慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第55回――三田評論 2011年3月号    
 

憲政の神様

 
 
 
     
  加藤三明(慶應義塾幼稚舎長)  
     
 

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犬養毅(木堂)

 木堂(ぼくどう)は、安政二(一八五五)年備中国庭瀬村字川入(現岡山市北区川入一〇二の一)で代々大庄屋や郡奉行を務めていた犬養家に生まれる。
 現在この地には、昭和五十一年に犬養家から岡山県に寄贈され、解体復元修理が行われた犬養の生家があり、用水路を隔てた隣地に平成五年十月に開館した犬養木堂記念館がある。木堂記念館には、彼の遺墨、手紙、遺品、写真等が展示され、「新内閣の責務」という彼の演説を聞けるコーナーもある。生家裏には犬飼家代々の墓があり、分骨された「犬養毅之墓」もある(「犬飼」であったものを明治五年頃から「犬養」にした)。

 

犬養毅生家
犬養毅生家

 木堂記念館から庭瀬駅に行く途中にある岡山市吉備公民館入口には、犬養の銅像とハス博士大賀一郎書の「話せばわかるの碑」があり、ロビーには木堂書の極めて大きな「忠孝節義」の額などがある。犬養家の先祖犬養健(たけるのみこと)命は、吉備津彦命の随神であったという伝えから、吉備津神社(吉備線吉備津駅下車)の神池の畔に犬養の銅像(昭和九年、朝倉文夫作)が立ち、「官幣中社吉備津神社」と記された社号標も彼の揮毫による。この地方には、吉備津彦命を桃太郎に、犬飼を桃太郎に仕えた犬に例える伝説もある。

 明治九年から慶應義塾に入学。在学中、郵便報知新聞の記者として、西南戦争の前線から記事を書き、名を挙げたが、福澤先生に「命知らずの大馬鹿者」と怒鳴られた。首席になれない悔しさから卒業目前の明治十三年に退学した。明治二十三年、帝国議会開設に伴う第一回衆議院選挙に岡山三区から立候補し当選。以来、昭和七年に五・一五事件で暗殺されるまで、連続十九回当選し、政党政治の確立に尽力した。連続十九回当選は、咢堂(がくどう)に次ぐ記録である。

 その間、明治三十一年大隈内閣の下で尾崎の後を受けて文部大臣に就任、以後、文部、逓信大臣などを歴任。大正十四年、衆議院選挙において二十五歳以上の全ての男子に選挙権を認めた普通選挙法が公布されると、自分の役目は終わったと政界を引退表明し、南に富士を東に八ヶ岳を望む長野県の富士見高原に新築した「白林荘」に隠棲を志す(白林荘は現在、個人の所有であり、見学は富士見町役場に要確認。富士見駅から徒歩十五分)。

 しかし、選挙民は引退を許さず、立候補の手続きをして、当選させてしまう。昭和六年十二月に推されて第二十九代総理大臣となり、前年に勃発した満州事変など軍部の独走に歯止めをかけようとするが、慶應義塾創立七十五年記念式典出席の六日後、昭和七年五月十五日「まあ待て、話を聞こう」という言葉もむなしく、昭和四年に竣工した永田町首相官邸で海軍青年将校の凶弾に倒れる。七十七歳であった。

 大正十年秋からの木堂の邸宅は、四谷区南町八八(現新宿区南元町六の二)にあった。信濃町駅隣、現在女子学生会館明泉の所で慶應病院の直ぐ近くである。墓所は、青山霊園1種ロ8号にある。「墓石は質素なものとし、犬養毅とのみ書きて位階勲等を記さぬこと」という遺言に従って、「犬養毅之墓」と刻まれた墓石であるのも、師福澤先生に通ずるところがある。

 

尾崎行雄(咢堂)

 咢堂は、木堂から遅れること三年、安政五年、相模国津久井郡又野村(現神奈川県相模原市津久井町又野六九一)で代々名主を務めていた尾崎家に生まれる。

 現在この地には、相模原市立尾崎咢堂記念館がある。館内資料室には「為公正(こうせいをなす)」、「義是重(ぎはこれおもし)」」などの書、遺品などが展示されている。屋外には、咢堂が東京市長在職中の明治四十五年、米国ワシントンのポトマック公園に三千本の桜の苗木を送り、昭和四十五年ワシントンから足立区に里帰りした桜の苗木の一本が「咢堂桜」として植えられている。また、大正四年、米国大統領タフトから桜の返礼としてハナミズキが送られたが、都立園芸高校にある原木より育てられたハナミズキも植えられている。昭和二十五年建立の「ヲザキユキヲウマレチ」と自ら揮毫した碑があるが、この碑の完成に訪れたのが、最後の生誕地訪問になった。

