慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第35回    
  耶馬溪――福澤先生と環境保全・朝吹英二生家跡
 
 
 
  大澤輝嘉(慶應義塾中等部教諭)  
     
 

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 耶馬溪(やばけい)は、大分県中津市にある山国川の上・中流域の渓谷である。菊池寛が大正八(一九一九)年に『恩讐の彼方に』を上梓したことで、全国にその名を知られることになり、新日本三景の一つに選ばれ、同十二年に名勝に指定された。昭和二十五(一九五〇)年には一帯が耶馬日田英彦山国定公園となった。しかし、それ以前にその景観を守ったのが福澤先生なのである。また、福澤山脈の一員、朝吹英二も山国川沿いの中津市耶馬溪町宮園の出身である。今回は、先生と耶馬溪の関わりと、朝吹の生家跡を探ってみる。

耶馬溪

 溶岩台地の浸食によってできた奇岩の連なる絶景で、文政元(一八一八)年に頼山陽が九州を旅行中にこの地を訪れ、当時の「山国谷」という地名に中国風の文字を当て、『耶馬溪図巻記』中の漢詩に「耶馬溪山天下無」と詠んだのが、耶馬溪という名前の起こりである。頼山陽が耶馬溪と命名したのは、現在「本耶馬溪」と呼ばれている、青の洞門や競秀峰(きょうしゅうほう)の辺りだけであるが、その後周辺の渓谷についても「耶馬溪」という名称が使われ、裏耶馬溪・深耶馬溪・奥耶馬溪などと称している。

青の洞門

 諸国遍歴の旅の途中、この地に立ち寄った越後出身の禅海和尚は、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所である「青の鎖戸」で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、全長約三四二メートルにおよぶ隧道(ずいどう)を、石工たちを雇って鑿のみと槌だけで、寛延年間(一七五〇頃)を中心に約三十年かけて掘り抜いたと伝わっている。中津藩は奉加帳(ほうがちょう)をまわして寄付金を集め、禅海を援助したという。

福澤先生と耶馬溪

 昭明治二十七(一八九四)年二月、福澤先生は一太郎、捨次郎の二子を伴って、二十年ぶりに中津に墓参のため帰郷した。耶馬溪を散策した際、旧中津藩主奥平家の別荘を建てたいとその景観を激賞した。しかし、競秀峰付近の山地が売りに出されているという話を耳にし、このかけがえのない絶景が心ない者の手に落ち、樹木が伐採されて景観が失われてしまうことを恐れた先生は、「此方にては之を得て一銭の利する所も無之」(明治二十七年四月四日付、曽木円治宛書簡)ことではあるが、一帯の土地を購入することを決心したのである。旧中津藩の同僚で義兄にあたる小田部武を名義人として、地元東城井村の村長であった曽木の周旋により、複数の土地所有者から一帯の土地約一・三ヘクタール(一万三千平方メートル)ほどを、自分の名を表に出さず、少しずつ目立たないように三年がかりで購入していった。曽木には、「差急ぎ候事に無之、唯々人の耳に触れざる中に成就するやう祈るのみ」(明治二十七年九月十三日付、曽木円治宛書簡)と書き送っている。

 

現在の競秀峰と山国川
現在の競秀峰と山国川


 小田部は、維新後、中津において地所売買の仲介などを行っていたため、こうした土地購入の名義人として好都合の人物だったと思われる。
 また、曽木は競秀峰のある曽木地区の大庄屋で、中津から日田に通じる「日田街道」の改築工事に尽力するなど、公益事業にした貢献した人であり、三男の晋は、上京して福澤家に寄宿し、慶應義塾に学んだ。
 明治三十三(一九〇〇)年九月、家督相続で小田部菊市の名義になったが、まもなく同年十一月に売買の形で、先生と一緒に耶馬溪に遊んだ次男福澤捨次郎の名義に書き換えられ、正式に福澤家の土地となった。
 昭和二(一九二七)年、相続により福澤時太郎名義になり、その間に、この一帯の地所は景観のために保護される風致林に編入された。しかし、福澤家は必ずしも地所の所有にこだわったわけではない。『福澤諭吉伝』には「何分遠隔の地所のことゆえ管理も十分行き届き兼ねるので、昭和三年同地真坂村の尾家某に其所有権を譲渡して風致の保存を図ることとなった」と記されている。現在の持ち主は数人に分かれている。
 心ない開発から自然環境・景観を守るために、私財をもってその土地を購入するという福澤先生が故郷を思う気持ちから実行したこの試みこそ、わが国における自然保護・環境保全のためのナショナルトラスト運動の先駆けであり、その卓越した先見性は評価されるべきであろう。平成十九年、青の洞門駐車場にある禅海和尚の銅像脇に、福澤旧邸保存会によって、先生と耶馬溪との逸話を記した説明板が建てられた。

 

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