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福沢諭吉と自由主義
 

福澤諭吉と自由主義

―個人・自治・国体―

第一章 「独一個人の気象」考 ―福澤とギゾー、そしてミル―
はじめに

 
 

 その古典的名著である『文明論之概略』(一八七五年)を繙くまでもなく、福澤諭吉は論説を始めとするいくつかの著述において、そこで使用するキーワードに対して注意深い配慮をしている。とりわけ西洋における基本的観念がわが国の歴史を顧みて理解困難な場合は、なおさらである。その文明論における一例を挙げれば「国体を論ずるはこの章の趣意にあらざれども」と断りながらも、第三章で論ずるように当時流布し、その後の日本に特別の意味を持つに至った国体観念を批判ないし修正を意図して、それにまつわる主要な要素を「国体」・「政統」・「血統」に三分し、それぞれJ ・S・ミルの「ナショナリチ」(CWM 19 : 546 訳三七四)、F・P・G・ギゾーの「ポリチカル・レジチメーション」(GG : 63 訳四六)、それにH・T・バックルの「ライン」(BH1 : 568)を充てて、歴史的な検証をしている(C二六―三六)。

 ところで福澤はまた割ルビとも言うべき註記を付している。文明論では例えば、「理論家の説」に「ヒロソヒイ」、「政治家の事」に「ポリチカルマタ」と註記し(C六二―三)、儒教的な政教一致論を批判して、前に挙げた国体観念の再定義とその意図において共通する試みを行っている。また「有様」に「コンヂーション」、「権義」に「ライト」と註記し(C一四七)、『学問のすゝめ』におけるF・ウェイランドの援用(B三七、四二)を再度行ない、「権力の偏重」という日本のネガ像を描くのにそれらのルビを有効に使っている。さらに「日本には政府ありて国民なし」と述べている「国民」に「ネーション」と註記し(C一五四)、『学問のすゝめ』における主張(B五二)を再確認しているが、改めて「ネーション」というルビを付したのは、「国民」が「ネーション」の意味を充分伝えていないことに対する反省があったことを示す。また「精神の奴隷」における「メンタルスレーヴ」(C一六三)と、「独一個人の気象」における「インヂヴヰヂュアリチ」(C一六六)とは、ともに福澤の人間像を探求する上できわめて興味深い註記である。これら原音をもって註記していることは、いずれもそれに相当するものが日本の伝統的観念にないがために翻訳困難と認識している福澤の試行錯誤の一端を物語っていよう。

 本章の目的は、福澤の人間像を見る上で一つの重要な鍵となる用語である「独一個人の気象」あるいは「独一個の気象」、すなわち「インヂヴヰヂュアリチ」の問題を、ギゾー、ミル、さらにミルに影響を及ぼしたとされるA・d・トクヴィルやW・D・フンボルトにも触れながら、追求することにある。  

 

著者プロフィール:安西敏三 (あんざい としみつ)
甲南大学法学部教授、法学博士、日本政治思想史専攻。 1948年愛知県に生まれる。1972年学習院大学法学部政治学科卒業。1979年慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。 〔主要著書〕『福沢諭吉と西欧思想―自然法・功利主義・進化論―』名古屋大学出版会、1995年。『福澤諭吉の法思想―視座・実践・影響―』(岩谷十郎、森征一との共編著)慶應義塾大学出版会、2002年。

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