慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

慶應義塾の風景
三田評論表紙
2016年7月号表紙


space今月の特集spaceKEIO PHOTO REPORTspace立ち読みspace三田評論とはspace次号予告space前号紹介spaceバックナンバーspace講読方法space
  メインページ->立ち読み  
  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第69回――三田評論 2012年6月号    
 

電力の鬼・松永安左エ門(上)

 
 
 
     
  加藤三明(慶應義塾幼稚舎長)  
     
 

12
 
 

 

 松永安左エ門は、明治八年十二月一日、長崎県壱岐の印通寺で造り酒屋や回船問屋を営む商家の長男(幼名・亀之助)として生まれる。『学問のすゝめ』に感激し、明治二十二年上京、慶應義塾に入学。明治二十六年父の死により帰郷し、家督を相続し三代目安左エ門を襲名。明治二十八年、家業を弟・英太郎にゆだね、義塾に復学した。福澤先生の朝の散歩にお供をするようになり、先生の謦咳(けいがい)に接すると共に、事業の先輩・生涯の盟友福澤桃介の知遇を得る。卒業まであと一年という明治三十一年、学問に興味が湧かなくなったことを福澤先生に告白すると、「卒業など大した意義はない。そんな気持ちなら社会に出て働くがよかろう」と勧められて退学する。福澤先生の記念帳に「わが人生は闘争なり」と記す。

 


 三井呉服店や日銀、桃介の丸三商会に勤めたり、桃介と共に福松商会を創立したり、いろいろな事業に関わるが、明治四十二年福博電気軌道の設立に関わり、「電力王」「電力の鬼」と呼ばれる安左エ門が、電力事業に携わる第一歩となった。そして、いくつかの電力会社を合併し、九州電燈鉄道となり、さらに大正十一年関西電気と合併して、東邦電力を設立し副社長に、昭和三年には社長に就任し、一都十一県に電力を供給するまでになった。

 

 

 戦時体制となり昭和十二年「電力国家管理案」が発表されると、一貫して戦争、そして電力の国家管理、国営に反対していた安左エ門であったが、昭和十四年国家総動員法を楯にして、強制的に電力の国家管理が始まった。昭和十七年には東邦電力も解散させられ、民営化の時代が終わると、安左エ門は、一切の事業から手を引き、後述の柳瀬山荘にて隠棲生活を送る。

 


 しかし、戦後の電力問題のため、昭和二十四年、満七十四歳にもかかわらず電力事業再編成審議会会長に推されると、国家管理によって失敗した日本の電力事業の再生に乗り出し、国家の手にあった電力を多くの反対を押し切って、民営の九つの電力会社に再編した。しかも、世論の反対を押し切って、電気料金の値上げを強行、結果としては安定した電力供給を成し遂げた。その強行的姿勢から「電力の鬼」の異名を得たが、この一連の姿勢にまさに「電力の鬼」の真骨頂があった。

 

 

壱岐松永記念館

 

 玄界灘に浮かぶ壱岐の島。行政区は長崎県に属するが、長崎空港から日に二便、三十六席の小型プロペラ旅客機が飛ぶだけで、アクセスとしては福岡県の博多または佐賀県の唐津からのフェリーが便利である。

 

 

 唐津からのフェリーが着く石田町印通寺浦の安左エ門の生家跡に「壱岐松永記念館」がある。この記念館は、昭和四十六年、安左エ門逝去十日後の六月二十六日に開館した。敷地に入ると、右手に生家の一部が保存されている。外見は何の変哲もない日本家屋だが、内部に入ると太い梁(はり)が巡らされている重厚な建築であった。正面には、福博電気軌道から発展した西鉄の路面電車が置かれ、その左に「長崎平和祈念像」の作者北村西望の手による安左エ門と一子夫人の胸像がある。記念館には、彼の遺品、書などが展示されている。

 


松永記念館胸像

 

 

おとめ山公園(目白の自宅)

 

 大正十一年東邦電力が設立され、本社が東京に置かれると、下落合に社宅用地六千五百坪を買収し、林泉園と称するこの地に安左エ門は住むようになる。現在、徒歩で目白駅から十分、高田馬場駅から七分、下落合二丁目十番の新宿区立おとめ山公園がその場所である。落合崖線に残された斜面緑地で、ここの湧水は東京湧水五十七選に選定されている。元は将軍の鷹狩りの場で、立ち入りが禁止されていたため御留山(おとめやま)と呼ばれ、明治時代になると近衛家と相馬家が所有していた。公園西側が相馬家の所有していた所で、ここに林泉園を造園した。

 


 関東大震災の翌日、大正十二年九月二日、ここ林泉園自宅内に応急事務所を設置し、罹災職員の救護・通信連絡が行われたという。

 

 

 

line

 

これまでの史跡めぐり
本連載は終了しました。
バックナンバーをご紹介しています。

第102回
三田通り周辺


2015年8・9月合併号掲載

第101回
武藤山治


2015年7月号掲載

第100回
金玉均


2015年6月号掲載

第99回
大講堂


2015年4月号掲載

第98回
阿部泰蔵と門野幾之進


2015年3月号掲載

第97回
日吉キャンパスの遺構と施設


2015年2月号掲載

第96回
学食の変遷


2014年12月号掲載

第95回
神津家の人々


2014年11月号掲載

第94回
水上瀧太郎
──文学と実業の二重生活


2014年10月号掲載

第93回
関東大震災とキャンパス
──三田・四谷の被害と復興


2014年8・9月号掲載

第92回
堀口大學


2014年7月号掲載

第91回
陸上・水上運動会の変遷


2014年6月号掲載

第90回
平和来
──卒業二十五年塾員招待事始夫


2014年5月号掲載

第89回
望郷詩人──南紀の佐藤春夫


2014年4月号掲載

第88回
下田グラウンド


2014年3月号掲載

第87回
予防医学校舎と食研
──空襲の痕跡


2014年2月号掲載

第86回
新田運動場


2014年1月号掲載

第85回
越後 ──西脇順三郎と吉田小五郎


2013年12月号掲載

第84回
修善寺 ──幼稚舎疎開学園


2013年11月号掲載

第83回
神宮球場


2013年10月号掲載

第82回
富士見高原
──空気はよし風俗は朴素なり


2013年8・9月号掲載

第81回
みちのくの史跡を訪ねて
──能代・弘前・木造


2013年7月号掲載

第80回
紀州和歌山と義塾の洋学


2013年6月号掲載

第79回
福澤先生と演劇──三つの劇場と三人の歌舞伎役者


2013年5月号掲載

第78回
ヨネとイサム・ノグチ──二重国籍者の親子


2013年4月号掲載

これ以前の連載はこちら

 
 
   
line  
 
 
 
  12  
 
TOPへ戻る
 

 

 
Copyright (C)2004-2010 Keio University Press Inc. All rights reserved.