はじめに(一部)
 アレクシ・ド・トクヴィルといえば、アメリカ研究における不朽の名著とされる『アメリカの民主主義』(一八四八年)で有名であるが、最近、ハーバード大学の古文書から、彼が綴った二通の手紙が見つかった。それは、一八五二年、同大学から名誉法学博士号を授与されたことに対する感謝の意を記したもので、一通は大学に、もう一通は二〇年前の訪米で知古を得て以来、親交を深めてきたジェアード・スパークス総長個人へ宛てたものであった。その私信のなかで、トクヴィルは、彼自身がフランスの外務大臣(一八四九年)として接したアメリカの外交政策について、次のように懸念している。
 アメリカが畏れるものは己自身に他ならない――つまり、民主主義の乱用、冒険と征服の精神、己の力に対する思い入れと過剰な誇り、そして若さゆえの性急さである……ヨーロッパに軽々しく口論を挑んではいけません……アメリカを困難に導くでしょうし、国内情勢にも予期せぬ余波をもたらすでしょうから(Harvard Magazine, January-February, 2004, p. 84)。
 昨今の国際情勢を鑑みるに、いかにも意味深であるが、トクヴィルは『アメリカの民主主義』のなかで、現代アメリカにも通じるもう一つの警告を発している。それは、アメリカの「個人主義」がもたらし得る負の側面についてである。
 各人は永遠にただ自分自身のみに依存し、そして自らの心の孤独の中に閉じ込められる危険がある(Tocqueville 1969: p.508)。
 安易に記号化・擬人化されたアメリカ像、サウンドバイト的なアメリカ理解、ご都合主義的なアメリカ論に違和感を覚えながら、われわれにとって、あまりに大きく、近く、そして大切な存在であるアメリカについてトクヴィルが発したこの一言は、アメリカで留学生活を送っていた筆者の心の片隅に常に引っかかっていた。トクヴィルの力量と眼識にはもちろん敵うべくもないが、この一言を少しでも理解しようと、フィールドに繰り出したのが、本書の原点である。トクヴィルが一八三一年九月に四週間滞在したボストンで、日本からの若輩が、その名著を手に、約三年間格闘した証しとして読んでいただければ何よりである。
 今回、調査の対象としたのは、かつて「ボストンのバラモン」とも形容されたアメリカ最古で随一の名門家族の末裔達と、彼らとは対照的な生きざまを送ってきたサウスボストンのアイルランド系移民の末裔達である。二〇〇四年の大統領選挙の民主党候補、ジョン・フォーブス・ケリー連邦上院議員(マサチューセッツ州選出)は、祖母がウィンスロップ家、母がフォーブス家出身であり、この「バラモン」の血を引く人物である。一方の、サウスボストンは、日本でも馴染み深い映画『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』や『ミスティック・リバー』の舞台にもなった地域であり、かつてU.S. ニュース&ワールド・リポート誌が「アメリカのホワイト・アンダークラス(白人最下層)の都」と称した地区を含む地域である。
 第T部では、今回のフィールドワークの経緯(序章)、「バラモン」の末裔達の民族誌(第1章)、アイルランド系移民の末裔達の民族誌(第2章)を踏まえたうえで、第三章で両者を比較しながら、それらをより広いアメリカ社会や近代化の文脈のなかで位置づけてみた。その中で、特に、注目したのは<文化の政治学>――つまり、プライドのせめぎ合い、アイデンティティの拮抗、価値やスタイルをめぐる葛藤である。これらは社会に関するビジョンをめぐる相克でもあり、いわゆる「保守」と「リベラル」の対立、より政治的には「共和党」と「民主党」の対立にも通底するものである。
 第U部では、トーンを変え、第1章では、<文化の政治学>をキーワードに、現代アメリカについての理解を試みた。「政治」のうねりが「文化」を巻き込み、「文化」のうねりが「政治」を巻き込む様を描きつつ、従来の二項対立を超え、政治的信頼や公共空間を修復しようとする市民・民間レベルでの試みについても言及した。第2章では、本調査の基盤となった文化人類学上の理論的背景について考察した。
 本書のタイトルについて一言触れておきたい。「アフター(after)」という英単語は、周知の通り、使われる文脈によって、「〜の後で」、「〜を超えて」、「〜に従って」、「〜を模して」、「〜を求めて」、「〜を追いかけて」など多義的なニュアンスをもつ言葉である。そこが、インフォーマントの「アメリカ」へのスタンスの多義性を象徴しているように感じたのと、同時に、「アメリカ」を見つめるわれわれ自身の心証をも上手く表現しているように思え、あえてカタカナ表記のまま用いることにした。もちろん、その意味するところは、「アメリカ」に何を表象させ、いかなる彩色で描くかによる。否定的な色模様、肯定的な色模様、より中間的な色模様、あるいは無色透明に近い色模様など様々であろう。それはインフォーマントにとっても然りである。つまり、「アフター・アメリカ」とは、決して一筋縄には語り得ない「アメリカ」へのスタンスと解釈の多義性なり両義性を示唆するものである。それはインフォーマントにとっても然りであり、われわれにとっても開かれたものである。インフォーマントの心模様と読者の方々の心模様はどう重なり合うのであろうか。
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