道東のコミュニティFM局を訪問した際、少し足を伸ばして中標津に寄ることにした。北海道で多くのコミュニティFM局の立上げにかかわっている渇f音の佐々木忠繁社長から、「中標津に面白いミニFMがあるよ。コミュニティFMにしたいらしい。是非行ってみるといいよ」と紹介されたからだ。12月には珍しい大雪で、雪が積もらないといわれる釧路でさえ真っ白になった。根室でのコミュニティFMの取材を終えた時には、吹雪になっていた。中標津に向かう途中、大雪で道路が閉鎖し、立ち往生した。あわや遭難というところで引き返し、違う道を抜けて、夜遅くようやく中標津に辿り着いた。
翌朝、ホテルの窓の外には、朝焼けにキラキラと輝く真っ白な中標津の町が広がっていた。「こんなところにもミニFMラジオ局があるんだなあ」と、何とも言えない気持ちになったのを覚えている。真っ白な白樺並木を抜けていくと古い校舎が見えてくる。そこの小さな一室にミニFM局はあった。仕事で住んで以来、すっかり中標津に魅了され、ついには移住してしまった元管制官の飯島実さん、そして、中標津で育った中標津町役場の紺野弘毅さんと西村穣さんらが中心となって、この小さなミニFMを運営していた。街の音楽仲間が集まって、あるいは、近所のおばちゃんがちょっと立ち寄って、気軽にマイクを通してしゃべれるラジオ局。そんなミニFMを中標津のまちづくりや文化継承、そして防災のために、もっともっと活かしてゆきたいと、熱く、そして、すごく楽しそうに語って下さった。話を聞きながら、中標津が好きでしょうがないという三人の思いを強く感じた。
今回の調査で、北海道から沖縄まで、都会から小さな町まで、沢山のコミュニティFM局を訪問した。そこに共通してみられたのは、かかわる人たちの地域への強い思いだ。経営が苦しくとも地道に放送を続けているのは、強い地域愛があるからだろう。ラジオ局の経営形態が違っても、それは変わらないと感じた。調査で接したどの局の人たちに対しても、尊敬の念と声援を送りたい気持ちを抱かずにはいられなかった。
インターネットや携帯でも人はつながる。しかし、この古臭い、でも温かみのあるアナログ波のラジオは、こういった新しいメディアとは違ったつながりを作ってくれる。コミュニティFM局の物語は、開局の前から始まっている。地域のいろいろな人が集い、話し合い、アイデアを出し、他の人たちにも手伝ってもらい、楽しみながら、そしてワクワクしながら、コミュニティFM局を立ち上げていく。沢山のコミュニティの人たちの思いがつながり、それが地域に寄り添うラジオ局となっていくのだろう。
今回の研究プロジェクトのメンバーも、それぞれがメディアを使って自分の地域コミュニティをよくしていこうとしている。メンバーは皆、地域メディア研究会という研究会に参加して、知り合った。メーリングリストやSNSといったオンライン・コミュニケーションを通して、また、研究会やオフ会といった対面コミュニケーションを通して、日頃から情報や意見を交換し、思いを共有し、時に一緒に活動してきた。今回のプロジェクトは、そのようなメンバーのつながりによって実現した。調査の実施にあたっても、メンバーの知人など、沢山の人たちの協力を頂いた。本書を執筆しながら、改めて普段からの人と人とのつながりの大切さを感じた。
2006年12月
金山 智子
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