|
Page 1 : 1-20/Total 83
1|
2|
3|
4|
5|
|
 |
 |
 |
|
 |
オリジナル連載「時事新報史」――「時事新報と演劇改良(1)歌舞伎座に時事新報のビラが舞う」を公開しました。
|
 |
 |
 |
|
 |
オリジナル連載「時事新報史」――「伊藤欽亮の時代〜明治29年12月」を公開しました。
|
 |
 |
 |
|
 |
オリジナル連載「時事新報史」――「『時事新報』と義捐金(2)濃尾地震救援キャンペーン」を公開しました。
|
 |
 |
 |
|
 |
『評伝 奥山春枝――近代起業家の誕生とその生涯』
はしがき
を掲載しました。 2010年10月8日掲載【冒頭より】 ここに奥山春枝という一人の人物の生涯を紹介したのは、彼を成功者として顕彰したいと考えたからでも、またその生涯が特筆に値する価値を持っていたと評価したからでもない。人は誰しも他人とは違った背景を持ってこの世に生まれ、それぞれの個性を持って生きてゆくのであるから、特徴的でない人生というものは考えられない。また生きてゆくためには大きな努力をしなければならないことは万人皆同じであるから・・・ 続きを読む ▼この他の特別寄稿や連載記事はこちら
 本の刊行情報や、特別寄稿などの情報をお届けします。
|
 |
 |
 |
|
 |
『時事新報史』
|
 |
 |
 |
|
 |
『時事新報史』
「我輩」再論 時事新報社説の誇り
を掲載しました。 2010年4月26日掲載【冒頭より】 さて、再開第1回では、以前2回にわたって取り上げた時事新報論説の問題を今一度考えてみたい(第9、10回参照)。まずはおさらいから。福沢の執筆とされる『時事』社説が侵略的だ、という近年の批判に端を発して、どの社説は誰が書いたか、という議論が随分盛り上がった。福沢全集を編纂する時・・・ 第22回 「我輩」再論 時事新報社説の誇り
|
 |
 |
 |
|
 |
『時事新報史』
4月からの再開に際してを掲載しました。2010年4月8日掲載【冒頭より】 ウェブ連載「時事新報史」は、『時事新報』の歩みを、平易な読み物として少しずつたどっていくことを目指して書き始めた。なにしろ時事新報は、福沢諭吉が創刊し、日本一の新聞といわれながら、未だに通史が存在せず、今日ではすっかり忘れ去られているのである・・・ 番外編を読む
|
 |
 |
 |
|
 |
『福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉』
第40回: 時事新報社へ!を掲載しました。2009年11月2日掲載【冒頭より】今回はまず、本連載の第35・36回でも触れた明治7(1874)年2月23日付の荘田平五郎(しょうだ へいごろう)宛福沢諭吉書簡(慶應義塾『福沢諭吉書簡集 第一巻』岩波書店 2001年 291〜295頁)の一部をご覧いただこう。いつものように適宜、現代風に改めてある・・・ 第40回を読む 本連載は第40回を持ちまして終了となりました。長らくご愛読いただきありがとうございました。
|
 |
 |
 |
|
 |
『福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉』
第39回: 書目一覧を掲載しました。2009年8月5日掲載【冒頭より】ところで慶應義塾出版社では、実際にどのような書籍が出版・販売されていたのであろうか。慶應義塾『慶應義塾百年史上巻』には、明治12(1879)年頃の案内が掲載されているので、その内容を以下に示してみよう。・・・ 第39回を読む
|
 |
 |
 |
|
 |
『福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉』
第38回: 再び福沢屋諭吉を掲載しました。2009年6月5日掲載【冒頭より】この連載を通じてこれまでに、福沢諭吉→福沢屋諭吉→慶應義塾出版局→慶應義塾出版社という流れを追いかけてきた。福沢屋諭吉は明治5年に慶應義塾出版局への発展的解消によって、姿を消したように見えたものの(本連載第17回・第18回)、その後も福沢の著作の中にひょっこり顔を出したりもしていた(本連載第23回)。今回は、明治7年に刊行された『戊辰以来新刻書目便覧』という史料をごらんいただきたい・・・ 第38回を読む
