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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第8号(2007年1月)
 

 

■ 目次 ■

 

3. アジア、多様性と統一性との狭間で
 多様性に満ちたアジア


 私はケンブリッジを中心に多くの人々と話をしている時、アジアという地域の持つ広大さ、そしてその多様性、更には地理的定義としてのアジアの曖昧さを毎日のように感じております。一般にアジアと言えば、私は、まず@日中韓等が在る東アジア、次にAシンガポール、タイ、ヴェトナム、フィリピン等の東南アジア、Bインドを含む南アジアが思い浮かびます。しかしこれらの地域だけがアジアではありません。C友人の中西英樹氏がシニア海外ボランティアの一員として活躍するウズベキスタンをはじめとする中央アジア、D欧州の友人と話している時に感じるのですが、アジアの中で彼等が一番関心を持っている地域は我々が中東という西アジア、Eサハリンの天然ガス開発等で最近注目されている北アジアが挙げられます。更には、太平洋に絡んだ国々を、政治経済的な視点からアジアと共に考えることも頻繁に行われます。すなわち、F豪州やオセアニア諸国等の大洋州諸国、G太平洋の東側に在る米国、カナダ、そしてペルーやチリ等の中南米諸国もアジアに絡んで考えることがしばしば行われます。

 こう考えますと、アジアは広く、政治経済的に、また宗教や歴史・習慣といった社会的に、各国間、時には個々の国の中でも多様性に満ちて、地理的な定義と共にアジアは捉え難い地域と言えましょう。小誌昨年9月号で触れましたが、数年前まで私は韓国に関してまったくの無知であったこと、そして、それまで自分を国際人として愚かにも自惚れていたことを恥かしく思ったことを述べました。ところで、中国に加え、韓国、ヴェトナムそしてタイといったアジア系料理の魅力に抗し難く、ケンブリッジでの私の昼食は完全に「アジア化」しているといっても過言ではありません。こうしたご縁からヴェトナムやタイの言葉や歴史にも関心を抱き始めましたが、それでもカンボジアやミヤンマーに関しては何の知識も有りません。中央アジアに在るウズベキスタンに関しては、幸い前述の中西氏が発表されているブログを通じて、@当地の政治経済社会制度、またA敗戦後、多くの日本の若者がスターリン等ソ連の指示によって当地でご苦労された悲しい歴史をうかがい知ることができました。とは言え、直接経験した訳ではないので、私の知識は完全に的外れである危険性を拭いきることはできません。私自身、米国や英独仏等の欧州諸国、更には中国に関して、現地に行き体験した上での知識と、書物やテレビ映像による知識とではまったく異なる事態に頻繁に遭遇しております。この点について、「特定の地域情報収集の際、二次元の地図、三次元の地球儀、そして自分の足で歩いた地方では、土地勘と本質的な情報の理解力がまったく異なる」と私はしばしば友人と語り合っています。この意味で、若く、そして才能のある方々には、可能な限り正確な情報・知識を体得するため、世界の人々を相手に直接的・持続的・多層的で双方向の知的対話をして頂くことを願っております。

 アジアの多様性について皆様は次のような感想をお持ちになるかも知れません。「アジアに限らず、欧州も米州大陸も、そしてアフリカも多様性を持っているではないか」と。勿論その通りです。しかし、小誌3月号で詳述する予定ですが、欧米に比べ、アジアでは、構成する主要国間での知的対話が極めて希薄であります。歴史的に観て、アジアでは、「志」が高く才能有る人々が、相互に影響を与え、友好的に競い合う「場・方法」が極めて限られてきたことは誰も否定できません。これについて日本を代表する文化人、山崎正和氏が、『フォーリン・アフェアーズ』誌の1996年7/8月号で発表し、そして『中央公論』誌の同年9月号に邦訳掲載された論文「環太平洋文明の誕生(“Asia, a Civilization in the Making”)」が参考になります。同氏は同論文の中で、欧米が経験した「文明のダイナミズム」は、アジアでは過去になかったことを指摘されています。近年になって初めて、アジアの急速な経済発展により、また米欧が牽引するグローバリゼーションに取り込まれる形でアジア全体の文明が勃興しつつあると山崎氏は述べておられます。遠い昔に遡りますと中国文明をはじめ、インダス文明、世界最古の文明であるメソポタミア文明、更には西アジアが絡むエジプト文明、すなわち世界の4大文明がアジアと深く関わっている訳ですが、中世・近世・近代を通じて欧米の文明が体験したような直接的に行う双方向の知的対話は相対的に希薄であったことは否めません。

 ご承知の通り、私は小誌を通じて、「直接的・継続的・多層的で、双方向の情報交換」の大切さを強調しております。その理由は、こうした形の情報交換を行わなければ情報の収集過程及び知識の形成過程で効率性を大きく損ない、また好機を逸する危険性が存在すると考えるからであります。如何に才能が有っても、また如何に「志」が高くても、ひとりの「ヒト」が独力で行えることは限られています。他の「ヒト」の指導や協力が無ければ、「知的迷路」に陥り、また何年も前に既に研究・発見されている事柄について如何に真剣に研究しても「知的な無駄骨」に終る危険性は誰の目にも明らかでしょう。ご存知の方も多いと思いますが、18世紀中国の偉大な学者である戴震(タイ・シン)の代表作の一つに『孟子字義蔬証(モウシジギソショウ)』という哲学書があります。私自身、本学図書館が148冊所蔵する戴震の本を未だ1冊も読んでないので正確なことは言えませんが、東洋哲学に詳しい知人によると、1724年生まれの戴震が残した『孟子字義蔬証』は、1627年生まれの日本の儒学者伊藤仁斎が著した『語孟字義』とほぼ同じ主張だそうです。「もし日中間で双方向の知的対話の道が有ったならば」と思っているのは私独りではないと思います。

