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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第9号(2007年2月)
 
 

グローバル時代の「知行合一」


 こうした過去の苦い経験を経て、平成の「知的サムライ集団」は、「行動」を「知識」が制御する「知行合一」の精神を秘めた集団であるべきだと考えます。そして@「生きた学問」の精神、即ち、目的・正確性・タイミングを重視し、実践的な学問を通じて、情報・知識の価値観を養うこと、Aグローバルな視点を忘れないこと、Bグローバルな現実世界は、時々刻々と変化することを認識すること、C知識を実践的かつ最新の状態に保つ方法はreality checkとupdateであること、Dreality checkとupdateを行うには、個人的努力では限りがあり、「ヒト」と「ヒト」との、情報のキャッチボールが国際的に不可欠であること、E常に「知識」が実践的で最新であるためには、「ヒトの和と輪」を通じて、直接的・継続的・多層的で双方向の国際的な知的対話が重要であること、以上を考える必要があります。

 平和な平成日本でご活躍をされている若人の皆様、「『生きた学問』が重要だとは至極当然!」と思われるかも知れません。確かにその通りです。「贅沢は敵だ!」と叫んだ経験の有る昭和日本と、「贅沢は素敵だ!」が常識となった平成日本では確かに多くの点で違いがあり、「生きた学問」は当たり前になっているかも知れません。しかし、歴史が示す通り、学問は往々にして@「後ろ向き」で過去の分析や礼賛のみに集中し、またA「形式的」で、建前論だけに終始する危険性に陥ります。班固等が著した『漢書』の有名な言葉に、(a)「俗儒は時宜(ジギ)に達せず、好みて古(いにしえ)を是とし、今を非とす/俗儒不達時宜、好是古非今 (二流の学者はタイミングに合わせて戦略を考えず、いつも昔の戦略を高く評価し、現在の戦略を非難する)」、また(b)現代中国の毛沢東思想、更にはケ小平提唱による「改革・開放政策(※革※放)」の際にも引用された「實事求是/※事求是 (事実に基づいて考えを進めるべき)」が有ります。こう考えますと、隆盛が重視した「生きた学問」は、注意を怠ると、「後ろ向き」、「形式的」な「知識」を求める「死んだ学問」に堕落する危険性があります。「死んだ学問」を学んだ人間は、目的・正確性・タイミングという基準から優れた情報・知識が舞い込んで来てもその価値に気付きません。若人の皆様、このことに十分留意して下さるようお願い致します。

 私は昨年秋から関西学院大学(関学)で、グローバルな視点から日米中3ヵ国の産業構造の変化に関して、学生さん達と一緒に学んでいます。これは本校出身で昨年末に国連開発計画(UNDP)の駐日代表に就任された村田俊一関学教授とのご縁で始まったものです。日本の学生さん達と久しぶりに知的対話を始めた私ですが、彼等の熱心さには感銘を受けました。また彼等の質問は鋭く、私がハッとする視点もあって、教える立場の私が学生さんから学ぶ機会を頂いております。ハーバード大学では、中韓両国出身の友人と互いに学び合うたびに、日中韓3ヵ国で共通となっている王陽明の有名な言葉「教学は相い長ず/※學(コウガク)は相い長ず/※學相長/※※※※ (人に教えることと、人から学ぶことは相互に助け合う、の意)」を仲間同士で繰り返しております。それが今、関学での経験を通じて、互いに学び合うという点は、世界共通だと感じている次第です。学生さん達との知的対話の話を、中国社会科学院(CASS)でマクロ経済政策を研究し、王洛林前副院長からも深い信任を受けている李涛氏に話しましたところ、結局、知的対話の質の高さは、「ヒトの和と輪」次第だと2人で深く納得した次第です。学生さん達と特に議論したのが、内外の視点の違いです。日本が抱く世界観とそれに基づく日本の「自己イメージ」が、海外諸国が抱いている日本の「イメージ」と大きく乖離している点について議論しました。勿論、どちらが正しいかという話ではありませんが、この乖離をどう評価し、どの方向に変えてゆくべきかを今後考えてゆきたいと思います。

