慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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2016年7月号表紙


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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第44回    
  咸臨丸(上)
 
 
 
  加藤三明(慶應義塾幼稚舎長)  
     
 

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5. サンフランシスコでの咸臨丸

 咸臨丸は冬の嵐に遭遇しながらも38日間の太平洋の航海を終え、2月27日(3月17日)ゴールデンゲートの海峡を通過して、サンフランシスコ湾に入り、午後一時サンフランシスコ港ヴァレーホ街埠頭(Vallejo Street Wharf)の沖に投錨、一行はヴァレーホ街埠頭より上陸し、初めてアメリカの土を踏んだのである。
 以下の記述は、私は昭和62年にサンフランシスコを訪れ、福澤先生の史跡を巡ったときの記録を元に執筆したため、現在と異なる点があるかもしれないことをお断りしておきたい。
 ゴールデンゲートの南側、太平洋に面したリンカーン公園に「咸臨丸入港百年記念碑」(大阪市長中井光次書)がある。この碑は昭和35年5月17日、日米修好通商百年記念としてサンフランシスコと姉妹都市である大阪市が贈ったものであり、大阪は、先生が生まれ、適塾で若き血を沸かせた土地である。大阪とサンフランシスコがこのような縁にあるのも奇遇だが、太平洋を挟んで浦賀に「出港の碑」、サンフランシスコに「入港の碑」が向かい合うように存在しているのは、咸臨丸渡米の偉業を讃えるのに真にふさわしい。
 3月3日、太平洋の荒波に揉まれ損傷を受けた咸臨丸は、修理のためメーア島海軍造船所に入渠し、乗組員たちはその官舎に宿泊した。太平洋からゴールデンゲートの海峡を入ると、南にサンフランシスコ湾、北にサンパブロ湾が広がっている。そのサンパブロ湾の北東隅、サンフランシスコから海路40キロの所にメーア島海軍造船所があった。
 メーア島海軍基地(Mare Island Navy Yard)は、1854(安政元)年9月16日に太平洋岸で初めて設立された海軍基地であり、私が訪れたときは潜水艦基地になっており、入所は許可させるはずもなく、ナパ河対岸から21平方キロの広さがある基地の全容をうかがうに止まった。しかし、平成八年に基地が閉鎖され、現在は大学、商業・産業施設、政府団体などが入り、再開発が行われているが、昭和50年に国の歴史的ランドマーク地区に指定されていたこともあって、Mare Island Historical Parkとしてかつてのドッグや建物も保存されている。
 入渠以来約40日、破損箇所の修繕、帆の新調、マストの取替え、塗り替え、磨き上げと大掛かりな修理が終了し、閏3月12日咸臨丸はメーア島を出帆してサンフランシスコに投錨し、同月19日(5月8日)サンフランシスコを出港し帰路に就く。ホノルルに寄港した後、万延元年5月5日(6月23日)浦賀に入港、翌日品川沖に投錨して咸臨丸は太平洋横断の航海を終えた。

咸臨丸入港百年記念碑
 
咸臨丸入港百年記念碑

 

6. 三水夫の墓

 咸臨丸がサンフランシスコに滞在中、2人の水夫が亡くなっている。
 一人は塩飽広島青木浦出身の源之助で3月2日没、行年25歳。もう一人は塩飽佐柳島出身の富蔵で3月10日没、行年27歳。いずれも海員病院で亡くなっている。死因は定かではないが、勝海舟が「湿気、雨衣を透し」と記していることから、栄養不足の折、風雨にさらされて体温を奪われ、体力を消耗した結果ではないか。さらに咸臨丸出港12日後の4月1日、長崎出身の火焚、峰吉(37歳)が海員病院で亡くなっている。
 この三水夫の墓は、サンフランシスコ西郊ローレルヒルの墓地に埋葬された。福澤先生の記した『慶應三年日記』2月18日に「ブルックスと源之助、富蔵、峰吉の墓え参る」と書かれている。先生は二回目の渡米の折、わざわざ三水夫の墓に詣でている。
 三水夫の墓はサンフランシスコ市街の拡大に伴い、明治末期にサンフランシスコ南20キロ、町全体が墓地のようなColmaの1300 Hillside Boulevardにある日本人共同墓地に移転され現在に至っている。三水夫の墓は、現在三基並んでおり、右に墓石上部が円い源之助の墓、中央に一回り大きい峰吉の墓、左に頂部に鳥をかたどった富蔵の墓がある。どの墓も大理石で、片面に邦文、片面に英文が刻まれている。源之助の墓も富蔵の墓も、題字は咸臨丸艦長勝海舟によるものであるが、源之助の墓は先生が設計したということである。

咸臨丸三水夫の墓
 
咸臨丸三水夫の墓

 

 

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三田通り周辺


2015年8・9月合併号掲載

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2015年7月号掲載

第100回
金玉均


2015年6月号掲載

第99回
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2015年4月号掲載

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2015年3月号掲載

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2015年2月号掲載

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2014年11月号掲載

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──文学と実業の二重生活


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──空気はよし風俗は朴素なり


2013年8・9月号掲載

第81回
みちのくの史跡を訪ねて
──能代・弘前・木造


2013年7月号掲載

第80回
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2013年6月号掲載

第79回
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2013年5月号掲載

第78回
ヨネとイサム・ノグチ──二重国籍者の親子


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