慶應義塾機関誌

 三田評論
  明治31年3月創刊(毎月1回1日発行)
   発行:慶應義塾 編集人:慶應義塾広報室長 編集・制作:慶應義塾大学出版会

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  慶應義塾史跡めぐり    
     
  第29回    
  適塾と緒方洪庵
 
 
 
  加藤三明(慶應義塾幼稚舎長)  
     
 

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緒方洪庵先生

 塾生大部屋の奥にはヅーフ辞書が置かれていた6畳のヅーフ部屋がある。ヅーフ辞書とは出島のオランダ商館長ヅーフがフランソワ・ハルマの蘭仏辞書を元に作成した手書きの蘭和辞書である。当時は極めて貴重で適塾にも一部しかなく、『自伝』にあるように、会読の前の晩は、ヅーフ部屋に「5人も10人も群をなして無言で字引を引きつつ勉強している」という状況であった。今はヅーフ部屋の中央にショーケースが置かれ、ヅーフ辞書が展示されている。しかし、このヅーフ辞書は塾生遠州藩岡村義理の子、義昌の所持本で、適塾に備えられていたものではない。適塾に備えられていたヅーフ辞書は、洪庵が江戸に発つ際の混雑の折、紛失してしまったという。ヅーフ部屋の位置については、その隣が女中部屋であったこと、しかも塾生大部屋と行き来ができなかったという説もあり、疑問を投げかける向きもある。

 『自伝』に夏の夕方に物干しで酒を飲んだ件(くだり)があるが、女中部屋の奥の階段を上ると物干しに出る。適塾を見学していると、先生と経験を共にしたような気がして、感無量となる。福澤関係の史跡の中で最も当時の様子をうかがい知ることができる。
 先生は、安政4年に塾長となった。最上級の塾生になると、洪庵の講義を聞くことになるが、先生はそれについて次のように記している。

その緻密なること、その放胆なること、実に蘭学界の一大家、名実ともにたがわぬ大人物であると感心したことは毎度のことで、講義終り、塾に帰って、朋友相互(あいたがい)に「きょうの先生のあの卓説はどうだい、なんだかわれわれは頓(とみ)に無学無識になったようだ」などと話したのはいまに覚えています(『自伝』)

 

洪庵像と物干
洪庵像と物干

 先生は安政五年十月、江戸の中津藩邸で蘭学を教えるため、適塾を離れる。
 一方、洪庵は、適塾の一区画裏、緒方ビルに彼の肖像を浮き彫りにした「除痘館の碑」があるように種痘接種にも尽力し、その名声は日に日に増していった。ついに文久2(1862)年8月、幕府のたっての頼みで、西洋医学所頭取および奥医師を務めるため、江戸に向かったが、翌年6月12日御徒町の西洋医学所頭取屋敷にて突然の大喀血で急死。先生も危篤の知らせを受け取り、新銭座から駆けづめで向かったが、既にこと切れてしまった後であった。洪庵54歳であった。洪庵の墓は、遺骨を埋葬した江戸駒込高林寺と遺髪を埋葬した大阪龍海寺にある。

 先生がチフスに罹った時の心遣い、福澤家の家督相続後に学資のない先生を適塾の食客生に迎えたこと、卓越した学識、平易な文章を書けという教え、自由を尊ぶ気風など、先生が洪庵から受けた恩、影響は計り知れないものがある。正に洪庵なくして福澤諭吉はあり得なかったであろう。先生は「福澤全集緒言」にて次のように述べている。

先生の平生、温厚篤実、客に接するにも門生を率いるにも諄々として応対倦まず、誠に類い稀れなる高徳の君子なり。

 先生にとって洪庵は父に代わる人、夫人八重については、先生自ら「おっ母さんのようにしている大恩人」と語っている。

 

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