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 本書は、この第三回シンポジウム本編と番外編の記録です。以下に、各論考の概要を述べます。
 第一部は「英語教育政策を考える」と題して、さまざまな視点から英語教育政策の現状分析や今後の課題などを探っている論考を収めてあります。

 大津由紀雄は「原理なき英語教育からの脱却をめざして―言語教育の提唱」で、言語意識、ことばに対する感性に根ざした言語教育の必要性を論じています。言語使用の創造性を保証できない言語教育はその本来あるべき姿から逸脱しており、いまこそ、母語教育(「国語」教育)と外国語教育を有機的に連携させるべきで、その根本には言語の普遍性の認識が必要であると述べています。

 柳瀬陽介は「英語教育の原理について」において、大津が欠けていると主張する英語教育の原理を「外在的原理」と「内在的原理」に分けて慎重に探っていきます。そして、英語教育の将来を論ずるためには、それを支える原理を明確にしていくことが不可欠であることを論じています。

 長年、アメリカで日本人の子どもたちの指導にあたった市川力は「英語を「教えない」ことの意味について考える」で、「ことばの力」を基盤に、母語と外国語の違いへの気づきの重要性を論じています。市川のこの考えは大津の英語教育観と通ずるものが多く含まれています。英語は「教わる」だけでは身につかず、英語を「教えない」環境で英語と取り組んでこそ英語が身につくというのは傾聴に値する貴重な意見です。

 英語帝国主義論の代表的論客である津田幸男は「英語支配論による「メタ英語教育」のすすめ」において、英語教育の現状を鋭く批判し、英語力育成に重点を置いた英語教育から人格形成のための「メタ英語教育」への脱皮の必要性を強く主張しています。

 評価の高い『英語教育はなぜ間違うか』(ちくま新書、二〇〇五年)や『日本の英語教育』(岩波新書、二〇〇五年)などの著書で知られる山田雄一郎は、「計画的言語教育の時代」で、英語(など)を「外国語」としてではなく、「第二の言語」という位置づけで、日本語と有機的に関連づけて教えなくてはならず、そのためには計画的言語教育制度を構築する必要があると論じています。

 フランス語学や言語教育政策を専門とする古石篤子は「モノリンガリズムを超えて―大学までの外国語教育政策」において、日本の外国語教育におけるモノリンガリズム(英語教育への一本化)に強い危惧を表明しています。そして、外国語教育が本来あるべき姿を探りながら、外国語教育の多様化の必要性を論じています。

 「持続可能な未来へのコミュニケーション教育」において、鳥飼玖美子は『小学校での英語 教育は必要か』(慶應義塾大学出版会、二〇〇四年)に収められている「小学校英語教育―異文化コミュニケーションの視点から」を踏まえて、さまざまな視点からコミュニケーション教育のあり方を探っています。

 日本語・国語教育を多文化・異文化間教育や言語計画・政策の視点から考えている野山広は「多文化共生社会に対応した言語の教育と政策―「何で日本語やるの?」という観点から」において、これからの小学生にとっては、異文化対応訓練の一環としての言語教育こそが重要であると論じています。
 

 

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著者プロフィール: 大津由紀雄(おおつ ゆきお)
慶應義塾大学言語文化研究所教授、東京言語研究所運営委員長。1948年東京都大田区生まれ。立教中学校から立教大学まで進み、日本経済史を専攻した後、英語教育改革の夢を抱いて、東京教育大学へ学士編入。同大学院修士課程を修了するころまでに、生成文法と認知科学に強く引き付けられる。MIT大学院言語学・哲学研究科博士課程に入学、1981年、言語獲得に関する論文でPh.D.を取得。近著に『小学校での英語教育は必要か』(編著、慶應義塾大学出版会、2004)、『小学校での英語教育は必要ない!』(編著、慶應義塾大学出版会、2005)がある。
※著者略歴は書籍刊行時のものを表示しています。
 

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