慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第26回    
  アメリカに眠る義塾の「亀鑑」
 ――小幡甚三郎と馬場辰猪の墓所山
 
 
 
  山内慶太(慶應義塾大学看護医療学部教授)  
     
 

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馬場辰猪墓所

 フィラデルフィアのウッドランド共同墓地は、ウィロウ・グローブ墓地とは対照的に、非常に広大で開放的な墓地である。そこの一三○号G区に、馬場辰猪の墓石がある。方尖形の碑に「大日本馬場辰猪之墓」と刻まれ、台座には、「TATSUI BABA DIED NOV.1, 1888 AGED 38 YEARS」とある。
 馬場は、慶應二年、土佐より義塾に入門し、その後明治三年から約八年間英国ロンドンに留学、伝統あるテンプル法学院で法律を学んだ。しかし、単純な西洋流の輸入者ではなく、日本の独立を深く憂える気骨の人でもあった。たとえば、日本と英国の間の条約の不当(関税自主権の喪失)を指摘し、改正の必要を訴える本や『日本語文典』という日本語のテキストを留学中に英語で出版している。

 帰国後は、その経歴と深い学識からすれば、学問の世界や実業の世界で華々しい活躍もすることが出来た人ではあるが、そのような生き方を良しとせず、英国で学んだ、自由や人権への考えとそれを保証する社会の仕組みを日本に根付かせようと、「民心の改革」のために、いわゆる在野の民権家として言論活動に努めた。しかし、馬場の活動は、政府などの圧迫を受けることになり、明治十九年、半ば亡命のような形でアメリカに渡るが、渡米前から罹っていた結核が悪化して二十一年十一月一日、ペンシルヴァニア大学病院で没した。なお、馬場の墓所は、谷中霊園にもある。

馬場辰猪墓所
馬場辰猪墓所

義塾社中の「亀鑑(きかん)」

 福澤先生は、異国に眠る二人の死を終生惜しんでいた。たとえば明治三十一年、『福澤全集』が刊行される際に、自らの著作活動を振り返った「福澤全集緒言」の冒頭において、戊辰戦争の時の小幡甚三郎の逸話を「小幡甚三郎の一言は文明独立士人の亀鑑なりとて永く塾中に伝えて之を忘る丶者なし」と紹介している。また、「独立自尊」の生き方を打ち出した義塾のモラルコードとも言うべき「修身要領」の編纂の際には、先生は長男一太郎に、甚三郎がこの世にいないことを嘆いたという。
 馬場辰猪の没後八周年の式でも、「亀鑑」の二文字を使って追悼した。

「君は天下の人才にしてその期する所も亦大なりと雖も、吾々が特に君に重きを置て忘る丶こと能わざる所のものは、その気風品格の高尚なるに在り。……吾々は天下の為めに君を思うのみならず、君の出身の本地たる慶應義塾の為めに、特に君を追想して今尚おその少年時代の言行を語り、以て、後進生の亀鑑に供するものなり。君の形体は既に逝くと雖も生前の気品は知人の忘れんとして忘る丶能わざる所にして、有年の後、尚お他の亀鑑たり。」

 その前日に、先生は芝紅葉館で義塾草創期の人々と懐旧の会を開いているがそこにおいて、今日「慶應義塾の目的」として知られる「気品の泉源智徳の模範」の演説をしている。そのとき先生の心の中には、馬場をはじめとする早世した門弟の思い出が去来していたに違いない。
 福澤先生が、「亀鑑」と述べて惜しんだ小幡甚三郎と馬場辰猪。二人を偲ぶことは、義塾が大切にしてきた「独立」と「気品」を考える上で多くの示唆を与えてくれる。ニューヨークへの旅行や出張の際には、足をのばして訪れたい史跡である。

馬場辰猪
馬場辰猪
(慶應義塾福澤研究センター蔵)

 

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