 関学での私のクラスの目的を簡単に申し上げますと次の通りです―グローバル化と高度情報化が進展するなか、国、企業、個人の行動様式が大きく変化してそれが国全体の産業構造、更には経済構造の変化として現れて来ています。以上のことを考えるため、最新の専門文献を言及しながら、すなわち、世界の一流の研究者は何を考えているのかを垣間見ながら、ひとつの「世界観」を平易に解説することが私の役割だと考えております。授業で使用する資料は、全米経済研究所(NBER)や経済協力開発機構(OECD)等の論文、『フォーリン・アフェアーズ』誌や『フォーリン・ポリシー』誌の論文、そして国連貿易開発会議(UNCTAD)の報告書等に基づき、私が作成したパワー・ポイントを使用しております。教材の中で使用する言語は学術的に国際共通語である英語ですが、学生さん達は真剣に学んで下さり、大変嬉しく思っています。ただし、講義と質疑応答で使用する言語は、身の程知らずではありますが美しい日本語を心がけており、意味の無い形での英語は使用しないように努めています。また、シラバスという授業計画用資料を、カリフォルニア大学バークレー校のスティーヴン・ヴォーゲル教授にお見せしたところ、私を元気づけるためか、同教授は心優しい思いやりと多分のお世辞をこめて褒めて下さいました。今後、ボストンへの帰路にサンフランシスコに立ち寄り、彼のクラスで話して欲しいと言われて、「おだて」に大変弱い単純思考の私は喜んでおります。

 脱線話で恐縮ですが、昨年12月、関西でホテル住まいをしている時、『忠臣蔵』を久しぶりにテレビで観ました。綿密な情報収集や偽装工作等、周到な準備をして、1703年1月(元禄15年12月)、討ち入りを果たす大石内蔵助の計画立案及び実行能力とリーダーシップ、そして赤穂浪士の「ヒトの和と輪」には改めて感心させられます。が、ご存知の通り、維新時の大啓蒙家、福澤諭吉先生は、『学問のすゝめ』の中で義士の行為に対して厳しいご判断をされています―素晴らしい原文の代わりに、私なりの拙い要約を載せますと、「赤穂浪士は、不満があるなら法律に従って江戸幕府に訴え出るべきだった。確かに幕府自体には問題があるから、最初に訴えた浪士は相手にされず、不当に殺されるだろうが、47人がまたひとり、またひとりと訴え続ければ良かった。そうすればさすがの幕府も吉良家を罰するであろう」と仰り、「しかし、赤穂浪士は、法治国家であることの理を忘れ、国民の身分でありながら、法律の重要性を考慮せず、軽挙妄動で上野介を殺したのは、国民の職分を誤り、国家権力の領域を犯して、勝手に吉良の罪を死刑と決めた」、と。福澤先生の筋の通った話には思わず頷いてしまいます。

 私が赤穂浪士側を弁護するのも変な話ではありますが、もし義士に対し、法治国家、国民の身分と権利、政府の権力といった概念をしっかりと理解させ、吉良暗殺という軽挙妄動を慎めと諭すのであるならば、江戸幕府を含めた日本全体が、法治国家のあり方について広い視野の議論を持つべきだったと思っています。すなわち、討ち入りの1703年の前に、せめて1690年に英国の哲学者ジョン・ロックが著した『統治論二篇(The Two Treatises of Government)』だけでも、荻生徂徠や室鳩巣をはじめとする賢者に読んで頂き、国家と国民との関係を改めて議論して頂きたかったと思っています。天下泰平の元禄時代、政府=国民の関係を海外での議論も横目で睨みつつ、国内で冷静な議論を十分していれば、福澤先生のご意見も、内蔵助の心のどこかに浮かんだのではないかと勝手な想像をしている次第です。そして今は、敬愛する良寛先生の言葉をまとめた『良寛道人遺稿』の中の「生を捨てて義を取る古(いにしえ)すら尚お少し、況(いわん)や又四十有七人をや。一片の忠心、転ず可からず、人をして永く元禄の春を思わしむ」を口ずさんでいます。良寛先生が仰った通り、エリートとしての武士のなかにはその地位に安住し、一部には不埒な輩もいて、武士道を守り、一般民衆から「さすがは…」と尊敬された「真のサムライ」の数は極めて限られていました。だからこそ赤穂浪士の潔い行為は人々の心に永く残ったのでしょう。

 脱線の脱線で恐縮ですが、鎖国下の日本であっても以外と早い時期に赤穂浪士の討ち入りは世界に伝えられています。オランダ商館長(甲比丹/カピタン)フェルディナント・デ・フロートは、年に1度の江戸報告(江戸参府)の際に利用する宿が赤穂浪士にも縁があったことから、元禄16年には打ち入りを知り、それを海外にしかも好意的に伝えたそうです。同じく商館長のイザアク・ティチングは、1822年、『日本風俗図誌(The Illustrations of Japan)』を英仏両言語で出版し、討ち入りを紹介します。明治に入ると、ボストン大学ロー・スクールに留学した明治の官僚、斎藤修一郎と英国の元外交官で米国の実業家であるエドワード・グリーが「仮名手本忠臣蔵」に基づき為永春水が描いた『いろは文庫』を翻訳し、1880年、The Loyal Ronins: An Historical Romanceとしてニューヨークから出版しております。日露戦争時、大読書家のセオドア・ルーズベルト大統領がThe Loyal Roninsを読み、「赤穂義士」に感激した話は幾つかの資料で紹介されています。同大統領は、『緑の館(Green Mansions)』で有名なウィリアム・ハドソンの小説(The Purple Land)では序文を書く程の読書家で、The Gazette昨年5月号でも触れた通り、新渡戸稲造博士の『武士道(Bushido, The Soul of Japan)』を30部購入して、家族、親戚、そして有力な米国連邦議員等に配布した上に、柔道まで習った「日本通」ですから、The Loyal Roninsも皆に配って下さったかも知れません。