 シルク・ロードを代表とする東西間の交易は大昔から行われていたものの、山崎氏は「中国文明の尋常ならぬ排他的性格(Chinese civilization’s unusual exclusivity)」に注目されておられます。確かにイタリア人宣教師マテオ・リッチが中国の数学者と東西間初の数学的情報交換を行ったとされるのが1589年、そして紀元前4世紀末のユークリッド幾何学(Στοιχε※α/Euclid’s Elements)を、リッチの友人で明の大学者、徐光啓が『幾何原本/几何原本』として訳出したのが1607年ですから、気が遠くなるくらいの時差が東西間に横たわっている訳です。また周知の通り、関孝和等の業績が示すように日本の数学(和算)も非常に高い水準にありました。そして1690(元禄3)年発表の井関知辰(いぜき・ともとき)の『算法発揮』は世界初の行列式に関する著作で、数学が得意な方ならご存知の「ファンデルモンデの行列式(Vandermonde Matrix)」と深い関係を持つ画期的な本です。私は18世紀フランスの天才的音楽家・科学者、ヴァンドルモンドゥが行列を考える約80年前に発表された『算法発揮』を、日本から直接的に、或いは中国を通じて間接的に知っていたら、数学の世界史は変っていたのではと創造力を逞しくすると同時に、「直接的・継続的・多層的で、双方向の情報交換」の重要性を痛感しています。

 以前小誌で触れた通り、私がアジア諸国を初めて訪れたのは1979年の中国ですが、次に機会が訪れたのは1997年の香港、韓国及びシンガポールでした。嘗ては、今ほどグローバリゼーションが進展しておらず、また私の外国語能力は、(a)英語、(b)仏語、(c)独語の順であったため、10年近くにわたり欧米諸国「だけ」の出張にとどまっていました。それが、1997年、香港返還直前、マサチューセッツ工科大学(MIT)のスザンヌ・バーガー教授が香港政庁の依頼で作成されたご著書(Made by Hong Kong)を現地で報告される機会に招待を頂き、また小誌9月号で紹介した技術規格に関するソウルでの国際会議に出席し、更にはデニス・エンカーネーション本校教授が議長として出席されたシンガポールでの或る国際会議に参加者の一人として招かれて出張したのが久々のアジア訪問になりました。こうして「米欧担当」の私が、グローバリゼーションの進展と、米国ケンブリッジ主導のアジア域内における情報交換システムが発達したお蔭でアジア諸国の方々と知り合うことができるようになりました。そして現在、直接的・継続的・多層的でまた双方向という点で、以前と比べて格段と質の高い情報交換がアジア域内で可能となりました。従って、以前は西洋の東洋専門家が日本文化の珠玉の一つ、『源氏物語』が何故、近隣諸国である中国や韓国で評価されないのかと不思議がっていた事態は改善されつつあり、両国で日本文化を評価する人々が次第に増えていることは喜ばしい限りです。とは言え、アジア域内の双方向的な知的対話は未だ始まったばかりとの感を拭いきれませんし、私自身恥ずかしながらアジアに対する歴史認識の不足を認めざるを得ません。またアジアの方々と話し合います時、同地域に関する私の知識不足を痛感します。この意味で皆様がアジアに関して多くを学んで下さることを期待致します。ケンブリッジに移って以来、そしてアジア出身の研究者と話す機会が増えて親しくなるに従い、太平洋戦争の話についても彼等と時折話すようになりました。その時私は、故山本七平氏が優れた著作―例えば、『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』や『一下級将校の見た帝国陸軍』―の中で指摘された点、すなわち帝国日本は敵国である米国や占領地のフィリピンに関してほとんど知識戦略を持たないまま空しく戦争を続けたことを思い浮かべ、私のアジアに対する過去の無関心・無知を猛省しています。

 情報通信技術(ICT)の発達で大量の情報を世界中に瞬時かつ安価に伝達することが可能となり、従って双方向の情報交換を行うことが技術的・経済的に容易になりました。そして交通手段の発達で、グローバリゼーションが急速に進展し、多様性を示すアジアは、全体として大きな期待と同時に重大な課題を抱いています。すなわち、期待されることとして、アジアのもつ多様性は、「ヒト」、「モノ」、「カネ」及び「情報」に関して、「直接的・継続的・多層的で、双方向の交換」を通じて、アジア諸国を豊かにさせることでしょう。もう7年以上前の話ですが、私が東京工業大学の非常勤講師をしていたご縁から、1999年10月、東京国際フォーラムにおいて開催された或る国際学術団体(IEEE)の最終全体会合(Plenary Session “Industrial Policy in the Age of Networking”)における司会役を私は仰せつかりました。その時、講演者であるカリフォルニア大学バークレー校のスティーヴン・コーエン教授は、国際的なネットワークの構築が容易となった現在、「多様性」こそが、価値形成において重要であることを強調されました。確かに、国際的にネットワークが形成されるなか、「皆と同じことをする」という「同質性」への志向は、国際的分業体制の進化に逆行し、過当競争の犠牲に陥るだけです。

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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
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