慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

慶應義塾の風景
三田評論表紙
2016年7月号表紙


space今月の特集spaceKEIO PHOTO REPORTspace立ち読みspace三田評論とはspace次号予告space前号紹介spaceバックナンバーspace講読方法space
  メインページ->立ち読み  
  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第46回    
  電力王 福澤桃介
 
 
 
  加藤三明(慶應義塾幼稚舎長)  
     
 

12
 
 

 大正13年12月には、桃介が手懸けた七つの発電所の中では最大の大井発電所が完成している。工事中に関東大震災があり、資金難になった折に、桃介自ら渡米し、民間初の外債を導入したり、度重なる洪水災害に遭ったり、幾度もの危機を切り抜けた上での完成であった。他の発電所は、上流の取入口から水を導水路で、発電所上の水槽まで引き、水槽からの落下で発電するものであるが、大井発電所はダムで水を堰き止めて、落下させて発電するもので、日本初の本格的な高堰堤をもつダム水路式発電所である。恵那駅から4キロ程の所にあるダム見学者駐車場から遊歩道を下っていくと、堰堤上脇にでるが、ここに福澤諭吉先生のレリーフをはめ込んだ大きな「独立自尊」の碑がある。この碑は発電所完成時に製作したようであるが、養父の先生に対して尊敬、反感、対抗と入り混じった感情を持っていた桃介が、この大事業の成功をもって先生に対する反感の壁を乗り越えた証拠がこの碑ではなかろうか。

 

大井ダム
 
大井ダム

 大井ダムの建設により人造湖が生まれ、恵那峡として観光名所になっている。恵那峡観光ジェット船発着場の所にあるさざなみ公園に「電力王福沢桃介翁像」(昭和59年五月建立)という桃介の立像とそこから数メートル離れた所に「川上貞奴女史碑」(昭和60年4月建立)という貞奴の顔のレリーフを埋め込んだ石碑がある。恵那観光協会は、恵那峡60年祭記念事業として、というよりやはり「春の波顰」放映を意識して、桃介と貞奴が並んだ立像を計画した。桃介の子孫の承諾は得たものの、貞奴の子孫は福澤家に配慮して承諾しなかったが、レリーフならということでこの形になったという。

 

 桃介の壮大な構想で、木曽川水系において作られた電力は木曽山脈から濃尾平野、鈴鹿山脈を越える全長238キロの送電線で、大阪門真市の古川橋変電所(現古川橋電センター)に送られた。この変電所は、大正十一年に建設され、その建物の正面に「曽水一條電 浪華萬燭春」(木曽川の水で電気が起き、浪花(なにわ)は多くの灯りで春のようだ)という桃介の漢詩が掲げられていた。平成19年6月、建物は取り壊され、今は漢詩の額がはめ込まれた碑が電力センター内に残されている。現在、木曽川水系の発電は、全て関西電力が管理している。

 

 桃介以降も木曽川水系の電源開発は続けられ、昭和61年「伊奈川第二発電所」の運転開始により、32の発電所が稼働、合計出力百万kwを超した。これを記念して須原発電所に隣接して「木曽川電力資料館」が作られ、金属供出を免れた賤母発電所紀功碑の桃介による篆額「恩河深而無底」(河の恩は深くて底の無し)や大井ダム建設の際の外債、桃介のパスポート写真などが展示されている。但し、この資料館は無人のため、見学は事前に関西電力東海支社(TEL052-932-7412)に連絡が必要である。

 

 桃介は、昭和3年に還暦を迎え、実業界引退を表明する。その記念として昭和5年に「福澤桃介先生寿像」を完成させる。大正13年、外債交渉の渡米の折、ユニオン大学からドクター・オブ・サイエンスの学位を贈られているが、この像はその学位の角帽・着衣姿になっている。「木曽川電力資料館」の裏手の「桃介公園」には、この寿像と「水然而火」と書かれた「百万kw達成記念碑」がある。この寿像は、中部電力の上村(矢作川)、南向(みなみかた)(天竜川)、北陸電力の吉野谷(手取川)の各発電所にも置かれている。また、この寿像の小型のレプリカが「福澤桃介記念館」に展示されており、木箱に貞奴の希望により制作、知福澤桃介先生寿像 桃介公園人に頒布したという旨が桃介の手で箱書きされている。

 

 桃介は、昭和13年2月15日、渋谷の本邸(旧渋谷区上智町48、現恵比寿プライムスクエア)において69歳で永眠し、墓所は多磨霊園にある。昭和15年11月、大同電力、東邦電力、名古屋鉄道、矢作水力、大同製鋼と桃介が指揮をとった5社が協賛して、日泰寺(名古屋市千種区覚王山)に「福澤桃介君追憶碑」が建てられ、今に至っている。因みに、貞奴は昭和21年に75歳で、房は昭和29年に84歳で逝去している。

 

福澤桃介先生寿像 桃介公園
 
福澤桃介先生寿像 桃介公園
line

 

これまでの史跡めぐり
本連載は終了しました。
バックナンバーをご紹介しています。

第102回
三田通り周辺


2015年8・9月合併号掲載

第101回
武藤山治


2015年7月号掲載

第100回
金玉均


2015年6月号掲載

第99回
大講堂


2015年4月号掲載

第98回
阿部泰蔵と門野幾之進


2015年3月号掲載

第97回
日吉キャンパスの遺構と施設


2015年2月号掲載

第96回
学食の変遷


2014年12月号掲載

第95回
神津家の人々


2014年11月号掲載

第94回
水上瀧太郎
──文学と実業の二重生活


2014年10月号掲載

第93回
関東大震災とキャンパス
──三田・四谷の被害と復興


2014年8・9月号掲載

第92回
堀口大學


2014年7月号掲載

第91回
陸上・水上運動会の変遷


2014年6月号掲載

第90回
平和来
──卒業二十五年塾員招待事始夫


2014年5月号掲載

第89回
望郷詩人──南紀の佐藤春夫


2014年4月号掲載

第88回
下田グラウンド


2014年3月号掲載

第87回
予防医学校舎と食研
──空襲の痕跡


2014年2月号掲載

第86回
新田運動場


2014年1月号掲載

第85回
越後 ──西脇順三郎と吉田小五郎


2013年12月号掲載

第84回
修善寺 ──幼稚舎疎開学園


2013年11月号掲載

第83回
神宮球場


2013年10月号掲載

第82回
富士見高原
──空気はよし風俗は朴素なり


2013年8・9月号掲載

第81回
みちのくの史跡を訪ねて
──能代・弘前・木造


2013年7月号掲載

第80回
紀州和歌山と義塾の洋学


2013年6月号掲載

第79回
福澤先生と演劇──三つの劇場と三人の歌舞伎役者


2013年5月号掲載

第78回
ヨネとイサム・ノグチ──二重国籍者の親子


2013年4月号掲載

これ以前の連載はこちら

 
 
   
line  
 
 
 
  12  
 
TOPへ戻る
 

 

 
Copyright (C)2004-2010 Keio University Press Inc. All rights reserved.