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オリジナル連載

リスクマネジメントフォーラム

第1回:アスベスト問題のリスクマネジメント
 
 

 

 2005年6月に機械メーカー「クボタ」が自社従業員の健康被害を公表したことをきっかけに、アスベスト問題が大きく取り上げられている。政府も、事の大きさに改めて気づいた形で、新法の制定を視野に入れた対策を検討している。しかし、この被害は古くから欧米で知られている、いわば既知のリスクであった。科学的には事態はほぼ予想の範囲内であったのに、ここにきて社会問題化しているのは何故なのであろうか、リスクマネジメントの視点から考えてみたい。

 

 まず、事実から確認しておこう。アスベストのリスクは、1970年代から主として欧米で社会的に問題となっていた。当時、アスベスト産業従事者だけでなく、建設・造船等の労働者に中皮腫・肺癌・石綿肺の被害が発生し、関係する訴訟も多発していた。日本でも、ほぼ同時期に被害者が既に発生しており、1975年に吹き付け材としての使用が禁止され、また1978年には労働災害として認定されていた。このように、アスベストの危険性は関係者には周知の事実であったが、一般に知られるようになったのは、1987年に学校の吹き付けアスベストが問題となり、多くの公立校で対策が取られた頃からである。1995年の阪神大震災のときもアスベスト飛散が問題として指摘されていたが、当時はそれほどの話題にはならなかった。しかし、実はその間も被害はどんどん進行していた。最近発表された厚生労働省の人口動態統計によれば、統計を取りはじめた1995年から2004年までの10年間で7013人がアスベストの吸引が主な原因とされる中皮腫で死亡している(2004年1年間では953人)。もちろん、それ以前にも被害は生じていたから、実際の被害者数がこれより多いのは明白である。専門家の予測によれば、この数字はピ−クを迎える2035年頃には年間4000人近くに増加し、2040年までには累計で約10万人に達するとみられている。毎年の死亡者が4桁に及ぶとなると交通事故級のリスクであり、1970年代に訴訟となった四大公害をはるかに超える史上最大の環境汚染による被害となる。
 これほどの事件が国民の健康リスクとしてあまり意識されてこなかったのはなぜであろうか。


 その理由は、まずアスベストのリスクの全体像が明らかにされていなかったところにある(注)。欧米で社会的大事件となっていたにもかかわらず、また国際機関が今後の死亡数が数十万に及ぶとして各種の警告を出していたにもかかわらず、日本では被害の実態は十分に把握されていなかった。潜伏期間が20年から40年と理解してはいたものの、実際に被害者数が大きくなるまでリスクを実感できず、「静かな時限爆弾」がいよいよ爆発しはじめた、というのが実態であろう。また、労働災害という特殊な環境における被害だと思っていたのが、周辺住民にも犠牲者がいたことをここにきて初めて理解したということではないか。リスクマネジメントの最初のステップはリスクの発見・把握であり、この点が欠けるとその後の対処が不十分になることは当然であろう。
 
 この原因をさらに突き詰めると、第二の原因として科学者や専門家の発信力の弱さが指摘できる。アスベストのリスクが専門家や企業当事者など一部には常識のように知られていながら、それが社会に十分に伝わらなかったことは大きな問題である。一例であるが、2004年11月に東京で世界アスベスト会議が開催されている。ウェブサイトをみてみると、世界各国から多数の関係者が集まり、実に真剣な議論をしている。しかし、主催者はこうした活動をどのくらいの人に認識させることができたのであろうか。そこに、科学者・専門家の活動の限界とともに、それでもなお一層努力すべき必要性を感じる。


 そして、第三にマスメディアの取り上げ方もこの問題に密接な関係があると思われる。科学者・専門家の発信を受けて、リスク情報を正しく伝えるのはマスメディアの重要な役割である。なぜ、これまでアスベスト問題を今回のような形で取り上げてこなかったのか、これについても検証が必要であろう。各種の報道が改めて問題を明らかにした後の日本全体の関心や政府の動きからみても、その影響力の大きさを実感する。もう少し早く一般にアスベストのリスクが周知されていれば、何がしか被害を抑えることもできたのではないかと考えてしまう。


 最後に、以上の背景として、我が国全体におけるリスク意識の特徴、すなわちリスクを事実に基づき科学的・客観的に捉えることが苦手である点が挙げられるように思われる。既知のリスクに対しては、一種のリスク慣れが起こり、何となくたいしたことはないという感覚が生まれてしまう(逆に、未知のリスクに対しては、不気味さから過剰反応をしがちである)。また、徐々に事態が悪化する進行性リスクに対する感度は、タバコなどにみられるように大変鈍い。定量的な把握が不十分で、そうした分析をした国際的なリスク情報へ目を向けることも少ない。国、企業、個人すべてに、主観化されたリスク感覚頼りの問題点を感じざるを得ない。


 今回のアスベスト騒動は、以上の問題を考え直す良い機会であると思う。これをきっかけに、まず科学者や専門家から一般社会に向けた科学的知見の発信が活発になり、企業など関係者から情報開示が進むことが望まれる。また、マスメディアがリスク情報を客観的に報道し、積極的にリスクコミュニーションに努めれば、市民側もこれらを受け止め、自己の責任でリスク対策を講じるようになるのではないだろうか。何よりも客観的な事実・科学的知見に基づいたリスク意識の醸成が望まれる。
(2005年10月脱稿)


(注) 政府は2005年9月に「政府の過去の対応の検証について」を発表した。ここでは、「これまでの政府の対応は、それぞれの時点において、当時の科学的知見に応じて関係省庁による対応がなされており、行政の不作為があったということはできないが、予防的アプローチが十分に認識されていなかったという事情に加え、個別には関係省庁の連携が必ずしも十分ではなかった等の反省すべき点もみられた」と述べている。すなわち、それぞれの分野では対応していたものの、リスクに対する総合的な把握、管理ができていなかったということを認めている。

 

 
著者プロフィール:志田 慎太郎 (しだ・しんたろう)
東京海上日動リスクコンサルティング取締役
 

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