なぜ、いま、原爆をあらためて考える必要があるのか?
奥田博子
原爆をめぐる対話は、個人的、地方的、国家的、地域的、そして国際的な重層構造から構成される。原爆を直接体験した人びとのあいだから導き出せる局面がすべての対話の基盤となる一方、その上に位置づけられる終わらない対話は他者を発見する過程ともなる。しかし、声や雰囲気の集積が時代の「空気」や「気分」を創り出すようないま、ヒロシマ/ナガサキは単なる記号にすぎなくなりつつあるのではないか。
65年前の広島と長崎において、一体何が起こったのか。なぜ、広島と長崎に原子爆弾/核兵器が投下されたのか。その後、広島と長崎の原爆体験はどのように語られてきたのか。原爆投下という史実と原爆被害の実相を批判的に検証するうえで、日本政府が唱道する「唯一の被爆国/被爆国民」というスローガンは、アジアひいては世界で日本の立ち位置を模索するとき、障碍としかなりえないことを指摘できる。なぜなら、事後的に創られた「平和(文化)国家」日本という表象のもとで、広島と長崎の原爆体験や被爆の記憶をめぐる議論と想像力に枷を嵌めてしまうからである(なお、この点については拙著のなかで詳細に検討を加えている)。
敗戦/終戦から65年を経たいま、私たちに求められていることは二つあるだろう。一つは、「現在までにわかっていること」と「充分にはわかっていないこと」を判別することである。もう一つは、深い歴史認識と地球的視野に基づいて、ある時は地上を這いずる虫の視点で、ある時は空を旋回する鳥の視点で、ものごとの本質を見据えることである。的確に状況を判断する能力も、批判的にものごとを吟味する能力も、つねに私たちの日常/平和のなかに根ざすものである。
かつて原子爆弾が投下された土地で人びとは復興を遂げ、いまも暮らしを営んでいる。このこと自体が貴重な歴史である。その一方、2010年4月9日に逝った劇作家井上ひさし氏が遺した「いつまでも過去を軽んじていると、やがて私たちは未来から軽んじられることになるだろう」ということばをしっかりと胸に刻み、私たちがいま住んでいる日本という時空間が他の国々のそれとつながっていることに思いを馳せるべきだろう。私たちには、他者の立場に立って自らを省みることのできる思慮深さを身につけることが求められているのである。
国境を越えて共有されうる、また、共有されねばならない原子爆弾/核兵器に対する日本の道義的責任も忘れてはならないだろう。地球環境を含む私たちの社会そのものを考えさせるこの道義的責任は、ほんの少しの他者への思いやりと言い換えることもできる。他者と“触れ合う”なかで、いま、原爆をあらためて考えることは、私たち誰もがヒバクシャであり、ヒロシマ/ナガサキが訴える「核なき世界」を実現する役目を背負っているという責任を自覚することへと繋がってゆく。
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