 さて、テルアヴィヴに向けて成田空港を出発する前夜、公安調査庁の荒井崇氏が幹事役を務めて下さったお陰で、東京大学の高原明生教授、法務省の高橋邦夫東京入国管理局長、そして東京新聞の清水美和編集委員と一緒に、銀座でグラス片手に、中国情勢等の情報交換をしました。ご堪能な中国語に感銘を受けて以来、私が尊敬する清水氏は皆様ご承知の通り、中国問題に関して日本を代表するジャーナリストの一人です。お目にかかった時、私は清水氏からサイン入りのご著書『「人民中国」の終焉』を頂きましたが、ボストンのローガン国際空港に到着するまで、私は夢中になって同書を読んだ次第です。同書の「あとがき」で、清水氏はCASS日本研究所の金煕徳研究員の発言に言及し、「日本の中国論議は十年前の中国を頭に浮かべて語られており、専門家の中国認識もせいぜい一年前の中国であり、現実は大きく変わっている」と述べておられます。この文章を読んだ時、私は日本語がご堪能な在日米国商工会議所(ACCJ)会頭のチャールズ・レイク氏の言葉を思い出していました―ネット上に掲載された日本経済新聞の清水真人編集委員による記事によると、昨年、東京で開催された或る会合でレイク氏は、「グローバル化時代、技術革新の加速が競争力を支える。そのことに本当に(日本は)気が付いているのか」という旨の発言をされています。皆様、CASSの金氏とACCJのレイク氏、両氏のご意見を厳密に吟味するかどうかは別として、このお二方のご指摘通り、日本の外ではグローバル化が急速に進展し、状況が刻々と変化していることは真実だと思います。そしてその変化の速さは、私達の想像を遥かに超えていると思っています。

 従って、グローバルな視点から状況判断を下して行動するための情報・知識は、間断無く更新しない限り、急速に陳腐化し、現実を反映しない不正確なものになってしまいます。すなわち、情報・知識は「現実世界で常にチェックする(reality checkとupdate)」必要に迫られている訳です。勿論、小誌で時折触れていますように和漢洋の古典が教える普遍的な情報・知識は存在します。しかし現実世界を広く見渡せば状況は刻々と変化しています。また状況変化に伴い、「ヒト」或いは組織の目的も当然変化します。こうして、目的・正確性・タイミングに合わせる形で私達の知識を常に維持・向上させるには、実践を通じて既存の知識を検証(reality check)し、その検証過程で得られた新たな情報と既存の知識を付き合わせる必要に迫られる、換言すれば、知識の新陳代謝を高めることが常に要求される訳です。こう考えますとグローバル化はあたかも私達に休む暇を与えず、私達を慌しい状況に追い込む「かのように」映る訳です。その結果、一部の人々が、「反グローバル」の誘惑を感じ、逃避的・鎖国的な行動に流れることも或る意味で頷ける訳です。しかし、グローバリゼーションは、現実問題として残念ながら私達だけの「意思」だけでは止まりません。また1933年のように「連盟よさらば」とばかりに、日本が再び鎖国状態に突入すれば、現在の北朝鮮と同じ運命を辿ることは明白です。そして今、グローバル化は極超大国である米国や台頭する中国であっても阻止することは難しい段階になっています。勿論、米国や欧州等の主要国、或いは世界中が一致団結してブロック化する「意思」を持てば容易に「反グローバル」な世界を形成できるでしょう。が、その蓋然性は極めて低いと言えましょう。こうして好むと好まざるとにかかわらず、また良かれ悪しかれ深化するグローバル化のなかで私達は生きてゆかざるを得ません。

