慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第70回――三田評論 2012年7月号    
 

電力の鬼・松永安左エ門(下)

 
 
 
     
  加藤三明(慶應義塾幼稚舎長)  
     
 

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白雲洞茶苑

 

 箱根板橋駅から箱根登山鉄道で約一時間、強羅駅から徒歩五分、強羅公園内に白雲洞茶苑という茶室が三棟ある一角がある。事の始めは強羅を開発した益田孝(鈍翁)が、寄より付つきとして「白雲洞」を、本席として「不染庵」を建て、大正十一年原富太郎(三渓)の所有となり、さらに「対字斎」が建てられた。昭和十五年安左エ門(耳庵)がこれらの茶室を手に入れ、「白雲洞の主人となるの記」を記し、今も白雲洞内に掲げられている。鈍翁、三渓、耳庵と近代の三大茶人に継承されてきたものだが、安左エ門没後、荒廃し、箱根登山鉄道に移譲、昭和五十七年に旧観に復し、現在公開されている。対字斎は、席の正面に大文字焼きの「大」の字を見ることができる明星ヶ岳を望み、絶景である。対字斎の名もここに由来するという。

 


 この他にも安左エ門は、熱海に小雨荘を、伊豆堂ヶ島に一日庵という茶室を有した別荘を所有していた。写真家杉山吉良も松永に魅せられた一人で、写真嫌いであった松永の晩年を撮り続け、昭和四十二年「松永安左エ門」写真展を開催し、『写真集松永安左エ門』をも出版した。前号に掲載したが、杉山が撮影した満九十二歳頃の安左エ門のポートレートがある。彼の面構えは、好々爺というものでなく、鋭い眼光、真一文字に結んだ口、年輪のような皺から溢れ出る気概を感じ、その迫力に圧倒される。

 

 


 杉山の松永に対する追悼文「伊豆堂ヶ島」には、九十四歳の松永がいきなりサルマタ一つになり、泳ぎ出したと記されているほどの壮健ぶりであったが、昭和四十六年六月十六日、アスペルギルス症(真菌による感染症)に侵され、慶應病院において満九十五歳で逝去する。逝去する十年前に書いたという遺言状が、壱岐松永記念館に展示されているが、これが最高に痛快である。

 

 


「白雲洞の主人となるの記」

 

 

 

遺言状

 

 一つ、死後の計らいの事何度も申し置く通り、死後一切の葬儀・法要はうずくの出るほど嫌いに是あり。墓碑一切、法要一切が不要。線香類も嫌い。死んで勲章位階(もとより誰もくれまいが友人の政治家が勘違いで尽力する不心得、かたく禁物)これはヘドが出る程嫌いに候。財産はセガレおよび遺族に一切くれてはいかぬ。彼らがダラクするだけです。(衣類などカタミは親類と懇意の人に分けるべし、ステッキ類もしかり)

 

 

 小田原の邸宅、家、美術品、及び必要什器は一切記念館に寄付する。これは何度も言った。つまらぬものは僕と懇意の者や小田原従業者らに分かち与うべし。
借金はないはずだ。戒名も要らぬ。以上、昭和三十六年十二月八日

 

 

 軍部に追従する官僚を「官吏は人間のクズだ」と言い放ったほどの官僚嫌い、権力嫌い、そして勲章嫌い。その彼が、国家の圧力を受けないように、電力会社に自主性を担保しようと考え出したのが九電力体制(現在は沖縄電力を加えて十電力体制)である。しかも、戦時中、民営の配電会社があったものの、発送電は国家に握られて、全ては国家管理になった苦い経験から、九ブロックに分けた電力会社に発送電、配電全てを握らせた。

 

 

 しかし、昨年三月の原発事故以後、十電力体制による独占の問題、発送電分離の問題などこの体制の見直しが議論されている。大正十二年には、水力の関東と火力の関西で電力を融通しあう送電連係も計画していた。さらに松永は著書『可笑しけりゃ笑え』で、イギリスのコールダー・ホール原子力発電所の火災事故について触れている。事故は技術とか放射能の問題ではない。専門的な知識を知らない軍人や役人が天下ってきたことによる人災であるという主旨の事故報告書序論を引用し、最後は自分の言葉で次のように結んでいる。

 

 

 「この最近の調査団報告の劈頭第一に書いてあることが、いかに日本の産業大会社や政府の公共企業体等に行われている位本位、鰻上り、立身出世主義、権力による実力などが日本全体を毒しているか、三毒追放位の小毒ではないことを銘記してほしい。」

 

 

 安左エ門は、天国で今の日本の様子をどう見ているであろうか。「民」の独立・伸長のために「官」と闘い続けた松永の生き様は、師福澤先生の生き様そのものであった。

 

 

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