慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第61回――三田評論 2011年10月号    
 

北海道の開拓者(上)――依田勉三

 
 
 
     
  加藤三明(慶應義塾幼稚舎長)  
     
 

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 依田勉三(よだべんぞう)は、嘉永六(一八五三)年伊豆国那賀郡大沢(現静岡県賀茂郡松崎町)の豪農の家に生まれ、明治三年に上京、同七年に慶應義塾に
学ぶ。福澤先生の影響を受け、北海道開拓の志を立てるが、胃を病み、二年在学の後、退学し帰郷する。同十二年、兄佐二平は豆陽学校を設立した。勉三も設立に尽力し、そこで教鞭をとっていた。

 

 勉三の生家は、現在「依田之庄大沢温泉ホテル」となっている。伊豆急線蓮台寺駅からバスで三十分のところにある大沢温泉ホテルは、築三百年といわれる庄屋屋敷を改装して客室にしていたり、なまこ壁の土蔵が史料館になっていたり、和の情緒錺れる宿になっている。豆陽学校はやがて県立の旧制中学校となり、戦後は静岡県立下田北高校と改称。

 

 平成十六年に敷地内に依田佐二平・勉三の胸像が建立された。下田北高校は、平成二十年に下田南高校と合併し、下田北高校の跡地に下田高校(蓮台寺駅より徒歩十五分)として開校したが、胸像はそのままである。

 


帯広


 明治十四年、北海道開拓の夢を捨て切れない勉三は、単身北海道に渡り、開拓のための調査を行い、十勝に目をつける。翌年、未開地一万町歩(約一千万裃)の払い下げを受けて開墾をするため、兄佐二平はじめ親族等を発起人として晩成社を設立し、当時、アイヌ十戸、和人一戸の集落であった十勝のオリベリ(現帯広市)を開墾予定地とする。同十六年、十三戸二十七人が帯広に入植するが、天候不順の上、鹿猟の野火、イナゴの大群、兎・鼠・鳥などに襲われ、殆ど収穫をすることができず、惨状を極めた。

 


 帯広の晩成社跡地であった帯広神社前の中島公園には、「依田勉三の銅像」が立つ。帯広出身の歌手中島みゆきの祖父で、帯広商工会議所会頭、帯広市議会議長を務めた中島武市が、土地と銅像建立の費用を負担して昭和十六年に完成したものである。太平洋戦争の金属供出に遭ったが、昭和二十六年に再建された。

 


 銅像より東八百メートルの地、国道三八号と南五丁目通が交差する所に「開基明治十六年帯広発祥の地」の碑(昭和四十一年建立)が立っており、入植者たちが豚と同じものを喰っていたという意の勉三の歌、「開拓の始めは豚と一つ鍋」が裏面に刻まれている。現在、ここの町名は依田町になっている。

 

依田勉三の銅像

 

 

晩成社当縁牧場


 明治十九年、食糧不足を打開するため、帯広から四十キロも離れた当縁(とうべり)郡当縁村生花苗(おいかまない)(現広尾郡大樹町(たいきちょう)晩成)に酪農を主とした千七百ヘクタールの農場を開設した。蒸気機関を利用した工場も建設し、現在十勝の名産となっている牛肉、ハム、バター、練乳、そして大和煮などの缶詰を生産するが、販路の確保が困難で、しかもまだ需要が少なかったこともあって、これらの先進的事業は赤字を増やすだけの結果となった。

 


 開墾も当初十五年で一万町歩という目標であったが、十年掛かってやっと三十町歩という状況であった。国道三三六号から生花(せいか)郵便局角を生花苗(おいかまない)沼とーへ向かい、その途中にある人里離れた当縁牧場跡は、晩成社史跡公園として整備されている。半地下式のサイロ跡、井戸跡、室跡があり、明治二十六年から大正四年まで勉三が住んでいた住居が平成元年に復元された。四畳ほどの居間と土間、物置、風呂場しかない粗末な家である。

 

 

当縁牧場の勉三住居 正面


当縁牧場の勉三住居と風景

 

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