慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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2016年7月号表紙


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第7──三田評論 2016年7月号

   
 

慶應義塾外国語学校

 
慶應義塾史跡めぐり
 
   
   
 

平成二十七年八月、七十三年にわたって義塾の語学教育の一端を担ってきた外国語学校がその語学学校としての幕を閉じた。しかし、その内容と精神は今も大学外国語教育研究センター「公開講座慶應外語」に引き継がれている。


慶應義塾外国語学校は昭和十七年十月に設置された語学研究所(現在の言語文化研究所)の付属機関として設立された。当時、慶應義塾の言語研究は英語英学を中心としていたが、日中戦争から太平洋戦争へ移る時代の中で西欧の言語とともに東南アジア諸国の言語に対しても本格的な研究と教育に取り組むために設立されたのが語学研究所であった。そして、その研究成果によって高度な語学教育を行うことを目的として設置されたのが外国語学校であり、同年十月十七日に東京府から当時の各種学校令による学校として認可を受けた。

この学校の特色は、第一に入学資格を旧制中学四年修了者とし、性別、年齢、職業を問わず、希望と能力に応じて幅広く社会人を入学させたことである。当時、中学校以上は男女共学が一般的ではなかったため「女子語学研究所練習生」クラスを設けて女子学生を受け入れた。
第二の特色は、西欧の言語とアジア諸言語を合わせて二一カ国語にもおよぶ多彩な語種を擁していたことである。日本の学校に入学しようとする外国人のためには日本語が設置されていた。さらにその講師陣には、初代外国語学校校長に西脇順三郎、主事には井筒俊彦というまさに当代一流の学者たちが就任している。


昭和三十一年には、文部省令であらたに制定された各種学校規程による各種学校として認可された。その後、外国語学校は社会に開かれた義塾の外国語教育機関としての役割を果たし続け、平成八年には在籍者数が一、四九七名のピークに達したが、その頃から時代は国際化・グローバル化が進み、外国語教育の革新が起こる中で、外国語学校内でも新たな改革構想が具体的に検討し始められた。長い年月と多くの議論が重ねられた結果、平成二十五年四月、大学の語学教育研究を担う外国語教育研究センターとの組織統合が行われ、この年の十月から外国語学校の授業とは別に、各種学校規則に縛られることなく社会のニーズに合った制度変更やカリキュラム改革を自由に行える外国語教育研究センター「公開講座慶應外語」が外国語学校と同じ内容でスタートし、外国語学校はこの時から新入生の入学を停止した。


そして在学生が卒業等ですべていなくなったあと、平成二十七年八月七日に外国語学校は廃止され、現在その役目は十三カ国語、一七〇を超える講座を設置する「公開講座慶應外語」にそのまま引き継がれている。 (研究室主事 多田重文)

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バックナンバー
 

 

第7回
慶應義塾外国語学校


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『三田評論』


2016年5月号掲載

 

 

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