慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第62回――三田評論 2011年11月号    
 

北海道の開拓者(下)――沢茂吉・川田龍吉・中村千幹

 
 
 
     
  加藤三明(慶應義塾幼稚舎長)  
     
 

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中村千幹


 富良野開拓の父と呼ばれる中村千幹(ちから)は、慶應二(一八六六)年筑後国御井郡上津荒木(こうがらき)村(現福岡県久留米市上津(かみつ)町)で生まれる。慶應義塾に学んだ、と『富良野市史』『富良野事典』『富良野市人物事典』に記されているが、沢茂吉もそうであったように『慶應義塾入社帳』にはその名を見出せない。『扇山郷土誌』(昭和三十二年発行)に「北海道開拓の命を受け明治二十九年福澤諭吉先生の書状を手にして時の開拓使長官黒田清隆に面接、」という記述がある。

 

 千幹は、同年、滝、密林、断崖絶壁を乗り越えながら空知川を遡り、富良野に入地、翌年旭川経由で富良野の扇山に入植し、筑後組合農場を起こして、支配人となった。

 

 明治三十二年、滝川〜釧路間を結ぶ十勝線の鉄道工事が始まると、入植者が急増し、市街が形成されるようになった。しかし、旭川まで六十五キロの道のりにもかかわらず、徒歩で往復一週間も掛かった。そこで、扇山を中心に道路整備に取り掛かり、これが国道三八号線の基盤となった。また、大正二年、稲作を始めるため、布礼別(ふれべつ)川の灌漑工事に着手し、富良野における農業の成功を確実なものとした。

 

 千幹は、永住の地を今の扇瀬(おうせ)公園(富良野市東町二二)の地に定めた。ここにある沼は、底からカルシウムを含んだ鉱泉が湧き出しており、この水を湯に用いたというが、癌に冒され、大正五年、五十一歳で没する。墓は富良野市東九線墓地南一二番地七号にあり、「慈照院大誉恵博千幹居士」と刻まれている。

 

 彼の胸像が、富良野市役所前庭にある。富良野市開基七十周年を記念して、昭和四十四年に建立されたものである。

 

 また、富良野駅より約四キロ南にある富良野市扇山地区公民館に、昭和二十八年に建立された「開拓碑」があり、中村の事業を顕彰している。公民館裏の土地に、千幹がきゅうりの種を蒔いたことから、まさに作付けが始まった。開拓前は昼なお暗い森林であったが、ここから見る今の富良野盆地は、見渡す限り農地が広がり、メロン、すいか、とうもろこし、ジャガイモ、たまねぎ、にんじん、アスパラ、かぼちゃ、米など、実に多くの農産物を産出している。
 

 

 福澤先生は、『時事新報』の社説「北海道の遺利惜しむべし」(明治十五年十一月三十日)において、北海道開拓は、個人として資産を成す道だけでなく、「日本帝國の利益、實に是より大なるはなきなり。我輩は遺利多きを見て之を惜しむこと甚し」とし、「北海道開放」(明治二十二年九月五日)においては、北海道開拓に関して、法律・税に優遇措置を設け、産業の振興を図るべし、そのために鉄道建設が急務であるという意見を述べている。このような福澤先生の考えに、陰に陽に影響を受けた依田勉三、沢茂吉、川田龍吉、中村千幹が艱難辛苦に耐え、北海道興隆の礎を成した。『富良野市史』には、「慶応義塾出身で千幹の先輩であり、後世に十勝開拓の父としてあまりにも有名な依田勉三が、後輩の千幹をいつも叱咤激励していたといわれ、千幹もまた開拓者をはげました。」と記されている。

 

 

中村千幹氏之像

 

 

 

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