 明治元年、母に伴われて上京し、満十歳で生誕地を離れる。明治五年には、父の転勤に伴い、度(わたらい)会県(現三重県南部)の山田(伊勢市)に移住、ここで伊勢神宮外宮に隣接する宮崎語学校に通う。宮崎語学校の前身は、豊宮崎文庫で伊勢神宮所有の書籍の保管、和学・漢学の講義を行っていたところで、現在は伊勢市立郷土資料館になっており、門と土塀が往時の様子を残している。

 明治七年、再び上京、慶應義塾に入学する。後年、自ら後悔しているように福澤先生に反抗して、明治九年、慶應義塾を退学。しかし、明治十二年、咢堂のことを気にかけていた福澤先生の推薦により、新潟新聞主筆となる。

 明治二十三年、第一回衆議院選挙に三重五区から立候補し当選、福澤先生を訪ねる。いつも小言ばかり言っている先生も、今度は少しくらい誉めてくれるだろうと思っていると、先生は「おめでとう」とも何とも言わず、傍らの筆を執って次のような詩を書いた(原文は漢詩)。

道楽の発端有志と称す
馬鹿の骨頂議員となる
祖先伝来の田を売り尽くして
かち得たり一年八百円

しかし以後、満九十四歳まで連続二十五回当選、六十三年間在職は、これに次ぐ者がいない。藩閥・軍閥政治、軍備拡大、治安維持法に対して一貫して反対の立場を貫いた。

 咢堂の父行正は、明治十一年に熊本にて官吏を引退すると、かつての赴任地、現伊勢市川端町九十七の二に居を構えた。そのような経緯から尾崎は三重から立候補することになった。現在、宮川に面する尾崎家があった地には、明治時代の洋館を意匠した尾崎咢堂記念館が建ち、絶筆の「不恨天 不咎人(てんをうらまず てんをとがめず)」などの書、遺品、写真などを展示している。尾崎咢堂記念館は、昭和三十四年に旧尾崎邸に陳列室を設けて開館したものだが、平成十五年に現在の建物を建設し、装い新たに開館した。

 先妻と死別した咢堂は、明治三十八年、日本人の父とイギリス人の母との間に生まれ、同三十二年から三十五年まで幼稚舎で英語の教師を務めていた尾崎テオドラ英子と結婚する。そして、麻布に洋館の新居を設けたが、その建物が、昭和八年に世田谷区豪徳寺二の三十の十六に移築され、人知れず現存している。

 逗子の披露山公園駐車場に、尾崎行雄記念碑がある。朝倉文夫による肖像レリーフがあり、咢堂の書「人生の本舞台は常に将来に在り九十四翁」が刻まれている。そこから真下の細い旧道を右へ右へと下っていくと、「新宿5丁目1」の住居表示板に突き当たるが、その向かいの石垣に「OZAKI 風雲閣」という石版の表札がはめ込まれている。ここに昭和二年から尾崎の住居であった風雲閣があった。

 昭和二十八年、第二十六回衆議院選挙に落選するが、衆議院名誉議員に推薦され、翌年、満九十六歳で永眠。墓所は、北鎌倉円覚寺境内奥の黄梅院にある。岩壁に穴の掘った、いわゆる矢倉の中に墓石があるが、墓所は檀家以外立ち入り禁止と書いてあった。

 国会議事堂前に憲政記念館がある。昭和三十五年、憲政の功労者である尾崎を顕彰して、尾崎記念館が建設されたが、昭和四十五年にこれを吸収して憲政記念館となった。入口前には、咢堂の銅像や記念碑があり、館内には尾崎メモリアルホールがあり、尾崎の生涯に関する説明、遺品、書などを見ることができる。また、咢堂の「普選について」の演説も聞ける。

 

尾崎咢堂像(憲政記念館)
尾崎咢堂像(憲政記念館)

 

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これまでの史跡めぐり
本連載は終了しました。
バックナンバーをご紹介しています。

第102回
三田通り周辺


2015年8・9月合併号掲載

第101回
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第100回
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第99回
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第98回
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2015年3月号掲載

第97回
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2015年2月号掲載

第96回
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第95回
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第94回
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──文学と実業の二重生活


2014年10月号掲載

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──三田・四谷の被害と復興


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2013年10月号掲載

第82回
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──空気はよし風俗は朴素なり


2013年8・9月号掲載

第81回
みちのくの史跡を訪ねて
──能代・弘前・木造


2013年7月号掲載

第80回
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2013年6月号掲載

第79回
福澤先生と演劇──三つの劇場と三人の歌舞伎役者


2013年5月号掲載

第78回
ヨネとイサム・ノグチ──二重国籍者の親子


2013年4月号掲載

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