慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第96回──三田評論 2014年12月号    
 

学食の変遷

 
 
 
     
  大澤輝嘉(慶應義塾中等部教諭)  
     
 

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赤屋根食堂・グリーンハウス

 日吉キャンパスが開設された昭和九年の十一月に、現在の高等学校南側グラウンドの東側中央付近に、消費組合が経営する大食堂がオープンした。コテージ風の木造一部二階建ての一七〇坪の建物は、塾生から長らく「赤屋根食堂」の愛称で親しまれていた。日吉キャンパスが米軍に接収されていた同二十一年三月に建物は焼失してしまった。返還後、高等学校の食堂として再建されたが、後述のグリーンハウスの建設に伴い、昭和三十一年に営業を終了し、同四十八年頃建物も取り壊された


 昭和二十五年、米軍からの返還に伴い、もともと川崎市登戸に疎開していた大学予科で食堂を経営していた田沼文蔵が、大学と高校の食堂を開設した。後に文蔵は会社名を「グリーンハウス」としたが、これは塾生から公募して決定したもので、採用された塾生には、食券一年分が贈呈されたという。グリーンハウスは、現在も第六校舎地下一階の「グリーンズテラス」や、高等学校や普通部の食堂などを運営している。



赤屋根食堂


梅寿司

 義塾所有の新田運動場近くで営業していた「梅寿司」は、塾野球部の関係者に親しまれていた。武蔵新田の生まれで、経営者の飯田信治(昭和四十八年特選塾員)は、大の慶應ファンであったが、日吉開設に伴い、新田運動場は閉鎖・売却され、塾野球部も日吉に合宿所と練習場を移すことになった。それを追って信治自身も日吉に引っ越し、日吉キャンパスに「梅寿司」を再開し、塾野球部から贈呈された暖簾を掲げて、平成二年まで約四十年商売をしていた。


 昭和四十年頃の「梅寿司」について、塾員で元NHKアナウンサーの宮本隆治が、次のように思い出を書き綴っている。「日吉学食には当時、大学の食堂には珍しい寿司屋がありました。ある日、一人の男子学生が丼に入った赤黒いものを食べています。九州は玄界灘の白身魚しか知らない私には初めて見るものでした。それが鉄火丼だったのです。ラーメンが六〇円なのに鉄火丼は一三〇円くらいしたと記憶しています」(『三田評論』平成十七年七月号)。


現在の日吉の食事情

 戦後の日吉キャンパスには、グリーンハウス、三村食堂、三色ハウス、二幸食堂、梅寿司、グリーンズテラスなどの業者食堂があった。昭和四十九年には鉄筋コンクリート建ての食堂ホールが完成し、日吉に初めて生協食堂が登場した。平成十七年の食堂棟全面リニューアルにより、現在は一階部分に生協が経営するカフェテリア形式の「遊遊キッチン」、「麺‘s遊遊」が、二階にはグリーンハウスが運営する「グリーンズマルシェ」と、「G's Cafe´」、「SBOTEN Express」が塾生の食欲に応えている。


信濃町キャンパス

 信濃町の医学部には、大正九年の創立当時から業者食堂があったが、昭和二年に二階建ての三四会館ができ、一階に食堂が入り、教職員、塾生が利用した。また、六号棟地下の「レストランえん」、新棟十一階「オアシス」も営業していた。現在は、中央棟地下の「木村家」、病棟正面玄関脇にはレストラン「百花百兆」があるが、かつてほぼ同じ場所に「慶應四谷食堂」があった。この食堂はやがて「レストラン・喫茶 ブランシェ」と店名を変えたが新病棟着工の際に建物は取り壊されている。また、「スターバックスコーヒー」や「ナチュラルローソン」のイートインコーナーも、多忙な塾生から人気があるようだ。


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本連載は終了しました。
バックナンバーをご紹介しています。

第102回
三田通り周辺


2015年8・9月合併号掲載

第101回
武藤山治


2015年7月号掲載

第100回
金玉均


2015年6月号掲載

第99回
大講堂


2015年4月号掲載

第98回
阿部泰蔵と門野幾之進


2015年3月号掲載

第97回
日吉キャンパスの遺構と施設


2015年2月号掲載

第96回
学食の変遷


2014年12月号掲載

第95回
神津家の人々


2014年11月号掲載

第94回
水上瀧太郎
──文学と実業の二重生活


2014年10月号掲載

第93回
関東大震災とキャンパス
──三田・四谷の被害と復興


2014年8・9月号掲載

第92回
堀口大學


2014年7月号掲載

第91回
陸上・水上運動会の変遷


2014年6月号掲載

第90回
平和来
──卒業二十五年塾員招待事始夫


2014年5月号掲載

第89回
望郷詩人──南紀の佐藤春夫


2014年4月号掲載

第88回
下田グラウンド


2014年3月号掲載

第87回
予防医学校舎と食研
──空襲の痕跡


2014年2月号掲載

第86回
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2014年1月号掲載

第85回
越後 ──西脇順三郎と吉田小五郎


2013年12月号掲載

第84回
修善寺 ──幼稚舎疎開学園


2013年11月号掲載

第83回
神宮球場


2013年10月号掲載

第82回
富士見高原
──空気はよし風俗は朴素なり


2013年8・9月号掲載

第81回
みちのくの史跡を訪ねて
──能代・弘前・木造


2013年7月号掲載

第80回
紀州和歌山と義塾の洋学


2013年6月号掲載

第79回
福澤先生と演劇──三つの劇場と三人の歌舞伎役者


2013年5月号掲載

第78回
ヨネとイサム・ノグチ──二重国籍者の親子


2013年4月号掲載

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