慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第30回    
  箱根 福住・南足柄 福沢小学校――福澤先生と箱根開発
 
 
 
  大澤輝嘉(慶應義塾中等部教諭)  
     
 

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箱根温泉

 箱根温泉は、奈良時代の天平十(七三八)年、釈浄定坊が発見した「惣湯」を起源とするといわれている。この源泉は現在も使用されている。江戸時代には東海道に沿った温泉地として繁栄し、「箱根七湯」として知られた。この頃の七湯は、湯本、塔ノ沢、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦之湯であった。芦ノ湖畔には箱根の関所が設けられ、江戸幕府防衛のための関と位置付けられていた。

福澤先生と旅行

 福澤先生は三度の外遊を経験しているが、国内を観光目的で巡ったのは明治期に入ってからで、京阪、山陽、信州、上州、茨城などの各方面に足をのばした。また、保養のためによく逗留した場所は、箱根、大磯、鎌倉、酒匂(さかわ)、静浦(現在の沼津)などであった。多くは家族同伴で、期間は一、二週間が多かったが、一カ月にわたるときもあり、その間に一、二度帰京することもあった。逗留中も時事新報社説の起草、校正などに忙しく、また散歩は一日も欠かさず、雨天のときは居合い抜きをするなど、在宅中と同じ日課をこなしていたという。
 先生は、「温泉そのものは効能の有無は分らないけれども、ただ空気が変わり、気分が変わるのがよいようである、そして山に登ったり何かして散歩するのには都合がよいから行くのである、併(しか)し空気の変わるのが果たして健康によいものであるならば、自宅に居ながら家の中の空気だけを変えるという工風は出来ないものであろうか」(『福澤諭吉傳』)といっていた。先生の温泉行きは、四季随時に思い立ったもので、避暑、避寒というのではなく、寒中に二、三泊の散歩旅行を試みることもあった。

福澤先生と二つの温泉旅館「福住」

 箱根湯本の町を過ぎ、国道一号線を早川渓谷に沿って上っていく。塔ノ沢温泉の手前にある箱峰洞門(近代土木遺産)は、福澤先生の提案により造られたものといってよいであろう。塔ノ沢は箱根の中では比較的新しい温泉で、江戸時代初期、慶長九(一六〇四)年、塔ノ峰山中で修行をしていた弾誓(だんじょう)上人がこの温泉を発見したといわれる。

 明治三(一八七〇)年、五月に腸チフスを患った福澤先生は、その年の十月、養生のための熱海入湯からの帰途に箱根湯本を訪れ、湯本の福住旅館に二日間滞在し、その後もたびたび箱根を訪れるようになる。湯本温泉の泉質は、江戸時代に箱根七湯を紹介した「七湯の枝折(しおり)」に「冷湯にして気味なし」と記されたほど、ぬるめの湯である。

箱根湯本「萬翠樓福住」
箱根湯本「萬翠樓福住」

 一方、塔ノ沢温泉は「温湯にして気味かろし」といわれたように湯本より温度が高い。先生は、熱めの湯を好んだ(明治三年十月二十二日付阿部泰蔵宛書簡)ため、湯本の福住旅館から分家し、山道をさらに登った塔ノ沢にあった福住喜平治の福住樓(塔ノ沢福住)に逗留することも多かった。塔ノ沢の福住樓には先生が記した引き札(広告チラシ)が残されている。「当温泉場の義は箱根七湯の中にて山浅からず深からず、小田原の市を去ること二里足らず」、「温泉の清潔は七湯中第一」と宣伝している。

塔ノ沢「福住樓」
塔ノ沢「福住樓」

 一方、湯本の福住旅館は、寛永二(一六二五)年の創業と言われる湯本きっての老舗旅館で、現在は「萬翠樓(ばんすいろう)福住」と称している。明治十二年に建てられた県内に現存する最古の擬洋風建築(国指定の重要文化財)である。先生訪問当時の主人は十代目の福住九蔵( 正兄(まさえ))であった。正兄は、文政七(一八二四)年、相模国大住郡片岡村(現平塚市片岡)にて名主大沢市左衛門の五男として誕生した。弘化二(一八四五)年、二宮尊徳の塾へ入門、嘉永三(一八五〇)年、箱根湯本の福住家へ婿養子に入り、家名を相続して十代目九蔵となった。福澤先生が箱根に逗留するようになった当初から先生と入魂になった正兄は、明治四年に家督を長男に譲り、正兄と改名。旅館を石造り三階建てに建て替えると共に、観光地箱根の近代化のために種々の事業に着手するのであった。

 

福住正兄
福住正兄

 

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2015年8・9月合併号掲載

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2015年3月号掲載

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──文学と実業の二重生活


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──空気はよし風俗は朴素なり


2013年8・9月号掲載

第81回
みちのくの史跡を訪ねて
──能代・弘前・木造


2013年7月号掲載

第80回
紀州和歌山と義塾の洋学


2013年6月号掲載

第79回
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2013年5月号掲載

第78回
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