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組織不正の心理学  立ち読み

『組織不正の心理学』

  
蘭 千壽・河野 哲也 編著

あとがき

 

 
 

企業倫理関係の論文や著作を出版すると、ほとんど必ず「タイムリーですね」と言われる。それほど近年は、組織的な不正や不祥事が取りざたされることが多い。今回もまるで本書の出版に合わせたかのように、某官庁の空恐ろしくなるようなずさんな業務実態が明らかになり、マスメディアを毎日のようににぎわせている。

バブルが崩壊し、低成長時代に入ってから、組織的な不正や不祥事が大きな社会問題として浮上してきた。国民全体が経済拡大の恩恵に浴することがなくなってから、言いかえると、経済成長だけが価値ではなくなってからは、それまで大目に見ていた不正・不祥事を国民は許すことがなくなったのである。社会一般の常識と内部だけで通用しているルールが決定的に乖離し、ときに法抵触状態にあっても、組織にどっぷりつかっている人間はそれがなぜいけないことなのか分らなくなる。「これまでこうしてきた。だからそれを続けている。」こう言って自分の業務を効率、効果、社会貢献度などの基準で測ることを忘れ、自分のおこないを外部からの視点で反省しない組織ほど不正がはびこりやすい。そして内部にいる人間は、自分の行為が法や常識に抵触していてもまったく気にならなくなるのである。

個人であれば、たとえば、自分の運転免許が失効したままで運転を続けたり、偽造パスポートで海外旅行するなど、通常の神経の持ち主ならばとてもできない。気が気でないであろう。しかし組織の中で上司への従順と周囲の人間への同調を基準として行動している人間たちは、法や常識への抵触を気にしなくなる。それどころか、外部の人を害しても見て見ぬふりをするばかりか、「世の中、そんなものだ」と開き直りすらしてしまうのである。自分は被害者にはならないという油断と慢心のメンタリティである。

某官庁にお勤めの人も、個々人で見るならば、悪人などほとんどいるまい。むしろ、真面目な人が多いかもしれない。しかし「真面目さ」とは、しばしば組織内の権力への従順、付和雷同、権威主義と同じであることも多いのだ。そうした「真面目な」人たちは、自分の犯している問題が何かわかっていない。法律の本質は、ある行為が他人の権利を侵害してしまうことを事前に知らしめる点にある。コンプライアンスとは、単純に法を遵守することではなく、法の目的を理解し、その価値を共有することにある。法自体もその点で絶対のものではなく、共有すべき価値に合わせて常に見直されなければならない。

本書は、「真面目な」組織人が、そのままでは組織不正に関与してしまう可能性に注意を喚起することを目的として書かれたものである。組織を外部の人の視点から問い直す契機を、組織の中に組み込まなければ、その中の個人は自分の行為をチェックする機会を失ってしまうのである。

本書は、本文中でも述べたように、ちょうど7、8年前に、編者たちに「組織倫理」の講義を開設するように求められたことを契機に出発したものである。折から、新聞社や放送局で社会的なニュースとなったいくつかの事件を間近で経験された松野良一氏(現中央大学教授)に講演を依頼したことから、学校教育現場で道徳教育の実践に取り組んでこられた樽木靖夫氏や高橋知己氏、医療事故など医療現場の倫理問題に詳しい山内桂子氏を加え、大人(本書では主に学生)を対象とした組織倫理に関する教育方法論の開発に本格的に取り組むことになった。

この研究で難しかったことは、倫理意識尺度の構成と倫理教育方法論の開発であった。試行錯誤を繰り返す中から、現在のところ、本書で紹介しているような「倫理意識尺度」と「組織倫理に関する教育方法論」が開発された。

しかしこれらの研究をおこなっていくうちに驚いたのは、対象がまだ企業などに属していない学生であるにもかかわらず、倫理教育によって「普遍的倫理意識」が向上するのではなく、「帰属集団への組織防衛意識」が低下する点に教育効果が見出されたことである。こうした結果は、彼らが現在帰属している集団を外部の人々の視点に立って相対化し、自己の視点をより広いものにするという「普遍化」によってではなく、むしろ、現在の帰属集団から単に離れる「孤立化」によって倫理意識を高める傾向があることを示している。これは、彼らの所属意識や問題意識がより広い外部へと展開せず、閉じられたいわば小さい世界観を抱く傾向をもつこと、すなわち、普遍的倫理意識と集団への帰属意識に関していわゆる閉鎖的なムラ社会の特性が見られることなどを示唆している。

倫理意識や社会意識が孤立によって得られるというこの心理的機制は危うい。倫理は「相手の立場に立つ」ことが基本であるが、その共感すべき相手が見えないままに、心の中に社会への不信感を溜めている状態はストレスフルであり、極端に抽象的で視野の狭い「正義感」をもつ孤立者となるか、その反対に、自分を受け止めてくれる集団を闇雲に求めてしまう状態へと逆行するかのどちらかではないだろうか。普通の市民がいつのまにか組織的な不正の片棒を担ぐ羽目になるという事実の背景には、このような日本型の閉鎖的な社会や集団のシステムや文化がある。そんな不正の原因の帰属を個人に帰着させて事たれりとしていたのでは、いつまでたっても、組織の不正は解消することはないであろうし、何か問題が生じたときに無責任に組織のせいにする個人の集合体からは何も産出されることもない。組織の不正もそれを食い止める倫理意識も、ごく普通の私たち一般市民という個人と、その個人の所属する集団と、その集団を取り巻く社会によって醸成されるのである。   ――以下略

  

2007年7月

                              
蘭 千壽・河野 哲也

 
編著者プロフィール:著者プロフィール蘭 千壽(あららぎ ちとし)

 〔序・第1章・第5章・第6章〕 ※〔 〕内は執筆担当章
1979年、九州大学大学院教育学研究科博士課程(教育心理学)修了。教育学博士。
現在、千葉大学教育学部教授。
著書に、『変わる自己変わらない自己』(金子書房)、『教師と教育集団の心理』(共著、誠信書房)、『パーソン・ポジティヴィティの心理学』(北大路書房)ほか。
専門は教育心理学と社会心理学。オートポイエーシス論と教育の接続に関心がある。

河野哲也(こうの てつや)

 〔序・第1章・第5章・第6章〕
1993年、慶應義塾大学大学院後期博士課程(哲学)修了。博士(哲学)。
現在、玉川大学文学部准教授。
著書に、『レポート・論文の書き方入門』(慶應義塾大学出版会)、『環境に拡がる心』(勁草書房)、『〈心〉はからだの外にある』(NHK出版)ほか。
専門は哲学と倫理学(組織倫理・科学技術論)。

 

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