読売新聞 2010年4月18日読書面(13面)で紹介されました。
法の起源を探る『感情と法――アメリカ社会の政治的リベラリズム』(マーサ・ヌスバウム 著、河野哲也 監訳)著者からの「訳者あとがき」をご紹介します。
 
 
   
ナショナル・アイデンティティの国際比較田辺 俊介 著
 

感情と法――現代アメリカ社会の政治的リベラリズム

    
 
    
マーサ・ヌスバウム 著
河野 哲也 監訳
    
A5判/上製/520頁
初版年月日:2010/03/20
ISBN:978-4-7664-1719-7
定価:5,040円
  
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法の起源を探る

▼公平ではあるが無情でもある理性の秩序として捉えられてきた「法」。これに対し、ヌスバウムは、「法」 をある社会の成員が共有すべく求められている 「感情」 の表現としてとらえ、法の基盤としてふさわしい 「感情」 とはどういうものかを検討する。

▼差別意識を助長する 「嫌悪感」 と 「恥辱感」 など少数派の排除につながる 「感情」 を明らかにし、フェミニズムや共同体主義とは異なる視点から、リベラリズムへの新たな視座を提供する大著。

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本書の詳細
   
   
 

 現代のアメリカを代表する哲学者、マーサ・C・ヌスバウムの主著の一つ、Hiding from Humanity: Disgust, Shame, and the Law, Princeton University Press, 2004 の翻訳。アメリカ出版社協会(AAP)最優秀専門・学術図書賞を受賞しています。
 ヌスバウムの著作は、日本では3冊(『国を愛するということ』(編著、人文書院、2000年)、『クオリティー・オブ・ライフ―豊かさの本質』(里文出版、2006年)、『女性と人間開発―潜在能力アプローチ』(岩波書店、2005年)の翻訳が刊行されており、近年では、アマルティア・センとともに、「ケイパビリティ・アプローチ」 を開発した研究者としても知られる注目の著者です。

   
特別寄稿
   
 

『感情と法――現代アメリカ社会の政治的リベラリズム』
「訳者あとがき」抜粋



河野哲也
立教大学文学部教育学科教授


 法とは何か。法と道徳とは、どのように関係するのか。これらの問題は、古代ギリシア・ローマ以来、哲学の中心テーマの一つであった。近代哲学を見れば、ヘーゲルやベンサム、ミルを代表として、一九世紀中頃までの哲学者たちは、道徳や国家の問題と関連させながら、しばしば法について議論していた。

 

 しかしながら現代では、法律は外部者にはきわめて近づきにくい専門領域となり、さらに、法哲学は、もっぱら法学部の中で研究されるようになった。一般の哲学者は、おいそれと法の問題に口をさしはさむことはできなくなり、法学と哲学は疎遠な関係になってしまった。

 

 常々、人々を裁いているにもかかわらず、法は、あまりに一般の人からかけ離れた領域になってしまったのではあるまいか。おそらく、そうした危惧は、日本の法曹界の人々にも共有されていたのであろう。今年度(二〇〇九年)から始まった裁判員制は、法を適用する権能(司法権)を本来の持ち主(主権者)へと選抜的に返還する制度であると解釈できる。

 

  裁判員制の導入は、行政の透明化や情報公開、政策決定のための住民投票などとともに、参画型民主主義、あるいはディープ・デモクラシーの進展にともなう必然的な流れである。
しかし一般の主権者は、法の詳細について知らない。それにもかかわらず、司法権を行使するには、法(特に刑法)の根源をなす道徳の哲学を持たねばならないだろう。ヌスバウムは法哲学の教授であるが、法学者ではない。哲学の任務は、ある専門知識が本当に妥当なものであるかどうか、人間に有益なものであるかどうかについて、一般市民の立場から素朴だが根本的な問いを立てて検討することにある。古代ギリシアで始まった哲学は、民主主義社会の一般市民のための知である。法を根底から吟味する視点は、裁判員制の時代に生きる私たち主権者=市民に欠かせないものであろう。

 

 ヌスバウムが本書で探究しているのは、はたして法は、どのような人間の本性に根差しているのかという問いである。これまで、法は、公平ではあるが無情でもある理性の秩序として捉えられてきた。無私であるが冷厳な法律家のイメージもここから来ている。これに対して、ヌスバウムが本書で示しているのは、法の感情的な起源である。殺人に関する法は、理性の命令ではなく、殺人に対する私たちの真っ当な怒りを、言葉として表明したものである。つまり、法とは、ヌスバウムによれば、ある社会の成員が共有すべく求められている感情の表現なのである。

