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ウェブでしか読めない
 
オリジナル連載(2006年11月14日更新)

福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉
〜慶應義塾大学出版会のルーツを探る〜

第9回:「福沢屋諭吉」の編集活動(その2)

 

目次一覧

前回 第8回
「福沢屋諭吉」の編集活動(その1)

次回 第10回
「福沢屋諭吉」の編集活動(その3)

本連載は第40回を持ちまして終了となりました。長らくご愛読いただきありがとうございました。

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手習之文 上

前回に触れた『啓蒙手習之文(けいもうてならいのふみ)』は、明治4(1871)年の初夏に刊行された。子供用の習字手本として、上下二巻で構成される。注目すべき点は、この本の序文の中で展開された次のような福沢の教育観である。

学校の教えは高度なものを少人数に教えるよりも、かえって低度なものを広く一般に教える方が大切です。〔中略〕教育の道を極めて低い所から始め、いわゆるお習字の先生のような者によって始めさせれば、大いに世間の無駄な費用を省き、教育を普及させる始まりともなるでしょう。

手習之文

これまでに、「福沢屋諭吉」の営業活動で何度も触れてきた福沢独特の教育観(「下民教育」「小民教育」の重視)とまったく同じ考え方がここでも貫かれている。
 この本の内容は「目録」によると次の通り。

平仮名いろは 片仮名イロハ 数字 十干 十二支 大日本国尽 天地の文  地球の文 窮理問答の文 執行相談の文 同返事 洋学の科目

再生増補改訂

これらのうち、「大日本国尽(くにづくし)」というのは山城・大和・河内・和泉・摂津などのいわゆる「旧国名」を並べたもの。次の「天地の文」は、「天地日月。東西南北。きたを背に、南に向(むかい)て、右と左に指させば、ひだりは東、みぎはにし。」で始まり、昼夜・午前午後・日週月年について触れている。結びには「人生わづか五十年、稚(おさな)き時に怠(おこ)たらば、老(おい)て悔(く)ゆるも甲斐(かい)なかるべし。」という教訓も盛り込まれている。続いて「地球の文」は、「地球の形円(まろ)くして、廻れば一万三百里。北と南に線を引き、瓜を割(わり)たる半分を、西と東に並(ならぶ)れば、西なる方(かた)は亜米利加(アメリカ)洲、」で始まる『世界国尽』の超ミニ版。そして「窮理問答の文」は手紙のやりとりの形を借りて物事の諸原理や自然現象を説明するという工夫が凝らされた傑作で、理科の知識を吸収しながら同時に手紙の書き方も身につくという何とも欲張りな企画。この手紙の書き方については、さらに「執行相談の文」「同返事」でも徹底して取り扱っている。最後に「洋学の科目」では、読本・地理書・数学・窮理学・歴史・経済学・修身学の諸科目について、それぞれの概要を解説している。

福沢はこの本の対象年齢を「五、六歳の童児」からと序文で設定している。前回の内田晋斎宛福沢諭吉書簡の中で示されたように、福沢はなるべく子供にもわかりやすいように内容はもちろんのこと、字体・配列にまで心を配っている。そこには、いわゆる「エリート教育」よりも「初等教育」(「下民教育」「小民教育」)を重要視した福沢自身の並々ならぬ情熱が込められていたことは言うまでもない。ここでも私たちは、「福沢屋諭吉」の日々の編集活動を通して教育・啓蒙活動に尽力する福沢諭吉の姿に出会うのである。

ところで、数え年にしても満年齢にしても、もしかりに現在の「五、六歳の童児」にこの本を与えてみるとどのような反応を示すであろうか? 今から130数年前のことであるから単純に双方の子供を比較することはできないが、インターネットや携帯電話などの普及により飛躍的に便利になった一方で、それらと引き換えに失われたものの大きさにもまたあらためて気づかされる。

・写真(上) 『啓蒙手習之文 上』の見返し(慶應義塾福沢研究センター所蔵)
・写真(中) 『啓蒙手習之文 上』の序 部分(慶應義塾福沢研究センター所蔵)
・写真(下) 『啓蒙手習之文』増補改正版の見返し部分
(慶應義塾『福澤諭吉全集 第三巻』より)
著者プロフィール:日朝秀宜(ひあさ・ひでのり)
1967年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻博士課程単位取得退学。専攻は日本近代史。現在、日本女子大学附属高等学校教諭、日本女子大学講師、慶應義塾大学講師、東京家政学院大学講師。
福沢についての論考は、「音羽屋の「風船乗評判高閣」」『福沢手帖』111号(2001年12月)、「「北京夢枕」始末」『福沢手帖』119号(2003年12月)、「適塾の「ヲタマ杓子」再び集う」『福沢手帖』127号(2005年12月)、「「デジタルで読む福澤諭吉」体験記」『福沢手帖』140号(2009年3月)など。
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