慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第70回――三田評論 2012年7月号    
 

電力の鬼・松永安左エ門(下)

 
 
 
     
  加藤三明(慶應義塾幼稚舎長)  
     
 

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慶應義塾志木高等学校(志木高)

 

 昭和十二年、東邦電力創立五十周年を記念して博多に科学技術研究機関の東邦産業研究所を設立、さらに昭和十五年、当研究所東京試験所を志木駅前に開設した。この土地選定には、懇意にしていた東武鉄道・根津嘉一郎の示唆があったと言われる。戦後、当研究所が解体されるに及んで、昭和二十二年九月、当研究所の理事長であった安左エ門が、志木の土地四万五千坪、建物延べ三千坪を慶應義塾に寄付した。

 


 しかし、当時は未だ以前の東邦産業研究所及びその付属施設があって、従業員の中には雇用の問題から義塾への移管に反対する者もあり、また軍の要請を背景に半ば強制的に買い上げられた元の地主たちは、「土地を慶應に寄付するなら自分たちに返せ」とばかりあちらこちらに移管反対のプラカードやムシロ旗を立てた。学校の実習農地になることや、かつての従業員は、希望があれば義塾が雇用することで、反対運動は収束した。

 

 

 昭和二十二年十二月には川崎蟹ヶ谷から慶應義塾獣医畜産専門学校が移転(翌々年三月廃止)、昭和二十三年四月、普通農業教育を行う慶應義塾農業高等学校が開設され、さらに当校は昭和三十二年四月、高等普通教育を行うこととして、慶應義塾志木高等学校と称するようになった。

 


 門を入ると、左手に安左エ門の胸像があり、胸像背面に「財團法人東邦産業研究所昭和十九年一月四日」と刻まれている。校長室には安左エ門が東京試験所落成式の日に自筆で記した「産業研究所之記」の額が飾られている。また、志木高創立三十周年を記念して、昭和五十三年元東邦電力関係者からこれまでの経緯を記した金属の説明板が贈られ、中央棟に掲示されている。そして下村裕志木高校長は、入学式で必ず安左エ門の話をされるなど、安左エ門の心が今も志木高で伝え続けられている。

 


 市の道路建設によって、今ダイエーがある西側の区画と、かつて寄宿舎があった北側の区画が飛び地になってしまい、売却したにもかかわらず、今も三万七千坪という広大な敷地を有している。校内には鬱蒼とした雑木林が広がり、かるがもが営巣し、野火止用水跡が横断し、武蔵野の風情を十二分に残している。

 


 志木高の地は、柳瀬山荘からも、平林寺からも約四キロの距離にあり、この三カ所を結ぶと一辺約四キロの三角形となり、安左エ門にとって徒歩圏内であった。

 



志木高の胸像

 

小田原松永記念館

 

 昭和二十一年十一月から安左エ門が住んでいた所は、箱根登山鉄道箱根板橋駅から徒歩十分に位置し、現在小田原市郷土文化館分館「松永記念館」がある。記念館本館は、安左エ門が戦後蒐集した古美術品を公開して広く愛好者に親しんでもらおうと、昭和三十四年に建てられたものである。昭和五十四年に敷地と建物が小田原市に寄付され、翌年から開館したが、多くの美術品は福岡市美 術館、京都国立博物館に寄贈された。圧巻は平成十三年から公開されている晩年を過ごしていた「老ろう欅きょ荘そう」である。四畳半台目の茶室や三畳大の床の間を設けた広間、母屋に取りつく三畳の寄より付つきなど近代数寄屋建築の粋を感じることができ、著名な文化人、政治家、実業家などを招いて、多くの茶会が催された。三畳大の床の間について「これは私が死んだら屍体を置くために、私の寸法に合わせて作らせました。一かず子こにも頼んでおきますが、私が死んだらここへ横に寝かせてその前に水を備え、青磁の大香炉をおくだけで、その他のものは何もおかないで、そして老師に短いお経を読んでもらえば結構ですからよろしく頼みます。」と語ったと、平林僧堂師家・白しろ水うず敬けい山ざんが書き残している(ここに遺体が安置されることはなかった)。

 

 


老欅荘

 

 

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