慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第49回    
 

ロンドン(その四)

  ――キングス・コレッジ・スクールとロイヤル・アーセナル

 
 
 
     
  加藤三明(慶應義塾幼稚舎長)  
     
 

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ウリッチロイヤル・アーセナル

 『西航記』5月12日(6月8日)に先生は次のように書いている。

 

 「ウールヰッチュに行き、アルムストロン砲製作局を観(み)る。ウールヰッチュは龍動(ロンドン)橋より12里。朝10時、旅館を出、午後4時まで局内を周観したり。此局は近来専(もっぱ)らアルムストロン砲のみを製造し、海陸軍用に供す。大砲の数7日毎に三十門を造り、三年前より持続すと云。」

 

 ウリッチ(Woolwich)は、ロンドン橋よりテムズ川下流の南岸約12キロの所にある町である。London Charing Cross駅からLondon Bridge駅、Greenwich駅を経由して、Woolwich Arsenal駅まで列車で3、40分といった所で、列車は頻繁に出ている。

 

 ウリッチの名が歴史上に登場するのは、エリザベス一世の父、ヘンリー8世の命令で、1512〜3年、ここに王立造船所(Royal Dockyard)が造られた時である。ここで造られた英国海軍の軍艦によって、スペイン無敵艦隊を撃破し、イギリスは世界の海の支配していく。

 

 1869年に造船所は閉鎖されたが、現在も1840年代に造られた2つのドックの遺構や1770年代に建てられた建物が残っている。そして町の東端のWarrenと呼ばれる場所にまず武器庫が、1696年には王立火薬製造所(RoyalLaboratory)が、1715〜7年、王立大砲鋳造所(Royal Brass Foundry)が次々と造られ、この地は武器の製造と試験の中心地となっていき、1805年、ジョージ三世によって王立兵器工廠(Royal Arsenal)と命名された。

 

  1716年に、ここに英国砲兵隊(Royal Artillery)が、1720年に王立陸軍士官学校(Royal MilitaryAcademy)が設置され、Warrenはまさに軍事基地の観を呈してきた。

 

  福澤先生が訪ねた「アルムストロン砲製作局」というのは、この王立兵器工廠のことである。アームストロング砲とは、1855年にイギリスのウィリアム・アームストロングが開発した大砲で、後装式(弾を後ろから詰める)で発射までの時間がかからず、砲身内にらせん状の溝が切ってあるので、弾が回転し、飛距離の向上と弾道の安定が図られるという最新兵器であった。当初は輸出禁止であったが、薩英戦争で使用した結果、爆発事故が起こるなど、その成果が期待外れであったため、輸出禁止が解かれ、トマス・グラバーの手によって、官軍がこれを購入し、戊辰戦争で使用されるに至った。先生が砲声轟く中、ウェーランド経済書を講義していたという上野戦争でも、二門のアームストロング砲が使用された。

 

12ポンド・アームストロング砲
 
12ポンド・アームストロング砲

 

 第一次世界大戦中は、約10万人の労働者が働いていた王立兵器工廠であったが、その後徐々に縮小され、1967年武器製造は行われなくなり、1994年には完全に閉鎖され、かつて一般市民には公開されることがなかったこの場所は、住居や商業施設として再開発されている。しかし、正門(Gatehouse)、旧士官学校(Old Royal Military Academy)やダイアル・スクエア(Dial Square)など十七世紀までさかのぼれる建物が残され、Firepowerと呼ばれる英国砲兵隊博物館(Royal Artillery Museum)もある。(水〜日曜開館)砲兵隊博物館は、1802年Warrenにオープンし、1820年から、駅の反対側、現在砲兵隊が駐屯しているWoolwich Commonにある野戦テントを模したRotunda(円錐形の屋根をもった風変わりな建物)にあったが、2001年5月にFirepowerと称して、かつて王立武器工場があった地に大規模な博物館となってオープンした。

 

  Firepowerには、多くの大砲や戦車が展示されているが、その中にアームストロング砲や長岡藩の河井継之助が使用した多砲身の回転機関銃、ガトリング砲を見つけることがFirepower(英国砲兵隊博物館)できる。

 

 ロンドンにアーセナルという名門フットボールクラブがあるが、1886年に兵器工廠のダイアル・スクエアで働いていた労働者が結成したクラブが、起源となっている。当初はダイアル・スクエアという名称であったが、暫くしてロイヤル・アーセナルに、1891年にウリッチ・アーセナルと改称し、1914年には、ロンドン北部に移転し、たんにアーセナルとした。選手の胸に、大砲をデザインしたエンブレムを付けているのは、ここに由来する。

 

 また余談であるが、ロンドンブリッジ駅でウリッチに行く列車を確認しようと駅員に尋ねたところ、「ウリッチ」が通じない。「スペルを言ってみろ」と言われて理解してもらえたのだが、発音が悪いと言われて、何回も練習させられた。どうもWの発音が悪かったらしい。福澤先生の滞欧日記『西航記』文久2年4月21日(西暦1862年5月21日)に、次のように記されている。

 

Firepower(英国砲兵隊博物館)
 
Firepower(英国砲兵隊博物館)

 

 

 

 

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