慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第57回――三田評論 2011年5月号    
 

芸術は爆発だ!――岡本太郎

 
 
 
     
  加藤三明(慶應義塾幼稚舎長)  
     
 

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  昭和43、4年にメキシコでホテルのために制作され、行方不明だった横30メートルもある壁画「明日への神話」(現在渋谷駅に設置)が、平成15年にメキシコで発見されると、にわかに岡本太郎の名を再び、耳にするようになった。
 今年は、岡本太郎生誕百年に当たり、いくつかの催しが開催される。NHKでは、ドラマ「TAROの塔」を放映、東京国立近代美術館では3月8日から5月8日まで「岡本太郎展」が開催され人気を博した。混沌とした今の世の中において、情熱を持って、権威・権力に媚びないストレートな太郎の作品と生き方に共感
するのであろうか。
 明治44年2月26日、神奈川県橘樹郡高津村二子(現川崎市高津区)の母の実家、旧家「大和屋」大貫家で岡本太郎は生まれた。父は、後に漫画家として一世を風靡(ふうび)した岡本一平。母は、歌人として、後に小説家として名を成す岡本かの子である。
 二子新地駅から程近く、大山街道に面した大貫家の跡は、二子二丁目公園とマンションになっており、「大貫家の人々」という案内板が立っている。その近く、多摩川のほとり、二子神社には昭和37年、太郎作のかの子文学碑「誇り」が、川の生命に身をあらわし、たくましく生きぬいた人間のあかしとして建っている。
 太郎は就学年齢となるが、三度転校を繰り返し、大正7年、一年生をもう一度やる形で慶應義塾幼稚舎に入学する。寄宿舎でいじめに遭ったり、自殺を考えたり、太陽と話したり、嫌な先生の授業は耳を塞いでいたり、そんな子供だった。太郎は普通部卒業後、東京美術学校(現東京藝術大学)に入学するが、一年後にパリに渡っている。
 平成2年、歌手の藤山一郎氏が幼稚舎生に話をして下さった時、「幼稚舎の時、僕の成績はビリから二番目、一番ビリは岡本太郎です」と笑いを誘っていた。普通部での話かもしれないし、真偽の程も確かではないが、この話をよく吹聴していたらしい。これに対して太郎は、「おまえは全部授業に出て、ビリから二番目じゃないか。僕は一日も出ていないんだから、ビリでもしかたない」と。同級生で小説家の野口冨士夫は『いま道のべに』に、昭和15年、パリから帰国した太郎の歓迎の席を設け、自分は子供の頃から天才だったという太郎に「ちっとも進歩してねえってことなんだ」とからかっている。

 


幼稚舎 大正13 年卒業アルバムより、
左から2 番目が岡本太郎。

 

岡本太郎記念館

 青山高樹町三番地に一平、かの子、太郎一家は永らく暮らした。当時、この周辺は浅野の森と呼ばれる鬱蒼とした森があるなど、まだ田舎の風情を残しており、太郎はそこを裸足で駆け回っていたという。
 昭和29年、太郎はこの青山の地に戻り、ル・コルビュジエの弟子で友人である坂倉準三の設計で、住居兼アトリエを建て、平成八年の逝去まで、そこに住まっていた。
 表参道駅から歩いて八分程、港区南青山6一19の旧岡本太郎邸は、平成10年から岡本太郎記念館として作品を展示し公開されている。
 太郎は、作品がガラスケースに入れられることを好まず、「切られてなにが悪い! 切られたらオレがつないでやる。それでいいだろう。こどもが彫刻に乗りたいといったら乗せてやれ。それでモゲたらオレがまたつけてやる。だから触らせてやれ」という考えであった。そういう考えが継承されているのか、写真撮影を禁じていない。
 絵の具が床に飛び散ったままのアトリエには、毛に絵の具が染みた筆や未完のキャンパスなどが置かれており、太郎がここでいつでも作品に取り掛かれる様相を呈している。


川崎市岡本太郎美術館

「芸術は大衆のもの」という考えの太郎は、作品を個人に売るということをしなかった。一枚しかない絵を金持ちなどに売ってしまうと、大切にしまわれて、みんなの目に触れることがなくなってしまうことを嫌ったからである。だから、多くの作品が手元にあった。
 平成三年、太郎は352点の作品を、母と自分が生まれた川崎市に「オレは絵は売らない主義だ。だから売らない。その代わりに全部やる」と寄贈し、これを受けた市は美術館建設を決定した。平成5年に1427点が追加寄贈され、美術館建設の計画が進むが、川崎市岡本太郎美術館が開館したのは、逝去3年後の平成11年であった。絵画、オブジェなどが余裕をもって展示され、屋外には、昭和46年に原型が製作された「母の塔」が聳(そび)え立っている。場所は生田緑地内にあり、向ヶ丘遊園駅より徒歩15分の所になる。

 

 

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