慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第47回    
  咸臨丸(下)
 
 
 
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  加藤三明(慶應義塾幼稚舎長)  
     
 

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七、塩飽

  サンフランシスコにある三水夫の墓に葬られている源之助、富蔵両人とも塩飽(しわく)の出身であったが、咸臨丸に乗り組んだ50名の水主(かこ)(水夫)の内、35名が塩飽諸島の出身である。塩飽諸島とは瀬戸大橋が架かっている西備讃瀬戸に浮かぶ大小二十八の島々をいい、現在の行政区分では香川県に属している。

 

 塩飽諸島は、古くから塩飽海賊衆の根拠地で、室町時代には倭寇として活躍し、信長、秀吉は彼らを水軍として手中に収め、内海航路の優先権を保証した。秀吉の朝鮮の役にも出役している。太平な徳川の世となって塩飽船方衆と呼ばれた航海技能集団は、物資輸送の廻船業に従事するようになる。

 

 関ヶ原の戦における塩飽水軍の功績に対し、慶長5(1600)年、家康から塩飽島中に、人名(にんみょう)と称された塩飽船方650人に1250石の領地を安堵するという内容の朱印状が下されている。即ち、塩飽諸島は藩にも天領にも属さず、島民による自治が認められていた特異の存在であった。しかし、御用船方として年貢米などの回漕、長崎奉行や朝鮮使節の送迎など幕府に奉仕する幾つかの役目が課されていた。従って、幕末の洋式軍艦運用にあたっても、塩飽船方衆の技術を評価して、咸臨丸に多くの塩飽水夫が登用された。

 塩飽諸島の中心的役割を果たしている本島(ほんじま)へは、フェリーで四国側の丸亀から35分、本州側の児島から30分で行ける。本島は周囲16.4キロで、本島港に貸自転車があり、それを使用して島を巡るのがいい。

 

 本島港から徒歩10分、宮ノ浜に人名から選ばれた4人の年寄が交代で政務をとった塩飽勤番所がある。勤番所は、寛政7(1795)年に建築され、文久2(1862)年に改築、明治以降は本島村役場、昭和29年に丸亀市に併合されて、市役所本島支所として昭和40年まで使用されていた。昭和45年に国の史跡に指定され、昭和50年より2年の歳月と7240万円の経費をかけて復元工事が行われ、一般公開されるようになった。

 

 一辺約42メートルの土塀に囲まれた敷地を有し、長屋門を潜ると右手に番人部屋、正面に本館がある。本館は政務が行われていた所で、現在はここに、織田信長、豊臣秀吉・秀次、徳川家康・秀忠の朱印状を始め、塩飽関係の古文書、民俗資料が展示されている。

 

塩飽勤番所
 
塩飽勤番所

 

 なお、咸臨丸関係では、次のものが展示されている。高島清造の持ち帰った1859年5月21日の新聞と水壜、石川政太郎の咸臨丸航海日誌、彼が持ち帰ったコップ・インクスタンド・油絵、サンフランシスコで写した松尾延次郎、向井仁助の写真、豊島兵吉が持ち帰ったコップ。

 

 勤番所からさらに徒歩10分、笠島の集落は、出格子の表構えの家が立ち並んでいる。江戸時代の建物は13棟、明治時代のものは20棟あり、「伝統建造物群保存地区」に指定されているが、訪れる人は多くなく、静かな町並みである。シーボルトも寄港し、その造船所に感嘆したほどの良港であった笠島の港からは、塩飽諸島の櫃石(ひついし)島、岩黒島、与島に橋脚を置いた瀬戸大橋の全貌が眺められる。その眺めは、益々この島を時代から取り残していくように感じた。

 

 この本島に咸臨丸が立ち寄ったことがある。文久2年8月13日、オランダに渡る幕府留学生を長崎まで送り届ける途中、水夫に塩飽出身者が多いので、わざわざ本島に立ち寄ったのである。その様子が「島民は端艇に乗って群がり来り母は子を認め、婦は夫を認めて歓呼相応じ喜色満面に錺れて居った。」と『幕末咸臨丸』に記されている。

 

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