 

 しかし感情には、善き感情と悪しき感情がある。嫉妬などは他者の没落を願う悪しき感情である。法は善き感情に基づいていなければならない。嫌悪感や羞恥心は、根源的には人間の上下位階を前提としている点で民主主義的ではない。よって、法の基盤として不適格な感情である。人間の平等を侵害するものへの怒り、そして、他者への共感。これらの感情こそが法の基盤となるにふさわしい。こうヌスバウムは主張する。道徳を適宜性のある感情に基づかせようとする点で、ヌスバウムは、ハッチソンやアダム・スミスのようなスコットランド道徳哲学の系譜と比較することもできるだろう。

 

  以上のヌスバウムの観点から考えてみるならば、復讐という感情に基づいた法は正しいものでありうるだろうか。死刑の是非の問題を考えるにあたっても、本書は多くの示唆を与えてくれるだろう。

 

 

 
     
著者・訳者略歴
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マーサ・ヌスバウム
(Martha C. Nussbaum)

シカゴ大学法学部教授
1947年生まれ。ハーヴァード大学にて文学修士、哲学博士(Ph.D.)取得。1986〜93年世界開発経済研究所リサーチアドヴァイザー、ブラウン大学を経て、現職。
主要著作としては、センとの共著『クオリティー・オブ・ライフ』(里文出版、1992年)のほか、共著『国を愛するということ』(人文書院、1996年)、『女性と人間開発』(岩波書店、2000年)がある。また未邦訳だが、The Therapy of Desire (1994), Poetic Justice (1996), Cultivating Humanity (1997), Frontiers of Justice (2006), Liberty of Conscience (2008) も重要な著作である。

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監訳者略歴
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河野哲也
(こうの てつや)

立教大学文学部教育学科教授
1963年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程哲学専攻修了。博士(哲学)。国立特殊教育研究所(旧称、現在は国立特別支援教育総合研究所)特別研究員、防衛大学校、玉川大学を経て、2008年より現職。
主要著作には、『メルロ=ポンティの意味論』(創文社、2000年)、『エコロジカルな心の哲学』(勁草書房、2003年)、『環境に拡がる心』(勁草書房、2005年)、『〈心〉はからだの外にある』(NHK出版、2006年)、『善悪は実在するか』(講談社メチエ、2007年)、『暴走する脳科学』(光文社、2008年)などがある。

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訳者略歴
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木原弘行
(きはら ひろゆき)

慶應義塾大学文学部非常勤講師、専修大学商学部非常勤講師
1968年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。
主な論文・訳書に、「動機付けと合理性」(『三田哲学』104集)、S. プリースト『心と身体の哲学』(共訳、勁草書房)がある。

     
 

石田京子
(いしだ きょうこ)

恵泉女学園大学、慶應義塾大学非常勤講師
1979年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻満期退学。
主要論文に「カント法哲学における許容法則の位置づけ」(『日本カント研究8』、2007年)、「カント実践哲学における『法』と『道徳』」(慶應義塾大学倫理学研究会『エティカ』、2008年)がある。

     
 

齋藤 瞳
(さいとう ひとみ)

日本大学文理学部人文科学研究所研究員
1976年生まれ。日本大学大学院文学研究科哲学専攻博士後期課程満期退学。
主要論文に、「メルロ=ポンティにおける知覚経験と論理、形式化」(『メルロ=ポンティ研究』 第13号、2009年)、「メルロ=ポンティの言語獲得理論」(『現象学年報25』、2009年)がある。

     
 

宮原 優
(みやはら ゆう)

東京都立大学大学院人文科学研究科哲学専攻博士課程 
1977年生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了。
主要論文に「メルロ=ポンティにおける未完結性の問題」(東京都立大学哲学会『哲学誌』第45号、2003年)がある。

     
 

花形恵梨子
(はながた えりこ)

慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程
1978年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。
主要論文に「正義の二原理はどのような分配を目指すのか:市民・社会的協働・基礎構造」(慶應義塾大学倫理学研究会『エティカ』第2号、2009年)がある。

     
 

圓増 文
(えんぞう あや)

日本学術振興会特別研究員(PD)
1976年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。
主要論文には、「QOL評価と『基本財』」(日本倫理学会『倫理学年報』第54集、2005年)、「医療従事者と患者の信頼関係構築に向けた取り組みとしての『目的の共有』」(日本医学哲学・倫理学会『医学哲学 医学倫理』第26号、2008年)などがある。

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