|
 |
 |
 |
|
 |
『近代日本の中の交詢社』
第16回:交詢社の2つの意図―国会開設運動と交詢社(その1)掲載しました。2009年5月21日掲載【冒頭より】草創期交詢社の研究ついては、政治的性格を強調するものと、社交団体としての非政治性に着目するものに二分される。このように草創期交詢社の性格が容易に断定しがたいものとなった理由を考えてみると、設立に際して福沢諭吉の念頭に短期と長期の意図があったことが要因の一つのように思われる。前回述べた『会議弁』での演説に関する2つの意図に対応するもので・・・ 第16回を読む
|
 |
 |
 |
|
 |
『福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉』
第37回: 慶應義塾出版社の活動(その4)を掲載しました。2009年4月13日掲載【冒頭より】今回は、明治7年4月4日付の荘田平五郎(しょうだ へいごろう)宛福沢書簡(慶應義塾『福沢諭吉書簡集 第一巻』岩波書店 2001年 298〜301頁)をご覧いただきたい。適宜現代風に改めてある。〔前略〕分校といって、教える人が時々交代するのでは、教師と生徒との間に親交も深めることができません。以前に出版局の出店でも時々交代しては、商売に不都合がありました。〔後略〕文中の「分校」とは、大阪慶應義塾(明治6年11月開校)と京都慶應義塾(明治7年2月開校)のことで・・・ 第37回を読む
|
 |
 |
 |
|
 |
『時事新報史』
番外編: 時事新報資料の現状〜「未来をひらく福沢諭吉展」開催を通して〜を掲載しました。2009年4月1日掲載【冒頭より】 「時事新報史」を再開したいと思う。この間、決して研究活動をサボっていたわけではないが、展覧会の開催や『慶応義塾史事典』の刊行など、多くの業務の中で、時事新報だけを探求する時間が得られずに今日に至ってしまった。 目下の最大の業務は、「未来をひらく福沢諭吉展」の開催準備である。上野の東京国立博物館表慶館を会場に1月10 日から3月8日まで開催され、今後福岡(会場:福岡市美術館、5月2日〜6月14日)、大阪(会場:大阪市立美術館、8月4日〜9月6日)と巡回する予定である・・・ 番外編を読む
|
 |
 |
 |
|
 |
『福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉』
第36回: 慶應義塾出版社の活動(その3)を掲載しました。2009年3月16日掲載【冒頭より】今回は、前回に引用した明治7年2月23日付の荘田平五郎(しょうだ へいごろう)宛福沢書簡(慶應義塾『福沢諭吉書簡集 第一巻』岩波書店 2001年 291〜295頁)の末尾に記された内容について見てみよう。まずは、その部分を再びご覧いただきたい。 〔前略〕『学問のすゝめ』は第七編まで脱稿しました。このごろは余程ボールド(大胆)なことを言っても問題ありません。出版免許の課長は肥田君と秋山君です。しっかりとした担当者で好ましいです。〔後略〕・・・ 第36回を読む
|
 |
 |
 |
|
 |
『近代日本の中の交詢社』
第 15回:『会議弁』と交詢社―演説の時代―掲載しました。2009年3月11日掲載【冒頭より】前回少し述べたように、交詢社の構想がはじまった明治12年の頃は新聞雑誌に加えて結社や演説という新しい政治文化が盛んになった時代である。 福沢諭吉はそれらのいずれにおいても重要な先駆者であった。例えば、明治初期に限ってみても、結社という点で慶応義塾を挙げることができるし、新聞雑誌については出版事業という点で慶応義塾出版局における『民間雑誌』『家庭叢談』の刊行などがある・・・ 第 15回を読む
|
 |
 |
 |
|
 |
