6 「彷徨う」個人
 現在二〇代半ばのジョセフィーヌは、将来、子供が生まれたら自分の両親のことを話して聞かせてやりたい、もしも、すでに売られてしまっていたとしても、あのメイン州の別荘に連れて行ってやりたい、と熱く語った。それは子供達に、自分の家族の「偉大な過去」を教え込むことが目的では決してなく、「覇気」や「人生への情熱」を育むためだという。「家族の名」を利用してはいないし、そうするつもりもない、と断言する。家族の「偉大な歴史」の衰退には、全く落胆していない。ただ、子供達が自分達の居場所が分かるような、良い意味での歴史的な感覚を伝えたいと願っているのだという。彼女自身の中にそうした感覚が芽生えたのは、家族にも地域社会にもつながりがなく、「寂しげ」で「彷徨っている」かのように見えた昔の同級生達が、「凄まじく個人主義的」だったからだという。そうした「個人主義」の土台には、「経済的抑圧」や「両親の離婚」、あるいは、「家族や社会から受ける『成功』への過剰な期待からの逃避」が横たわっていると彼女は分析する。「自分は本当に幸運だ」という。「自分の家族・親族には離婚歴のある人がいない」し、「家庭の暮らし向きは比較的良い方だ」し、「両親は自分のプロジェクト(非営利の環境団体)に全く異を唱えず、応援してくれた」し、「ニューヨークにいても、夏になると決まってメイン州で親族と再会することができた」からだ。
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