 では、グローバル化のなかで如何なる「知識戦略」を採るべきでしょうか。当然、私達個々人が単独でもreality checkとupdateについて努力する必要があります。しかし、様々な専門分野が絡み合うだけに、一個人の努力では、時間的に不十分かつ不可能なのは明白です。従って「ヒトの和と輪」が無ければ、優れた「知識戦略」の構築は不完全なものになります。こうして、人的・時間的・経済的な資源が制約されたなかで生きる私達が、常に役立つ最新の「知識」を持つには個人と共に組織的な工夫が必要です。個人的工夫とは、小誌創刊号と昨年7月号で申し上げた通り、微笑みとジョークを忘れずに皆様が、高い「志」と優れた才能を秘めた皆様以外の「ヒト」を相手に、質の高い情報交換をするための5つの資質―(1)一流の専門知識、(2)幅広い一般教養、(3)語学力、(4)マナーと交際術、(5)多角的・重層的な協力・相互補助の精神―を高めることです。そうすれば皆様ご自身が、質の高い情報・知識の「目利き」となり、耐えざるreality checkとupdateを通じて、「誰」が「如何なる分野」で優れた「ヒト」であるかを容易に見抜くことができ、同時に相手側も皆様を質の高い知的対話の相手として認め、情報のキャッチボールの相手役をしてくれるでしょう。また組織的工夫は、小誌昨年7月号で申し上げた「ヒトの和と輪」を通じ、「志」を共有できる「ヒト」の集団を形成し、その集団のリーダーが、全体の目的を明確にし、それに適した「知識戦略」を練り上げることだと私は考えます。こうした「ヒトの和と輪」の世界では、直接的・継続的・多層的で双方向の知的対話が行われ、自然とreality checkとupdateがなされるようになりましょう。

 再び脱線で恐縮ですが、ホテルで、NHKのテレビ番組『その時歴史が動いた』「真珠湾への道」を観ました。これは真珠湾攻撃の立案者で悲劇の提督山本五十六―国際関係に明るく、彼我の国力の差を知り、三国同盟と日米開戦に反対した帝国海軍軍人―を描いたものです。番組では触れられませんでしたが、山本元帥は、1930年のロンドン軍縮会議の際には、強硬な条約反対派で若槻禮次郎首席全権を困らせたそうです。が、1934年、第2次ロンドン条約の予備交渉に海軍首席代表として臨んだ時には、激変した国際環境に気付いて、条約派に転じています。その後、山本元帥は、国際関係に暗い海軍の多数派や、暗殺まで考える対米強硬派に追い詰められてゆき、1939年、連合艦隊司令長官に任命されます。そして真珠湾攻撃では多大なる戦果を挙げましたが、戦略的な大失敗を犯しました。内外における戦後の歴史家は冷静な判断を下せますので、冷淡な批評をしております。が、ここハーバード大学を含む在米経験を基に米国の底力を体感した山本長官の心中を考えますと、長官の孤独な努力の限界を感じずにはいられません。これに関して小誌昨年10月号で触れた知将高木惣吉は、日露戦争時に東郷長官が置かれた環境と比較しています―「対米戦争は無理だと強調する山本大将と、敵は優勢でもわれに勝算ありと確信して出征した東郷大将とではスタートがまったく違う。一方はこの無理な戦いで、一発のホームランに逆転の勝負を賭けざるをえなくなり、他方はいかに堅実に個々の敵を撃破しようかという合理的戦略の差が出るのは当然の話で、また開戦反対の山本大将が総長とか、海相ならおそらく好戦派以外、国民の多くは納得できたのではないだろうか。また東郷大将は心から信頼のできる島村、加藤、秋山ら第一流のスタッフを持つことができたが、山本大将は人事局のおしきせのスタッフをあてがわれ、一流と思われるのは末席の参謀たちで重大計画に対する発言は難しい立場であった。また大事な機動部隊長官も参謀長も、いつも山本大将の大胆な計画に不安やるかたなく、および腰で戦場に向っていくという有様であり、士官名簿の順位と、経歴本意で動脈硬化した海軍人事は病膏盲だったといえよう。米内連合艦隊長官、山本機動部隊長官もよし、山本総長、小沢連合艦隊長官、山口機動部隊長官というような夢がもし実現していたら、もし負けたとしてもそれは後味のよい負け戦だったろうと思える」、と。さて、12月24日、聖地エルサレムの史跡を訪れた時、私のガイドはかくしゃくとした70歳代の老人で、1967年の第3次中東戦争時に戦車隊の一員として参戦したイスラエル軍の元将校でした。2人で歩いている時、山本提督のことも本で読んだという彼は私にこう聞きました―「真珠湾攻撃の時、日本では国際派は少数派だったそうですが、今はどうですか」、と。私はどう答えようかと思案した結果、話題を小説『ダ・ヴィンチ・コード』に変えてしまいました。そして今、有能な皆様と共に、グローバルな視点から日本を再点検してみたいと考えています。

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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
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