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『ニクソン訪中と冷戦構造の変容 』
「まえがき」から抜粋
 



『ニクソン訪中と冷戦構造の変容 』
「序章」から抜粋
 




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 本書の目的は、公開間もない米国政府資料や関係各国政府の一次資料に依拠しながら、戦後の冷戦構造を事実上崩壊させた米中接近(ニクソン・ショック)の背景・経過・結果を解明し、その国際的影響や歴史的意義を多角的に論考することにある。

 つまり、米中両国はなぜ、どのように対立から和解へと方向を転じていったのか。両国の当局者は、方針転換の途上で国内におけるさまざまな障害(反対勢力など)に直面したはずであるが、それら障害とはどのようなものであり、またどのように対処していったのか。対内面とともに、対外面で隠密裏に実行された接近政策とその経過とはどのようなものであったのか。また接近を可能とした米中当事国以外の国際的要因とはいかなるものであったのか。そしてこの米中接近の直撃を受けた関係諸国の政治指導層は、この危機的事態をどのように認識し、どのように克服していったのか。その結果、国際冷戦構造はどのように崩壊していったのであろうか。

 このような問題意識を論者が共有した結果、方法論上、「衝撃を与えた主体」と「衝撃を受けた客体」とに大別して考察・分析することが適切であると判断した。そこで第一部では、衝撃を与えた当事国である米国と中国、また衝撃を受けた側ではあるが「一つの中国論」の当事国としての台湾、そして米国の対日安全保障政策、米国の対ソ核戦略政策と交渉を扱い、第二部では、さまざまなショックを被った関係諸国として日本、韓国、(北)ベトナム、インドネシア、オーストラリア、ソ連(ロシア)を扱うこととした。

……(中略)

 総じて、米ソ冷戦構造を事実上崩壊へと導いた米中接近の諸相とその国際的影響に関する研究を目的とする本書は、1970年代の国際関係の不透明な領域に光を照射するとの一般的な目標ばかりでなく、この研究を介して戦後半世紀に及ぶ国際社会の変質を提示するとの意義と独自性を持っていよう。新しい国際的枠組みを生み出したニクソン、キッシンジャー、毛沢東、周恩来など米中両国指導者の思想やイデオロギー、国際情勢への認識、極秘の政治行動過程、政府部内における政策形成・決定過程など、今後さらに深く究明する必要があるが、ひとまず先駆的役割を果たした点を強調しておきたい。

 最後に、米中の新たな幕開けをもたらした周恩来・キッシンジャー会談の概要に論及して、本書全体に関する若干の補論としたい。

 両者の会談は、1971年7月と10月の2度、合計15回、39時間25分に及ぶハードな会談であり、73歳の周恩来と48歳のキッシンジャーのまさに死力を尽くした外交史上に残る一大交渉であった。議論の中心は台湾問題とベトナム問題であり、双方が白熱した論戦を展開したが、1章および3章でも指摘のとおり、ニクソン・キッシンジャーの巧みな外交戦略・戦術がかなり功を奏したといえる。なぜか。
 第1に、中国側の主要な関心がソ連からの軍事圧力問題にあったことである。これは予想通りであった。第2に、日本の軍事大国化への懸念が大きかったことである。これは予想外であった。第3に、林彪ら軍部の抵抗があったこと(少なくとも71年9月12日まで)であり、これら抵抗勢力が周恩来の外交力を拘束したことである。これは予想外であった。第4に、中国における「アメリカ帝国主義」の相対的低下であった。これは予想通りであった。第5に、中国のインドシナ、とりわけ北ベトナムに対する影響力がそれほど強くはなかったことである。これは予想外であった。
 第1に、中国側の主要な関心がソ連からの軍事圧力問題にあったことである。これは予想通りであった。第2に、日本の軍事大国化への懸念が大きかったことである。これは予想外であった。第3に、林彪ら軍部の抵抗があったこと(少なくとも71年9月12日まで)であり、これら抵抗勢力が周恩来の外交力を拘束したことである。これは予想外であった。第4に、中国における「アメリカ帝国主義」の相対的低下であった。これは予想通りであった。第5に、中国のインドシナ、とりわけ北ベトナムに対する影響力がそれほど強くはなかったことである。これは予想外であった。
 上記のとおり、ニクソン・キッシンジャーにとって中国側、つまり周恩来の日本に対する警戒心の表明は予想以上の強さであった。これに対してキッシンジャーは、日本の経済大国化は必然的に軍事大国化へとエスカレートするとの周恩来の主張や厳しい日米同盟批判論に対して、日米安保条約の存在が未然日本の軍事大国化や核大国化を防止していると反論(いわゆるビンの蓋論)するなど、中国側からの批判をかわしたばかりか、最終的には日米安保条約の効用を認めさせることにも成功する。

 キッシンジャーの論点を整理すると以下のようになる。……(中略)

 では日本政府は一体これら日米接近の動きをどのようにとらえていたのか。外務省は一体何をしていたのか。その一端は6章でも触れているが、戦前における独ソ不可侵条約による衝撃をよき教訓としていないことだけは明らかである。本書を通じて改めて日本外交の有りようが問われることとなろう。
 

 

 
著者プロフィール:増田 弘
1976年慶應義塾大学大学院博士課程修了。専門分野:日本外交史、日本政治外交論。 主要業績:(監訳)『周恩来 キッシンジャー機密会談録』岩波書店、2004年、(単著)『自衛隊の誕生』(中公新書)中央公論新社、2004年、『政治家追放』(中公叢書)、中央公論新社、2001年、『公職追放論』岩波書店、1998年、(編著)『アジアのなかの日本と中国』山川出版社、1995年。
※著者略歴は書籍刊行時のものを表示しています。
 

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