『福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉』
第35回: 慶應義塾出版社の活動(その2)を掲載しました。2009年1月28日掲載 【冒頭より】今回は、明治7年2月23日付の荘田平五郎(しょうだ へいごろう)宛福沢書簡(慶應義塾『福沢諭吉書簡集 第一巻』岩波書店 2001年 291〜295頁)をご覧いただきたい。いつものように適宜現代風に改めた。 〔前略〕『帳合之法(ちょうあいのほう)』の学習を始めたとのこと、大変結構です。本式(複式簿記のこと)もしばらく翻訳をなまけて、20日程前にはじめて脱稿しました。現在、彫刻いたしております。版下の草稿は唯一本なので、版下が出来上りましたら、草稿をお回しするつもりです。〔中略〕毎月第二ソンデイ(サンデー)の集会を隔ソンデイの夜と定め、出版局に集まり、お金を使わないように談話して、今後はひたすらスピーチュ(スピーチ)の練習と・・・ 第35回を読む
|
 |
 |
 |
|
 |
『近代日本の中の交詢社』
第14回: 交詢社の初年―『交詢雑誌』―掲載しました。2008年12月22日掲載 【冒頭より】明治13年1月25日に開催された発会式の翌々日、交詢社は初めての常議員会(発会式および常議員については第1回を参照されたい)を開いた。常議員長に福沢諭吉、常議員副院長に西周が選出され、社の船頭役である幹事には小幡篤次郎が任命された。そして2月5日に機関誌『交詢雑誌』を発刊する。『交詢雑誌』の特長となった読者参加型の編集方針は、福沢によって明治7年『民間雑誌』上でも試行されていたが、6年もの歳月を経た『交詢雑誌』でようやく定着することとなる。『交詢雑誌』で読者参加が定着した理由は何だったのだろうか。今回は創刊当時の『交詢雑誌』をとりあげたい。・・・ 第14回を読む
|
 |
 |
 |
|
 |
福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉
第34回:慶應義塾出版社の活動掲載しました。2008年12月17日掲載 【冒頭より】このところ4回にわたり朝吹英二について少々寄り道をしてきたので、再び福沢諭吉自身の出版活動をたどっていくことにしよう。 さて、明治7年1月に合資会社としての慶應義塾出版社が誕生したことについては、本連載の第29回をご参照のほど。今回はその誕生を受けて、同年2月15日付の上野景範(うえの かげのり)・森有礼(もり ありのり)宛福沢書簡をご覧いただきたい。いつものように適宜現代風に改めた。・・・ 第34回を読む
|
 |
 |
 |
|
 |
『近代日本の中の交詢社』
第13回: 草創期交詢社の人々交詢社設立の中心人物たち―馬場辰猪(3)―掲載しました。2008年11月18日掲載 【冒頭より】共存同衆や交詢社には、馬場辰猪がロンドンで出会った社会科学協会からの影響を受けた跡が見られることはすでに述べたが、馬場や小野梓らによって創立された共存同衆は、数年を経た明治11年にもなるとその活動は鈍り、馬場には停滞しているようにさえ見えたようだ。そのような中で、馬場はイギリスから帰国し、共存同衆結成後初めて開かれた第一年会に出席することになる。今回は、そこで彼が披露した「社会論」という演説を見ながら、さらに交詢社設立の背景とのつながりを探ってみたい。・・・ 第13回を読む
|
 |
 |
 |
|
 |
福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉
第33回:朝吹英二とは…(その4)掲載しました。2008年11月17日掲載 【冒頭より】前述の朝吹による暗殺未遂事件(本連載第32回をご参照のほど)をまったく知らずに過ごした福沢は、朝吹に対して繰り返し繰り返し開国進取の必要性を説き続けたところ、とうとう朝吹は降参するに至る。その際に大きな力を発揮したのが福沢の著書『西洋事情』!・・・ 第33回を読む
|
 |
 |
 |
 |
 |
 |
|
Page 1 : 1-20/Total 83
1|
2|
3|
4|
5|
|