父への思いを形にする機会として、さらに戦争で傷ついた若者たちが未来を語れる場を創造してデザインした。昭和二十六年八月に竣工したノグチ・ルームと呼ばれる部屋は、畳と楕円のソファー、靴を脱ぐ所と脱がない所、竹や和紙の素材を使ったモダンな照明など、西洋と東洋が統合された形になった。イサムは、西側の庭園制作にも精力的に取り組み、石の彫刻「無」と鋳造鉄棒で構成された「学生」のモニュメントを置き、玄関前には、金属板で構成された「若い人」を設置した。

 

 「視界は西に向ってひらけ、沈んでいく太陽が、私の彫刻「無」をシルエットにして浮き出たせ、天井からの光で点火してそれを石燈籠のようにします。碧空に向って聳える鉄の彫刻「学生」は、抱負溢れる学生諸君への私からの捧げものです」とイサムは語っている。

 

 しかし、萬來舍は南館(法科大学院校舎)建設のため、二〇〇三年に取り壊され、ノグチ・ルームの部分だけ移設保存されることになった。しかし、現状保存運動が起こり、米国イサム・ノグチ財団も現状保存を強く訴えたが、もし移築する場合はオリジナルの復元は許可せず、クリエイティビティなものが付加しなければならないと主張した。二〇〇五年に南館屋上庭園に移設したが、室内空間は、建築家隈研吾(元理工学部教授)が一階の天井を取り払い、メッシュを通して作品を眺めるようにし、庭園は世界的にも著名なフランスの環境デザイナー、ミッシェル・デヴィーニュが眺望の良い庭を作製した。「無」はここにかつてと同じ方角に向かって設置され、「学生」「若い人」は南館内に置かれている。

 

 イサムは、昭和四十九年から最上級の御影石、庵治石を産出する高松市牟礼町にマルと呼ばれる作業場を確保した。この頃のイサムは地球を彫刻すること、すなわち石の彫刻や庭園設計に魅せられていた。さらにここに丸亀の旧家を移築した住居を設け、春と秋の数か月滞在し、石の彫刻を行い、裏の段々畑のところを彫刻公園にした。
現在、ここはイサム・ノグチ庭園美術館になっている。高松駅からタクシーで二十分、周りには多くの石材店が点在している。

 


ノグチ・ルーム(慶應義塾三田キャンパス南館内)

 

 石垣のサークル「マル」には、完成、未完成百五十点の石の彫刻や作業蔵が置かれており、ここに立つとなぜか神々しさを感じる。私が訪ねたときは、青空が覗いているのに花びらが散るように雪が舞ってきた。説明板は一切なく、写真撮影も禁止していることが、その雰囲気を助長している。

 裏の彫刻庭園には、古墳のようなマウンドが築かれ、頂上に卵形の石が置かれている。中にはイサムの遺灰が収められているという。ここからは東に五剣山と石切り場、西に源平合戦の舞台屋島を望み、下には屋島と牟礼の町が広がっている。この美術館は、火・木・土曜開館、一時間のツアーが一日三回行われている。全て事前予約が必要である。

 

 

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 「二重の国を持ち、二重の育てられ方をした私にとって、
安住の場はどこだったのか?
私の愛情はどこに向ければいいのか?
私の身元はどこなのか?
日本かアメリカの、一方なのか、両方なのか、それとも世界に属しているのだろうか?」
(イサム)

父に憎悪の念を抱きながらも、芸術家として、また日米に生きた境遇に共感し、父の人脈にも助けられ、心の底では慕っている。もしかして、ヨネあってのイサムであり、イサムあってのヨネであったのかもしれない。二つの立方体を跨ぐように直方体が載ったヨネの墓は、イサムがデザインしたと伝えられている。

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