慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第61回――三田評論 2011年10月号    
 

北海道の開拓者(上)――依田勉三

 
 
 
     
  加藤三明(慶應義塾幼稚舎長)  
     
 

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途別農場


 また明治二十八年頃から、帯広から約八キロ離れた幕別村(現中川郡幕別村依田)に途別農場を開き、水稲の試作を重ねた。冷害、凶作で殆どの小作人が去ってしまったこともあったが、地道な努力により水田経営も軌道に乗り、大正九年十一月、伊豆から兄もわざわざ来訪し祝宴を開いている。晩成社唯一の成功例と言っていいであろう。しかし、晩成社全体の経営を押し上げるほどには至らなかった。

 

 JR札内駅から三キロ強、幕別町依田近隣センター近くに大正九年に建てられた佐二平撰文の「途別水田の碑」と、当地を徳源地と名付けたことから「徳源地の碑」、昭和五十九年に建てられた「依田勉三翁頌徳之碑」が立つ。また、十勝幕別温泉グランヴィリオホテル前、依田公園の幕別ふるさと館内には、途別農場で小作人が使用していた「きまり小屋」が移築され、唯一現存している。

 

 間口三間、奥行二間の決まりきった大きさから「きまり小屋」と呼ばれた。当時は戸数が十数戸あり、入り口にはムシロを下げ、カンテラを灯し、冬は寝間に藁を入れ、囲炉裏を囲んで寒さをしのいだという。

 

 

きまり小屋

 

 


逝去


 大正十三年春より、勉三は中風に罹り、同十四年十二月十二日、帯広町西2条9丁目の自宅で「晩成社にはなにも残らん。しかし、十勝野には・・・」と語り、息を引き取った。

 

 享年七十三。そして、晩成社も多くの負債を抱え、創業五十年の満期を迎えた昭和七年、倒産同様に解散している。勉三の墓は、帯広墓地(東8南14)の中央やや南よりにある。墓は、昭和四年に嗣子依田八百により建てられたものだが、平成二十一年十月改修と記されているせいか、墓石はたいへん美しく、「依田家之墓」と刻まれ、戒名は「晩成院帯水浄源居士」となっている。

 

 

六花亭


 帯広に本社を持ち、塾員小田豊氏が社長を務める製菓会社「六花亭」では、勉三にちなんだ名の菓子を製造している。最も有名なのは「マルセイバターサンド」で、包装紙が明治三十年頃晩成社で作られたバターのラベルから意匠したものである。また、「十三戸」というこし餡入りの焼き菓子は、初雪の降る民家をイメージしたもので、入植時の十三戸から。「ひとつ鍋」というお鍋をかたどった餅入り最中は、「開拓の 始めは豚と 一つ鍋」の勉三の歌から。「万作」という桃山風の菓子は、福寿草が春一番に早く咲くところから、晩成社の人たちは福寿草のことを「まず咲く」がなまって万作と呼んでおり、勉三が詠んだ「万作や 何処から鍬を おろそうか」の歌から、それぞれ命名されている。

 

 なお、六花亭は帯広に隣接する河西郡中札内(なかさつない)村に、画家小泉淳作氏(特選塾員)の作品を展示する小泉淳作美術館を所有しており、本誌の扉絵もそこからお借りしている。

 

 

マルセイバターサンド

 

 

帯広百年記念館


 明治二十八年、人口三百人ほどの帯広に、囚人千三百人、職員二百人の北海道釧路集治監十勝分監(通称十勝監獄)が置かれ、受刑者によって街路が整備されるなど、帯広発展の契機になった。十勝監獄跡の帯広緑ヶ丘公園にある帯広百年記念館の常設展示「開拓の夜明けと発展」に「晩成社」のコーナーが設けられ、勉三の功績を讃え、彼の偉業を今も市民に伝えている。展示品には、マルセイバターの容器やレッテル、コンデンスミルクのレッテル、勉三が伊豆を出発する前日に詠んだ直筆の書「留別の詩」などもある。

 

 勉三の事業は、失敗したと言っていいだろう。もう少し時代が下っていたら、販路や需要の問題も変わっていて、勉三への風が吹いたかもしれない。しかし、平成二十三年六月の帯広市の人口は約十七万人で、十勝地方の中心都市である。勉三の蒔いた種が実った結果とも言えるのではないだろうか。勉三の銅像の顕彰文にも「十勝国ノ今日在ルハ君ノ先見努力ノ賜ナリ」の一文がある。

 

 札幌円山公園にある北海道神宮内に、昭和十三年、北海道開拓に貢献した三十六柱を祀る開拓神社が建立され、同二十九年、勉三は三十七柱目の祭神として合祀された。彼の業績が認められた結果であろう。

 

 

 

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