慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第46回    
  電力王 福澤桃介
 
 
 
  加藤三明(慶應義塾幼稚舎長)  
     
 

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  桃介は、農家岩崎紀一の次男として、慶應4(明治元)年5月6日現在の埼玉県比企郡吉見町荒子に生まれた(現在、東吉見郵便局前に「生誕の地」の立て札がある)。慶應義塾に在学中、留学させてもらうことを条件に福澤先生の次女房(ふさ)の婿養子となり、福澤姓となった。彼は、日本各地の豊富な水力を利用した電源開発を行い、その電力を利用した多くの殖産事業に関わり、「日本の電力王」「財界の鬼才」と称される人物である。桃介が名古屋を拠点とした中部地方の事業に関わるようになったのは、明治42年、慶應出身の矢田績(やだせき)(三井銀行名古屋支店長)の勧めで、名古屋電燈の株を買い占めて筆頭株主になったことからである。最終的に桃介が関わった中部地方の業はなんと22に上る。

 

 名古屋電燈本社のあった所には、現在中部電力による「でんきの科学館」(名古屋地下鉄伏見駅下車すぐ)があり、多くの子どもたちが楽しみに来ている。その四階の片隅に「でんき資料室」があり、昭和7年に来日したイタリア人彫刻家ぺシーの手による大理石の桃介胸像や桃介の書「水然而火」(水燃えて火となす)など、桃介関係の資料がいくつか陳列されているが、気に留める人は全くいない。大正3年、名古屋電燈社長に就任すると、水量豊富で急流である木曽川の電源開発に情熱を燃やし始める。電力開発は当時の緊急課題であったが、火力発電は、常に燃料費が掛かり、石炭もいつ枯渇するかもしれない。一方、水力発電は、最初の投資は大きいが、完成後の経費は少なくて済む。

 

 大正6年の賤母(しずも)発電所起工を皮切りに、7年大桑発電所、10年須原発電所、大井発電所、読書(よみかき)発電所、11年桃山発電所、13年落合発電所を起工し、木曽川に七つの発電所を完成させた。以上のような経緯があって、桃介は本拠地を名古屋に移し、貞さだ奴やっこと同居するようになった。その昔、14歳の貞奴と十七歳の桃介は偶然出会い、お互い淡い恋心を持つようになっていたが、貞奴は芸者として伊藤博文を始め明治の元勲の贔屓(ひいき)となり、明治24年に川上音二郎と結婚し、女優として一世を風靡した。音二郎が明治44年逝去してから、桃介の後援を受けるようになっていたが、女優を引退して桃介との同居に至った。

 

 大正九年ごろには、名古屋市東区東二葉町(現白壁三丁目九・十・十三)、台地の北端にあって遠く御嶽山を望む二千坪という広大な敷地に「二葉(ふたば)御殿」と呼ばれるほどの豪邸を建てた。表札には「川上貞」と記され、名義も貞奴のものであったが、資金は桃介が調達した。木曽川電源開発を進める上で大切な政治家や財界人を招き、その接待に貞奴が当たるという場にふさわしく、大広間は円形のソファーがあり、ステンドグラスで装飾され、螺旋階段で二階へ上がるという優雅な雰囲気を醸し出している。昭和13年に売却されてから、敷地は分割され、建物も一部取り壊されたが、平成十二年建物が名古屋市に寄贈され、平成17年2月、東区橦木町(しゅもくちょう)三丁目に移築・復元が完成し、「文化のみち二葉館」として公開されている。

 

旧島原藩黒門 (慶應義塾福澤研究センター所蔵)
 
二葉館

 木曽川電源開発の現地監督用別荘としては、大正8年、南木曽(なぎそ)駅から木曽川を渡った地に大洞山荘(大同電力一号社宅)を建設した。洒落た総二階建ての洋館の山荘に、桃介は貞奴を連れて滞在し、発電所建設の陣頭指揮に当たった。昭和35年に火災で二階を焼失したが、貞奴、音二郎、桃介を描いたNHK大河ドラマ「春の波顰」の放映に合わせて、昭和60年に「福澤桃介記念館」として公開され、平成9年に当初の二階建ての姿に復元された。

 

 この山荘から程近いところに、読書発電所の建設資材運搬用として木曽川に架けられた全長247mのつり橋がある。「桃之橋」と命名されたが、「桃介橋」という呼称で定着してしまった。昭和53年には老朽化のため、通行不能となってしまったが、平成5年復元工事が完成し、通行可能になった。そして、桃介橋、読書発電所、そして読書発電所への導水路の柿かき其ぞれ水路橋が国の重要文化財(近代化遺産)に指定されている。読書発電所の建物は、半円の窓や屋上に突き出た明かり窓、飾り壁などアールデコ調のデザインになっているが、桃介が手懸けた7つの発電所は、現代の発電所に見られる無機質なデザインでなく、どの発電所にも特徴的な意匠が加えられ、個性あるものになっている。

 

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