教育と医学

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特集にあたって2020年3・4月

多様化・深化するひきこもり支援

久保浩明・黒木俊秀

 斎藤環が「ひきこもり」という言葉を広く世に紹介したのは、一九九〇年代末であった。あれから二〇年以上を経た昨今、ひきこもりはますます社会から注目されるようになっている。最近、内閣府が実施した調査は、ひきこもりが、中高年層を含めると、少なくとも一〇〇万人を超えることを明らかにした。ひきこもりが長期化し、当事者とその家族がともに高年齢化し、両者が共倒れしかねない深刻な状況は、いわゆる「五〇八〇問題」として、しばしば報道されている。

 現在、ひきこもりに関する情報は、マスメディアやインターネット上の様々な媒体で取り上げられ、ひきこもりという用語を目にしない日はないと言っても過言ではない。また、ひきこもり経験者が手記を発表し、講演会や家族会で自らの体験を語る機会も増えており、当事者の率直な思いや貴重な経験から学ぶことも多い。こうしたたくさんの情報を、当事者や家族はいかに受け止めているのだろうか。もちろん、情報を適切に活かすことにより、ひきこもりからの回復の道筋を当事者が見出したり、家族が希望を抱いたりすることも多いだろう。他方、あまりに多くの情報を前にして戸惑い、かえって不安が高まり動けなくなる当事者や家族もいるのではないかという懸念もなくはない。

 なぜひきこもりに関する情報が多いのだろうか。それは、①ひきこもりは、様々な背景を有し、それまでに辿った経過が実に多様であること、②ある時点での当事者や当事者を取り巻く状況が、当面の課題や活用できる資質や資源を含めて、様々であること、さらに、③それぞれの事例に応じた色々な人生の目標があることなど、ひきこもりの過去・現在・未来のそれぞれで局面が多様性に富むことと関連するように思われる。こうしたひきこもりの多様さを反映して、その支援もまた、医療、福祉、心理、教育、家族、社会資源、資産プラン、健康管理……といった様々な切り口で取り上げられている。したがって、ひきこもりに対する支援は、単一の視点ではなく、多様な角度から社会全体で取り組むべきものであろう。

 本特集では、ひきこもりの当事者および家族等と向き合い、支援を続けている様々な分野の活動を紹介したい。蔵本は、ひきこもりの実態について報告し、それがもはや思春期だけにとどまらない全世代型の問題として考えることが必要であるという。そして、多くのひきこもりが国の施策の手前で取り残され、「透明な排除」の中に置かれていると訴える。また原田は、ひきこもりの回復過程について、充電期、安定期、及び活動期の三つに分けて、それぞれの段階において必要な支援について解説する。さらに斎藤環は、これまで長くひきこもりに向かい合ってきた自身の経験を振り返った上で、対話的支援という新しいあり方を提言する。

 ひきこもり親の会は、従来、全国各地で様々な形でひきこもりからの回復を支える重要な活動を担ってきたが、斎藤まさ子によれば、現在、親の会が財政難や会員の高齢化と減少などの課題に直面しているという。一方、石川は、ひきこもりを単に社会参加の有無だけで捉えるのではなく、その当事者の内面の苦悩にも目を向けた支援こそが必要ではないかと問う。タジャンによると、ひきこもりはわが国だけでなくフランスにも存在し、石川と同様、社会的に孤立した人々の尊厳を取り戻す支援を提供する必要があると主張する。

 本特集を通じて、今日、ひきこもりとの向き合い方と支援の仕方も、また多様化し、さらに深化しつつあることを読者は理解されるであろう。

執筆者紹介:久保浩明(くぼ・ひろあき)

九州大学大学院医学研究院精神病態医学分野臨床心理士、公認心理師。

執筆者紹介:黒木俊秀(くろき・としひで)

九州大学大学院人間環境学研究院教授。精神科医、臨床心理士。医学博士。専門は臨床精神医学、臨床心理学。九州大学医学部卒業。著書に『発達障害の疑問に答える』(編著、慶應義塾大学出版会、二〇一五年)など。

編集後記2020年3・4月

 人間は、善良で誠実な正の側面と、邪悪で狡猾な負の側面の両方を持っていて、その人が置かれた状況の特性によって、いずれかの側面が優勢になり、それが行動に表れるとする考え方がある。社会心理学者のジンバルドーは、状況の持つこうした影響をルシファー・エフェクトと呼んでいる。この人間観はさほど無理なく理解されうるものだろう。

 ここ数年、アメリカ大統領の気ままなツイッター発信やイギリスのEU 脱退等を契機として、欧米社会では、互いが自己利益を強く主張し、対立する考え方の人々を辛辣に批判する状況が増えている。不当な考え方である白人至上主義や自国利益至上主義でさえも、言論の自由を根拠に堂々と吹聴されることさえある。有色人種や外国人、移民への差別や偏見が助長され、息苦しく生きづらい社会が作り出されているのが、現下の状況だと言えるだろう。

 日本社会では、長年にわたり、互いの思いを察することが美徳とされてきたせいか、面と向かって他者を辛辣に批判する行為は少ないのかもしれない。しかし、集団で活動する場面では「空気を読む」ことが重視され、それが不十分な者を批判する風潮が少なからず存在する。また、SNS をはじめとする電子コミュニケーションの発展は、未知の人たちからの非難にさらされる環境を作り出した。やはり、息苦しさや生きづらさは存在している状況だといえるだろう。

 息苦しい状況では誰しもついつい攻撃的に振る舞ってしまい、傷つけあうことになってしまいがちだ。ひきこもりは、社会の中で傷つくことへの恐怖が重要な引き金になっていることが多い。恐怖や不安の情動は、自分ひとりでコントロールすることは難しいものだ。SNS は攻撃や非難の道具にもなるが、受容と共感のネットワークや勇気を奮い起こす場を作る道具にもなりうるだろう。他にも様々な知恵を持ち寄って、傷つく恐怖を克服する勇気を引き出し、社会生活を取り戻す支援の方法を工夫したいものである。

(山口裕幸)

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