慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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2016年7月号表紙


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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第43回    
  常光寺――福澤先生永眠の地
 
 
 
  山内慶太(慶應義塾大学看護医療学部教授)  
     
 

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小泉信吉(のぶきち)旧墓所

 福澤先生による和田を追悼した墓碑は、和田の未亡人が小泉信吉を通じて所望したのに、応えたものである。小泉信吉と和田義郎は、ともに紀州和歌山藩の留学生として入塾しており、福澤塾の「姓名録」でも、慶應2年11月28日の頁に2人の名を見出すことができる。
 小泉信吉(1849〜1894)は、義塾で学んだ後に英国に留学。帰国後は、横浜正金銀行創立等の活躍を経て、義塾が近代的学塾への転換を図ろうとしていた時期の明治20年から23年にかけて塾長を務めた。その後は横浜正金銀行支配人を務めていたが、和田の逝去から2年後の27年、腹膜炎で急逝した。
 信吉が急逝した時、福澤先生は悲しみ、早速に、長文の弔詞を認めた。 その中には、小泉の人柄が良く描かれている一節がある。

「その心事剛毅にして寡慾(かよく)、品行方正にして能(よ)く物を容(い)れ、言行温和にして自ら他を敬畏せしむるは、正しく日本士流の本色にして、蓋けだし君の少小より家訓の然(しか)らしめたる所ならん。その学問を近時の洋学者にしてその心を元禄武士にする者は唯(ただ)君に於て見るべきのみ。我慶應義塾の就学生、前後一万に近きその中に、能(よ)く本塾の精神を代表して一般の模範たるべき人物は、君を措(おい)て他に甚(はなは)だ多からず。」

 また末尾には、「福澤諭吉涙を払て誌す」とある。

  信吉の墓所は、当初は横浜にあったが、福澤先生の歿後、常光寺に移転し、戦後、多磨墓地に移るまで、常光寺にあった。 信吉の孫で小泉信三の次女の小泉妙氏によれば、常光寺への移転は、信吉夫人の「恩師のおそばにいつまでもという気持ち、・・・祖母の願いであったに違いありません」(『父小泉信三を語る』)という。また妙氏は、父君が、和田のことを尊敬していたので、「うちのお墓参りはいつも先ず福澤先生のお墓、次に、和田先生の お墓へ廻ってから、うちのお墓に行くのでした」と回想している。

 

鎌田栄吉墓所

 福澤先生、和田義郎、小泉信吉、いずれの墓所も移転してしまったが、今なおこの地に眠るのが鎌田栄吉(1857〜1934)である。
 鎌田も和歌山の出身で、福澤先生最晩年の明治31年から大正11年まで、25年にわたって塾長を務めた。その間、一貫教育の充実、図書館の建設、医学部の開設をはじめ義塾の拡充に多くの功績を遺した人であるが、特に大切なのは、自前の優秀な教員を育成するために、海外派遣留学生の制度を設け、その後の義塾を支える教授陣の輩出に至ったことであろう。また、独立自尊の精神を、年少の塾生にもわかりやすい表現で繰り返し説き、福澤先生歿後の義塾の気風を確かにした人でもある。
 鎌田は、入塾以来、小泉信吉に公私とも一番世話になったと自ら述懐していたという。また、孫で塾監局長を務めた鎌田義郎氏は、栄吉が和田を非常に尊敬していたことから、「義郎」と名付けられたと語ったことがある。

 

福澤先生墓前での鎌田栄吉 (慶應義塾福澤研究センター蔵)
 
福澤先生墓前での鎌田栄吉
(慶應義塾福澤研究センター蔵)

 

 常光寺時代の福澤先生御命日には、善福寺のような幅の広い参道もないため、周囲の細い道に長い列が出来ており、その情景は味わい深いものであった。また、幼稚舎生を中心に、二本のお線香を求めて、向かい合っていた福澤先生、和田先生の二人のお墓にお参りする人も多かった。墓所は善福寺に変わっても、2月3日には、福澤先生と門下の人たちとの温かな関係にも思いを致したいものである。

 

 

 

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三田通り周辺


2015年8・9月合併号掲載

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第98回
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2015年3月号掲載

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2014年10月号掲載

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──空気はよし風俗は朴素なり


2013年8・9月号掲載

第81回
みちのくの史跡を訪ねて
──能代・弘前・木造


2013年7月号掲載

第80回
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2013年6月号掲載

第79回
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2013年5月号掲載

第78回
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