11 強制バス通学問題
 サウス・ボストンの人々の論理がおそらくもっとも凝縮されているのは、「オールド・ハーバー・ビレッジ」で育ったサウス・ボストンの土地っ子で、当時、マサチューセッツ州議会議員をしていた(後に、一九七八年から一九九五年まで州議会上院議長を務め、その後、マサチューセッツ大学の総長となった)ウィリアム・バルジャーが、ワシントンD.C.での強制バス通学反対全国集会(一九七五年三月)の前夜に、ドーチェスター・ヒルで行った次の演説であろう。

 強制バス通学に反対するということは、われわれが黒人やその他の人種の子供達に対して、悪意を抱いているということではない。統合教育の理念に反対しているということでもない。われわれの教育施設を使いたいと望んでいるかもしれない他の地域の子供達を排するものでもない。われわれは、親の自然権を剥奪する司法判断の要求に屈したくないのである。

 我が子の学校を選ぶという「親の自然権」に対する国家的な介入・干渉に対するバルジャーの抵抗は、彼とは政治的スタンスの違うインフォーマントの間でさえ評価を受けている。同じアイルランド系であるにも関わらず、エドワード・ケネディ連邦上院議員は、この時期に強制バス通学を支持したという理由から、いまだにサウス・ボストンでは不人気である。「強制バス通学に賛成するような政治家は、ここサウス・ボストンではやっていけません。絶対に無理です。支持されるわけがありません。」
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