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アラブ諸国の情報統制

著者による特別寄稿

『アラブ諸国の情報統制
―インターネット・コントロールの政治学』

特別寄稿 『インターネット時代のアラブ諸国』

 
 

本書のテーマは、「長年にわたり各種メディアに対する情報統制を実施してきたアラブ諸国が、インターネットという新しいメディアをどのように扱おうとしているのか」というものである。

著者は、約3年弱の現地滞在を通してこのテーマを追い求め続け、文献資料の少なさという制約を現地調査によって補いながら研究を進めていった。その結果として取りまとめられたのが本書である。

インターネットに代表される新しい情報通信技術(information and communications technology:ICT)の波は、グローバル化の進展と共に世界各地に到達するようになった。受け手としての国家は、好むと好まざるとにかかわらずこの波に対応する必要に迫られている。

本書が対象とするアラブ諸国も例外ではない。現在、アラブ諸国を訪れるならば、人々が携帯電話を片手に話しながら道を歩いている姿を日常的に目にするであろうし、街中のいたるところにあるインターネットカフェでは、多くのアラブ人がコンピュータの前に座り、インターネットを楽しんでいる様子を目撃することになる。街中には、携帯電話の広告、コンピュータの広告、その他情報機器の広告が溢れているし、インターネットのウェブサイトアドレスが表示されている各種広告を目にすることにもなる。

こうした状況を見る限り、現在のアラブ諸国は、程度の差こそあれ、他の先進諸国となんら変わるところがないような印象さえ受ける。アラブ諸国では、新しいICTが国内に導入される以前から、新聞、ラジオ、テレビ、電話、ファックスなどのメディアが国内で流通しており、この点でも先進諸国と類似する状況がある。

しかしながら、こうした類似点はあくまでも表面的な事象に過ぎない。アラブ諸国と先進諸国との間には、各種メディアのおかれた状況に関して明確な相違が存在する。両者の相違は、政府が各種メディアに対して「情報の流れ」(flow of information)をコントロールするという情報統制政策を実施してきたか否かにある。もちろん、情報統制政策を実施してきた側がアラブ諸国である。この違いを、民主主義国家と非民主主義国家の違いと呼びかえてもよい。

アラブ諸国においては、同地域の社会に根付いているイスラームも地域を特徴づける大きな要因となっている。これは、最近になって同地域に浸透するようになったインターネットとの関係においても例外ではない。イスラームというと、保守的で、戒律が厳しく、古くからの伝統を重んじ、近代化や新しい技術などを拒みそうなイメージが一般に流通しているように思われるが、イスラームそれ自体は決してこれらを否定するような論理構造を有しているわけではない。歴史的に見ても新しい技術を積極的に取り込みながら発展してきた経緯があり、柔軟性に富んだ側面も有している。

確かに、一般のムスリムの中には、インターネット上に氾濫するポルノ情報や未婚の男女による「不適切な」コミュニケーションを可能とする様々なツールの存在を指摘し、インターネットはイスラーム的に不適切なメディアであると考える人も存在する。

しかしながら、イスラーム知識人のレベルでは、インターネットというメディアそのものを否定する論調はほとんど聞かれず、インターネットもテレビやラジオなどその他のメディアと同様に、その「使い方」が問題なのであって、メディアそのものが反イスラーム的なわけではないと考えられている。むしろ、利用の仕方によっては、インターネットはイスラームにとってプラスになり得るメディアだと考えるイスラーム知識人も少なくない。

したがって、アラブ諸国においてイスラームがインターネットに対して敵対的であったことはない。もちろん、インターネットを嫌うムスリムがいることは事実であるが、大勢を占めているわけではない。むしろ、インターネットの導入をめぐって、当初から一貫して慎重な姿勢を示し続けているのは、世俗的な政府の方である。

一般国民へのインターネットの普及が体制にとって好ましくないと考える政府の中には、インターネットの利用そのものを禁止するという措置をとってきたところもある。しかしながら、インターネットの導入以来、数年にわたってそうした措置を講じてきたシリアにおいても、2000年に起こった政権交代を機に一般国民へのインターネットの開放が行われるようになっているし、同様にインターネット利用の制限を課してきたイラクのサッダーム・フセイン(Saddam Hussein)政権も2003年に崩壊してしまった。

現在では、どのアラブ諸国も基本的にインターネットの導入に踏み切っている。一度開いてしまった扉を、再び閉めることは難しい。特に、グローバル化した経済市場の中で、一定の競争力を保ちながらうまく適応していくためには、インターネットはもはや不可欠なツールとなっており、インターネット抜きでグローバル化した経済市場に参入していくことは極めて困難である。アラブ諸国が、今後さらに経済成長を果たしたいと考えるならば、インターネットをはじめとする新しいICTを積極的に取り入れ、情報化の進展を目指していく必要がある。

アラブ諸国政府は、インターネットを二つの異なる視点から捉えていると考えられる。一つは、グローバル化した世界経済への対応から、積極的に推進すべき対象として捉える視点であり、もう一つは、非民主主義的支配を浸食する可能性のある、体制にとって相応しくないメディアとして捉える視点である。アラブ諸国政府は、この両者のバランスを見極めながらインターネット政策を展開していく必要に迫られている。

つまり、インターネットの導入に関し、多くのアラブ諸国政府は、「情報化の進展による経済的メリットを最大限に享受しつつ、政治的リスクを最小限にとどめる」という二つの目標を同時に達成できるような情報通信政策が求められているのである。

それでは、各国政府は、いかにしてこの政策を実現しようとしているのであろうか。こうした政策目標の背景には、何が横たわっているのであろうか。そして、インターネットはアラブ諸国をも変革しようとしているのだろうか。本書では、これらの問題についてじっくりと迫っていく。

著者プロフィール:山本達也(やまもと たつや)

名古屋商科大学外国語学部専任講師
1975年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業、同大学大学院政策・メディア研究科博士課程修了。博士(政策・メディア)。国際協力事業団プロジェクト形成調査団メンバー、国際協力機構準客員研究員、シリア国立アレッポ大学学術交流日本センター客員研究員、慶應義塾大学 SFC研究所上席所員等を経て、2008年より現職。

 

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