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父 小泉信三を語る 表紙
父 小泉信三を語る 特別寄稿

『父小泉信三を語る』は、元慶應義塾長であり教育家であった小泉信三の二女、小泉妙氏へのインタビューを元に再構成した聞き書きとなっています。

編者3名(山内慶太・神吉創二・都倉武之)によるインタビューは、一回約2時間程度、計26回を数え、前半13回は妙氏ご自身のライフヒストリーを語っていただき、後半13回は、小泉家の膨大な家族アルバムの一部を見ながらのお話となりました。

ここでは、ようやくインタビュー・編集作業を終えた編者二人が、本書刊行までの2年間を振り返り、小泉信三という人物に改めて迫ります。

 

「インタビューを終えて」 神吉創二
「小泉妙さんの聞き書きを終えて」 都倉 武之

  小泉信三展
 



 

小泉妙さんの聞き書きを終えて

都倉 武之

今回の聞き書きで、私は専ら「聴講生」に徹してしまった。余りに小泉信三という人のことを知らずに参加してしまったことを今さらながら恥じている。当初は「木曜会」も「白水会」も「泉会」も知らず、頻出の人名、たとえば「水上瀧太郎」も「澤木四方吉」もよく知らないありさまで、テニス選手に至っては一人も名前を知らなかった。しかしだからこそ、この本は、全く小泉を知らない人にも楽しめる「人間・小泉信三入門」といえるような本になったと思う。

小泉の存在は、今では遠くなってしまった福澤諭吉と現在を繋いでくれる。今回の聞き書きを通して、小泉だけでなく福澤という人も、私にはぐっと身近な人になった。

聞けば聞くほど、調べれば調べるほど、小泉は深く福澤を意識して生きてきたことがわかった。今回「小泉信三展」の準備を手伝わせて頂く中にあっても、小泉の身辺には、福澤を意識したとしか思えない資料が多数目に付いた。元来の筆まめを後押ししたのは、福澤の筆まめであったろうし、大事な書簡の控えの残し方なども、福澤を意識したものに思える。自分の人生をも、一面福澤に重ねていたように思えてならない。

しかし小泉は、福澤が自分を『福翁自伝』の中で評したような「カラリとした」人物ではないとも感じた。困難や悲しみを克服したからこそなし得るきめの細かい気配りや、ユーモアを兼ね備えた強さがあり、それこそが小泉独自の魅力であるように思う。

その意味で、小泉という人物は福澤なくしてあり得ず、しかも福澤とは全く異質な奥深い魅力を兼ね備えていると思うのだが、失礼を承知でいえば、どこか「スキ」がある。それが、神々しく遙かな人とは思えない不思議な親しみを作りだしているのだと愚考している。

慶應義塾の人間としては、三田の周辺に存在した、かつての慶應の空気を活き活きと感じ取ることが出来たのも、大きな収穫であった。妙さんの口を通して語られる小泉の姿は、かつて三田の山にいた人々の気風や、大切にしていた気持ち、それを懸命に守り、伝えようとする意欲を教えてくれる。

小泉がかつて慶應義塾の福澤研究者への戒めとして、pietyを忘れず、しかし「孝行息子」にならぬようにと述べた如く、小泉という人物を時代の中に正しく据えながら、その気風というものを伝えていくことは義塾にとっても日本にとっても大切であろうという思いを強くした。

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今回の機会に巡り会ったのは、全く偶然であったが、私にとっては本当に幸運であった。何も知らない私をも温かく迎えて下さった妙さんに改めて心から御礼申し上げたい。迎えて下さったといえば、妙さんは毎度我々を自宅の扉の外に出迎えて下さった。どこかで、それは小泉が常に実践したことであったと読んだように思う。玄関に並んだスリッパはいつも緑3組にピンク1組。編集者の野田桜子さんへのちょっとした気配りも、きっと小泉流なのだと感じた。小泉家の空気に触れる、実に贅沢な時間であったと、今改めて思い返している。

編者 神吉創二によるもうひとつの特別寄稿「インタビューを終えて」
著者プロフィール: 都倉武之(とくらたけゆき)
慶應義塾福澤研究センター専任講師。専攻は近代日本政治史。昭和54(1979)年生まれ。2007年慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程満期単位取得退学。武蔵野学院大学専任講師を経て現職。主要業績に「[第5章]日清戦争軍資醵集運動と福沢諭吉」(『戦前日本の政治と市民意識』寺崎修・玉井清編、慶應義塾大学出版会、2005年)など。

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